第357話・野田城を囲む。


「出立! 」


 野田城に向かって進軍した。昨夜の配置のまま先頭は我が真田隊と木曽隊だ。最後尾の山形隊の者十名が案内にたってくれる。彼等は前の吉田城攻略戦に従軍した足軽達だ。


「家が無えだ・」

「んだ。前は方々に村があったのに無え・」

「野分けが浚って行ったかや? 」

「いんや、野分けなら残骸が残ってるべ・」

「んなら、民が家を壊して持っていったか? 」

「それすか、考えられ無え・」


 見渡す平野は、まるで野分けにあった様な惨状だ。道は縦横に通っているが、有るべき家が一軒も見当たらない。

集落とおぼしき跡にも家屋は無く、田は刈入れられて、畑にも作物が少しも見あたらない。民が、家ごと家畜ごと作物ごと逃げているのだ。戦が始まるのだから当然と言えばそうだが、これ程大掛かりな避難は見た事が無い・・・


 左右に兵を出した。斥候と言いたいが実は薪集めだ。薪の入手は喫緊の課題だ。左右に十名、その護衛に二十名出した。木曽勢も同じようにしている。


すぐに枯れ枝が無いと言う報告が入った。どうやら取り去られている様だと。どうやら我らには薪を渡さぬらしい。民は米粒一つ家一つ薪一つ残さず持っていったのだ。相当な執念を感じる。


「前の戦で武田軍は民に何をしたのだ? 」


「・・へえ、乱取りだぁ。だが、今思うとちょっとやりすぎだど・・」


「乱取りか・具体的には? 」


「御屋形様の命令だぁ。民の持ち物を奪って、邪魔な家は燃やして、壊して濠に投げ込んだだ。若い者は捕えて船に乗せた、老人子供は・・・」


「・・・左様か」


 老人子供を乱暴し女を犯し家を燃やして捕虜にとって鉱山送りか・・・暴虐無人の限りを尽くした訳だ。民の怒りは凄まじいものだろう。

 佐久の時と言い、御屋形様はとんでも非道をなされる時がある。まるで人を虫けらの如く扱うのだ。



 それでも薪にする物がないからと飯を食うのを諦めるわけには行かぬ。兵たちは落ちた小枝や枯れ草など燃料になる物を必死で集めてきた。これで一日ほどはもとう。

 無人の平野を行軍して、一刻ほどで野田城に到着した。野田城は街道脇の島状の台地で、河の水を引き込んで深い濠と濠端から立ち上がる垂直の壁の上にあった。


「野田城だ! 」

「おおー」

「何だ、あれは・」

「こりゃあ、前とは別の城だえ・」


 足軽達が絶句している。


「以前の城と違うのか? 」


「んだ。ありゃあ別物だぁ」

「落とすのは無理だんべ」

「とんでも無え城だぁ・」


 足軽達は武田流の築城を見てきたのだ。それに武田本隊に加わって各地を転戦して目が肥えている。その彼等が「落とすのは無理だ」と言った。

 某にもそう見える。垂直の壁の上にある城、それなりの人数と食料があれば難攻不落の城かも知れぬ。


 先の戦では少数の徳川方の守兵は、武田軍の火縄の一斉射撃で城を捨てて逃げたと聞く。それで今回も野田城は難なく落とせるだろうと予想していたのだ。だが、城から立ち昇る城兵の熱気がそれを完全否定している。



「西口は甲斐勢、東口は飯田勢が封鎖せよ。大手は諏訪勢その後方に本隊。真田木曽隊はその後方に陣を敷け」



野田城から大勢の顔がこちらを覗いているなか、我らは街道から城と反対側の北に移動した。北・即ち山の方向だ、城の攻略からは外れたが、敵の夜襲に晒される最前線でもある。


「薪だ。十人隊は薪集め、その護衛に二十人、それを二隊出す。残りの者は陣地作りだ」


 なすべき事はまず薪集めだ。腹が減っては戦が出来ぬ。


「薪集めに山には入るな。特に裏の小山は危険だ。小枝で良いから河原や道や野原で拾うのだ」


 丁度裏に小山がある。野田城攻めの陣地におあつらえ向きだが、おそらく罠だらけだろう。本隊があそこに陣地を張らなくて良かった。



 一刻が過ぎ薪は思いのほか集まっている。小枝や太い枯れ草、中には生乾きの枝も多く混じっているが燃えれば良い。行軍中に集めた分もありしばらくは問題ない。

 ところで、他の隊からも多くの兵が薪集めに向かっていたがどうなっただろう。薪を運んでくる兵を見かけてないが?



