第358話・待ち受ける徳川隊。


三河作手・山間に造られた砦


 作手の村を離れた山間に、ポッカリと開けた所があった。その真ん中当たりの建物が建ち並んだ所から、もくもくと煙が上がり金槌や鑿や鋸の音がしている。それに混じって、馬や鶏・そして子供達の声が賑やかだ。


ここは本多忠勝隊が拠点とする村だ。元からあった小集落を、山を切り崩して大幅に広げ太い丸太で囲んだ村・というより砦だ。

本多忠勝隊二百は、豊川沿いの山に罠を仕掛け入山する武田兵を討ち取る任務を与えられている。


「武田に米一粒・薪一本与えるな!」

 これが徳川の戦術だ。

野田城を難攻不落にして足止めして、侵略して来た武田軍を削って行く。その為に豊川沿いの民家を全て解体して移住させた。そして一帯から薪になりそうな枯れ枝を取り去った。


 言うは易し、実行するのはとんでも無い大事だった。丸々二年の歳月をそれに費やした。それを為し得たのは、先年の武田軍の非道に、民全てが強い憤りと憎しみを持ったからだ。


 この本多砦から十人隊十組が毎日出掛けていって、罠の補修と構築をしている。敵に遭遇すれば攻撃もする、但し弓矢での遠隔攻撃に限られている。

 少し離れた東には榊原康政が隊長の榊原砦、西には本隊の拠点があって一帯の山を守備しているのだ。

 先年の遠州攻めでの惨敗で、徳川隊は城に籠もって待ち受けるだけが能では無いと思い知った。罠を使えばこちらに被害を出さずに敵を減らすことが出来るのだ。この罠の有効性を再認識して工夫を重ねてきた。




「小夜様、攻撃隊が戻って御座る! 」

「どの様な状況ですか? 」


「十名ほどの内、怪我人が半数いるようで御座る」

「ならば、迎えの荷駄を出しなさい。それから手当ての準備を! 」

「「はっ! 」」


 この本多砦の主は、本多忠勝の母・小夜である。忠勝の妻の於久や乙女らも襷掛けで皆を指揮して手当ての用意を始めた。

 武田隊が馬で東西から、作手の村に向かったという報告があった。

その追撃のために砦に居た兵がそれぞれに向かったのだ。本多忠勝も一隊を率いて向かっていった。その一隊が戻って来たのだ。



 少ししてから佐藤新左衛門と十名程が戻って来た。うち五名が荷駄に乗り、足を怪我して横になっている者もいる。いずれも矢傷だ、すぐに建物内に運ばれて手当てが始められる。


「新佐、首尾は? 」

「はい。矢で先制して道を木で塞ぎましたが、後続に弓で反撃され、その隙に先頭の者が荷駄を担いで倒木を乗り越えて逃げ申した。総勢三十名の内、逃げたのは荷駄一台と十名ほどで御座る」


「倒木を荷駄ごと担いで越えましたか、敵も薪確保に必死ですね・・・あとの者は? 」

「残りの者は無事で御座る。討ち取った遺体の処分をしておりまする」


「左様ですか。ではそちらにも荷駄が必要ですね」

「はい。死んだ馬もおりますれば、余分の荷駄が必要で御座る」


 死んだ馬は貴重な食料となる。無駄にするわけにはいかない。



「殿のお帰りです! 」


 本多忠勝が馬に乗って帰ってきた。十何頭の馬に、薪を山盛りした荷駄、それに戦利品の武具も積んでの凱旋だ。怪我人がいるが軽傷だ。


「お帰りなされ、殿!」

「おう、今帰った」


「殿、申し訳ありませぬ。五名の怪我人を出して、荷駄一台と十名ほど逃がして仕舞いました」


「どの様な怪我だ? 」

「足に矢を受けた者二名、腕三名で御座る」


「敵を逃がしたのは構わぬ、殲滅する必要は無いのだ。少しずつ敵を削れば良い。我らが上手く行ったのはたまたま地形が良かったからだ。地形次第では被害が出よう、だが出来るだけ被害が出ぬようなやり方を考なくてはならぬぞ」

