第348話・大崎仕置。


 伊那・飯田城 山県昌景


 御屋形様が亡くなった。


 三河から撤退して設楽が原で合流したとき、御屋形様は伏して最早虫の息だった。豪雨の中、追撃してきた徳川勢と一刻もやり合ったのだ。


 病篤く火縄に撃たれたお体で・・・


 『諏訪へ』と言うお言葉で、北上した。


 根羽で息を引き取られて、駒場で荼毘にふした。


 諏訪の方様の横に分骨して、躑躅ヶ崎で重臣一同が集まり大法要が行なわれた。

武田家の行く末を決める会談で、義信様を当主として今後一年間は現状維持するという方針が出された。すぐに兵を興して御屋形様の敵討ちをするという四郎勝頼様を皆で説得した。武田家重代の家宝・御旗盾無も義信様に返却なされ、お家分裂という最悪の事態を回避出来たのは幸いであった。


 そもそも仇などいないのだ。


 端的に言えば病が戦場で悪化しただけだ。

無論火縄で撃たれたがそれも戦場でのこと、恐らくは徳川兵では無かろう。徳川兵ならば一発だけで終わる筈が無い。

 それに伊那では一千の将兵が負傷して、一千以上の者が亡くなった。秋山殿も行方不明だ。とても出兵できる状況に無い。


 義信様はそのまま駿府で全体の指揮を取られて、信濃は海津城で高坂殿、上野は原殿、岩櫃城に真田殿。勝頼様は高遠城で諏訪・伊那を見られ、高島城の馬場殿が補佐をして某が秋山殿に変わって飯田城に入る事になった。


 とにかく、国の立て直しをしなければ。一年と言わず三年五年、いやそれ以上の年月を掛けて態勢を整えねばならぬだろう。

 だが若く血気に逸る勝頼様がそれ程辛抱できるとはとても思えぬ。





陸奥多賀城 赤虎重右衛門


 新多賀城は土木作業を終えて、今は種々の建築を行なっている。背後の舟入もほぼ完成していて、普請の人員は宮城野に移っている。故に多賀城は一時期の賑やかさが減り役所らしい空気が漂い始めている。


 常に争っていた葛西家があっという間に滅亡した事を知り、大崎家が国府に臣従を願ってきた。俺はそれを認めて大崎義隆以下重臣や国人衆を山中家の方針を学ぶために臣下として国府に来るように求めた。

 それが間も無く到着する。既に大崎領には治安維持と政事刷新のために黒川晴氏と蒲生賢秀・松山右近・島野市兵衛と内政方を派遣している。総大将は蒲生で、黒川が仲介・案内役、島野が探索方で松山が武闘方だ。まあ右近はそれしかできぬからな。


「大将、まもなく大崎殿ほか十名が到着致します」

「相解った。儂もあとで参る」



 多賀城大広間に傅いた大崎義隆以下十名の者達、その顔は城内の広さ大きさに驚愕したままだ。と言っても多賀城は一丁四方、山中国の者にとってはさほど大きくは感じない大きさだ。

 ただ周囲の低地から不意に持ち上がった高台地は迫力がある。今までのように山を切り崩して平らにしたのと比べて相当な難工事だった。

 下部は石垣で補強して二十丈も土を盛り上げ固めたのだ。長い冬の期間、大勢の民と国人衆の兵が来てくれたお蔭だ。



 若いな。それが大崎義隆を見た第一印象だ。

 大崎義隆は今年二十一だ。この時代の者ならばそれなりの年齢だが、その表情にはまだまだ幼さが残っている。



「始めて御意を得まする。某大崎家当主の大崎義隆に御座いまする」


「山中国多賀国府代官の清水十蔵だ。よう参られたな大崎殿。以前よりの国府への普請兵の派遣感謝していた。だが、あと少し遅ければこうして会うことは叶わなかったと思われるが良い」


「・・・はっ。御挨拶、真に遅くなりましたことお詫び致しまする」


 我らは強気に出ている。大崎家は最初に先代の義直殿が説得したのにも関わらずに、当主自ら足を運ぼうとしなかった。状況判断や統治能力にかなり問題があるお家だ。


 大広間の上座・中央に十蔵が座り、右に俺、左に新介がいる。その前左右に堀内・真柄・新城・明石の四将、そして大崎義直殿、田村月斎、長江月鑑斎、国分宗正の四老将が並んでいる。

 蒲生らの案内役に大崎義直殿を随行しなかったのは、彼等の面倒を見て貰うためだ。



「さて、国府に臣従されるには山中国のやり方に従って貰わねばならぬ。其方らの現状の地位を鑑みて役職と棒給を決めるが、ここで実際のやり方を学んで貰わねばならぬが良いな」


「はっ。父より諄々と諭され、一兵士として学ぶ覚悟で参りました」


「その覚悟や良し。国府を運営する山中国では一万石につき二百名の常備兵を置く。それに基づいて其方らの立場を決める。大崎義隆、隊長として五百兵の指揮、棒給は五貫文」

「はっ。有難き幸せ!」



「氏家吉継。隊長として五百兵の指揮、棒給は五貫文」

「ありがたき幸せ!」


 大崎家の内訳は、直轄領が三万石・重臣の氏家吉継三万石、三迫二万石、富沢二万石、氏家真継と一栗・新井田一万石、津沢・田尻・志波姫が約三千から五千石で南東の領主三名は伊達家に服属していて姿を消した。それが約五千石で総計十五万石となる。


「富沢三之丞・三迫義元。兵長として百兵の指揮、兵長の棒給は三貫文五百だが、現況の領地の広さから一貫文を追加して四貫文五百とする」

「承知!」

「畏まりました!」


「一栗兵部、新井田形部は兵長として百兵の指揮。棒給は三貫文五百」

「はっ」

「はっ」


「津沢淳之介、田尻孫右衛門、志波姫三藏は五十人頭、棒給は二貫文」

「はっ」「ははっ」「畏まりました」



「この地位は仮のものだ。各々の精進を見て半年後に見直すことになる。また一兵卒でも見どころがあれば抜擢するし、その逆も有りうる。武芸が苦手でも内政方や普請方などの道がある。そのところを考えられよ」

「「ははっ」」


 まあ、これはご祝儀地位だな。どう考えても大崎義隆に山中兵五百の指揮が出来るわけが無い。二十人頭がせいぜいだな。それは調練で嫌と言うほど思い知るだろう。武が駄目でも内政で力が発揮出来れば良いのだがな、統治に相当問題があることが分かっているからな・・・


 今大崎領では、国府領としての新兵を集めている。一万石で二百名、大崎領十八万石だが黒川郡三万石を除き十五万石三千名ほど募る。国府に今六百名程いるから二千五百名程集めて調練と拠点を作ることになる。その時に無数にある城塞は破棄される。


 つまりここで修行している国人衆らの城塞と領地は無くなるのだ。それが山中国の仕置だ。嘘をついているわけでは無いが、彼等はそれをたぶん理解出来ていない。

 何せ大崎一揆は後世にも有名だからな。反骨心は強く厄介な者達だ。こちらに居る間に地元の風景を変えて一揆の目を摘み取っておくのだ。


「義隆がせめて五十人頭でも良いから残ってくれたらな・・・」とそれが大崎義直殿の望みである。

でもね。倅がちゃんとしていないのは親の責任でもあるからな。おそらくこの半年が親として導ける最後のチャンスですよ。


 頑張ってね。直義さん。



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