「殿、伝令です」

「通せ」


「真田殿、皆様お揃いです、本陣にお出で下され」


 伝令は勝頼様母衣衆の近藤某という若者だ。すらりとした体だが鍛え抜かれた強さを感じる男だ。我が隊に何度も伝令に来ており、すっかり顔馴染みになっている。


「伝令ご苦労。明日からの城攻めの軍議ですな」

「いえ・それが・・」


「ん・違うのか? 」

「い・いいえ、無論それもあると思いまするが、薪取りの兵が戻らぬと・・」


「・・そうか。相分かった、すぐに参る」


 本陣に集まった各将は深刻そうな表情だ。


「真田殿、薪取りに行った本隊と馬場隊の三十人隊・四隊がまだ戻らぬのだ・」


と、先に来ていた木曽殿が小声で教えてくれる。陣が隣り合わせの木曽勢は我らの動きに同調して山に入らずに野や河原で集めたのだ。


「山に入ったので御座るか? 」

「左様。内二十名が武器を構えた護衛だったと・」


「木曽殿・真田殿は野や河原で集めたと聞く。そこをいくと殿も馬場殿も軽薄でしたな、山は危険と分かっていたのに・・」

と跡部殿が誹るような発言をする。


「そう言われる跡部隊はどうなされたな・」

 馬場殿が冷たい棘のある声で聞く。跡部殿の発言は、少し配慮に欠ける。最年長で宿老の馬場殿はお怒りだな・・・


「我が隊は広く斥候を放った結果、山かげの村はそのまま有ると分かったのだ。そこに薪調達の二隊六十を送ったのよ。少々遠いが、全員馬だ」

 どうだと言わんばかりの跡部殿だ。一隊三十の騎馬隊二隊か・・・だが、


「隊には薪を購う銭を持たせたのですな? 」と問うてみた。

「・・何を言われる、ここは敵地、銭など渡すか! 」


「・すると、村から薪を強奪するおつもりだったと・・・」

「当たり前だ。それが戦の常よ」

「・・・」

「・・・」


 跡部が儂を睨んでおるわ。儂もいらぬ事を言うたな。しかし、村に薪が無ければ、家を打ち壊して持ち帰るつもりだったろう・・・

 それを思うと気持ちが冷えた。恨みをかって良い事はまったく無いからな。跡部は悪い時の信玄公のやり様をなぞっているのだ。信玄公は病の具合が悪いときには、平気で非道を行なうお方だった。老人・女子供にも容赦しなかった。


ひょっとして、ここ三河でも・・・。


ん・残る山形隊はどうされたのだ?


「山形隊はどちらに? 」

 話に上がらなかった飯田勢・山形殿を皆が見る。


「・某の隊は、先頭を外れ出立まで間があり申したから、田口村の薪を買い占め申した・・」

「「・・・」」


 なんと。最後尾にされた山形隊は、あの設楽が原・南の村で薪調達をしていたのか。知らなかった・・・。

と言うことはこの地の現状をある程度予測していた訳だな。


「・・・あっ、いや、またすぐに薪を作っておくように言った。今行ってもある程度は準備出来ていると・・・」

「・・・」


 さすがにあの狭隘な道を薪調達に戻るのは長すぎる。



「それで跡部、お主の薪調達隊は戻ったのか? 」

 勝頼様が話を戻した。


「いえ、まだで御座るが、間も無く戻ろうと。何と言っても馬で御座るからな。それより明日からの城攻めの段取りで御座るが、まずは橋や矢除け・梯子作るに木が大量に必要で御座る」


「うむ。それはそうだ」


「そこで、野田城の三つ口を抑えた三隊に入らずに、遊軍となっている真田木曽隊に、これをお願いしたい。特に木曽勢は木樵が得手で御座るからの・」


 儂を見た跡部が微かに笑った。なるほど、さっきの意趣返しか・我が隊と木曽隊は本隊の後を護る隊だったのが遊軍にされたか・・・

 しかし、戦に来たのだ。鉄壁の守りの城を攻めるより、罠だらけの山の方がやり様があろう。我らも山には慣れておる。


「畏まった」

「木曽も異は御座らぬ」



 暗くなって諏訪勢の薪取り隊が戻って来た。だが戻ったのは、十名ほどに荷駄が一つ、半数は負傷していた。一隊が村に入ると無人だった。軒先にある薪を奪い、小屋を壊して三つの荷駄に薪を満載しての帰りに襲われた。

 道に木が倒れて止まったところに石と矢の襲撃だ。それを避けて逃げ帰れたのがこの人数だ。もう一隊はおそらく全滅だろう。


  勝頼隊は連日の襲撃で、死傷者が二百五十名でて、五千二百五十に減っていた。その内の二百名は諏訪勢・跡部隊だ。

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