「胆に命じまする」








三河本宮山砦 徳川家康


「東の一隊、荷駄一台と十名ほどが逃亡! 」

「西の一隊、殲滅。馬十五頭・荷駄三台確保! 」


「道の材木はそのままに。不要な馬はこちらに、荷駄の薪は村に戻せと伝えよ」

「はっ! 」


 野田城を囲んだ武田軍が薪集めのために山間の作手の村々を襲った。村々が立ち退いた豊川沿いとは違い山間の村はそのままだ。民は予め決めてあった場所に避難したが、村を襲った武田隊は薪を強奪して足りぬ分は家屋を壊して持ち去った。

その帰り道を待ち受けた本多隊は、切り倒した木で道を防ぎ、側面からの矢で攻撃したのだ。


家を燃やし若者を鉱山に年寄り子供を蹴殺す。非道な武田には薪一本・米粒一粒渡さない。街道の家々は解体して運び、山の枯れ枝を払い持ち去った。山の取り付きには無数の罠を仕掛けて、東の山々には本多忠勝・榊原康政らの部隊が潜んでいる。

こちら・西は本陣から十人隊十組を毎日交代で出して罠の補修をしている。皆専任の兵で同じ顔ぶれだ。罠の位置を知った者でした危険な山中には入れぬからな。



武田軍の襲来に備えて、この二年間周到な準備をして来た。戦略の胆は野田城で足止めをしてそれ以上は進軍させない事だ。

濠を広げ深くして、石を積んで土を盛りあげ新たに造った垂直な壁の帯曲輪には登城路も無く、普段は登り橋を架けて行き来する。野田城はまさに難攻不落の城になった。


二千の民が避難できる規模の帯曲輪には、解体した木材で小屋を建てて民が移り住み小さい畑さえある生活と防衛の場だ。城兵は大久保忠佐と菅沼定盈の八百。それに多くの民も戦力となる。

さらに整備した吉田城には酒井忠次の一千五百、背後の船形山には鳥居元忠の五百、両城にも大勢の民が避難している。岡崎城は本多正信、渡辺盛綱らの五百、戦に向かない老人・女子供は矢作川を渡った安祥城に避難させてある。


野田城と吉田城は、武田の大軍に囲まれても数年は持つだろう。その間に山野に潜んだ我々が、敵を少しずつ減らしてゆく策だ。既に五十名は討ち取り、二百ほどの負傷者を与えている。

我らは豊川沿いの伊那街道を見下ろす本宮山に本陣を置いて、背後の窪地に二千兵を隠している。つまり隙あれば、いつでも街道の敵を攻撃出来るのだ。



「やはり短弓は有効だな・」

「はい。最初見た時はこんな物が役に立つのかと思いました。ところが使勝手が優れていて山の中では最早手放せませぬ・」


「うむ、長弓では邪魔だし、うまく体を隠して使えぬからな・」

「左様。それに女子供でもすぐに扱える様になり申す」


 先年の武田軍に多くの者が捕えられ船で駿府に送られた。ところがそれを伊勢商人の伊勢屋の船が救ってくれて、三河に帰して呉れたのだ。その時、武田の船は野分けにあって難破状態だったらしい。


 それ以降、伊勢屋の船が三河湾に良く来てくれるようになった。伊勢屋を通じて畿内の新しい物や武器も入手でき、銭さえあれば火縄や火薬も購える。

火縄や火薬があれば武田軍に一泡吹かせられるがいかせん高価だ。領地が半減した徳川には武器に掛けられる銭は少ない。そこで伊勢商人に屈託の無い懐事情を話して相談した。それで進められたのが短弓だ。各国の軍で使用されて売れ筋の品らしい。


「山中弓の特徴は品質が均一な事です。これがなかなか難しい事でして、普通は十張・二十張と作る内に大きさから強弱にばらつきが出ます。ところが山中弓は一千張・二千張と同じ様な物が揃います。矢も同じ、誰がどれを使っても良いのは大きな利点です。価格も安く数が増えれば増えるほどお得で御座います」


「値はどれ程だな?」


「十張三貫文・百張で二十八貫文、一千張で二百五十貫文と言うところで御座います」


「ふむ、火縄が一丁六十貫文だから火縄四・五丁買うと思えば、山中弓は一千張以上が揃うのか・・・なるほど安い」


「はい、作業を大勢で分担した大量生産というやり方らしいです。山中国で無いと出来ないやり方です。ですが、武田もこれを使っている筈です。焼津湊で手に入りますから・」


「武田も持っているか、では我が隊でも使ってみよう」

と、十張購って試しに使わせてみた。すると、兵が奪い合いになるほど人気だった。結局三千張購った。それを各隊に分け籠城した民にも使わせられる数だ。これで籠城隊の戦力が一気に上がった。



「武田軍は、大手口・跡部隊一千、その後ろに勝頼本隊一千三百、東口・山形隊一千五百、西口・馬場隊一千が陣取りました。木曽勢と真田勢は木材調達に山に入る様で御座る! 」


「武田は総勢五千三百か。半蔵、思ったより少ないな・」

「飯田勢は先の行軍で三千兵近くを失いましたからな・・それで甲斐からの一千の援軍を呼んだ、馬場隊はこちらの様子を経験しておりますからな・」


「・そうだな。たった数年では失った兵力は回復せぬ。しかし、斉藤は得体が知れぬ。帰蝶様は恐ろしいお方だな・」

「左様で。あっという間に那古屋城を無傷で取り戻し武田相手にあれ程のことをして殆ど被害を出しておりませぬからな・・」


 その斉藤家が、井伊家と懇意にしていると伝えてきた。それは井伊家に手を出すなと言う警告だ。まあ徳川にとって、遠州は鬼門だ。先年手を出して酷い目に合っているからな。



「ところで殿、木曽勢はどの様に? 」

「うむ、罠は仕方無いが、木曽勢には攻撃せずとも良いと伝えてくれ」


「すると攻城用の木材が敵に渡りますが? 」

「やむを得ぬ。どちらにせよ敵は木材を手に入れるわ。それに木橋や梯子があっても野田城は簡単には落とせぬ」



 食糧不足に苦しんでいた我らは、斉藤家よりの一万石の兵糧で一息つけたのだ。それ以来斉藤家とは友好な関係が続いている。

その斉藤家から「木曽は、現状では武田に従軍せざるを得ないが、後には武田を離れて斉藤家に付くだろう」と言付けを貰っている。

今の武田家は一枚岩では無い。勝頼・義信兄弟の不仲で信濃の高坂と小県の真田は主家から距離を取っている。そして木曽は隣接する斉藤家に接近していると言うことだ。


「夜襲隊、出ます! 」

「うむ」


 本隊から五十人隊が六隊出陣してゆく。夜襲・朝駆けをする隊だ。いつ・どういう動きをするかは各隊に任せている。とにかく被害を出さずに戻れとだけ命じている。

 明るい内に移動して敵の位置を見て策をたて、暗くなるまで潜むのだ。



 暗くなってすぐに敵陣に火矢が飛び、陣内で火の手が上がった。早々と夜襲隊が出撃したのだ。敵もそんなに早く夜襲されるとは思っていなかったに違いない。


「早々と夜襲隊が攻撃しましたな・」

「うむ。やはり大手口か・」


 攻撃したのは、大手口の諏訪隊の陣だ。半蔵によると西口、東口の陣は守りが堅くて近寄りがたいと言う。付近を武田忍びが警戒しているのだ。それに比べて大手の本隊と諏訪勢の陣は緩いと言う。

 必然的に夜襲の餌食となる。今も陣内で盛大に燃え上がっているのは、昼間に村から強奪してきた唯一の荷駄(薪)だろうか・・敵の残念そうな顔が思い浮かぶわ。


 しかし・・・


「勝頼本隊に忍びの者はいないのか」

「どうやら釣間斎が忍びの者を毛嫌いしているようで・」

「なんと、まあ・・・」


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