第347話・備え。


三河岡崎城 徳川家康


 斉藤家からの兵糧で何とか一息つけた。だが今年の兵糧も期待出来ぬ以上は来年の収穫を期待して何とか凌がねばならぬ。

 我が家は何時まで経っても貧乏だな・・・




「殿、良い知らせと悪い知らせが御座います」


「ふう、この上にまだ悪い知らせがあるのか。ならば、良い知らせから聞かせてくれ」


「さすれば、武田に連れて行かれた捕虜が戻って参りました。全員です」

「なに、真か、それは良かった!」


「連れ戻ってくれたのは伊勢商人の船で御座る。野分けで破船になって漂っているのを救ってくれたようで御座る」


「そうか。丁重に礼を言って伊勢商人の便宜を計るのだ。銭を産む商人は大切にしなければならぬ」

「御意」


 二百名もの若い働き手の男女が連れ浚われたのだ。残された者の悲しみ苦しみは重々承知している。その者たちが戻ったのならば真に喜ばしい。


「伊勢商人の津料はしばらく無しとせよ。湊に広い土地を都合してやれ。何、商いが活発になれば国も潤うのだ」

「良きお考えで御座る」



「・・・して悪い知らせとは?」


「石川数正が致仕致すと・」

「致仕・」

「野に帰って百姓を致すと。今後はお構い無き様にと・・」

「・何故だ?」

「恐らくは、水野殿の一件かと・・・」

「それは、儂の責だ。数正が負い目を感じることは無かろう」

「武士が嫌になったと・・・」


 なんて事だ。これからお家再建には、戦馬鹿ばかりの中で頼りになるのは数正のような治政が出来る将なのに・・・





永禄十一年(1568)八月 遠州掛川城 朝比奈泰朝


「殿、なんと山中国からの書状で御座る」


「山中国から・・・おお、女神様よりの書状だ! 」


 いや、百合葉様らしい切れのある見事な書体だ。これは我が家の家宝にしよう。ふむふむ、やはりこちらの事情など全てお見通しだな。まあ、三雲殿や井伊谷には茜殿らが居られるからのう。

 なに・諏訪の武田勝頼は必ず万を超す大軍で三河か遠州に侵攻してくると。

 それまでに井伊家を大きくして北の守りをさせるべしか・・・


 ふむ。挨拶に来た井伊虎繁殿はなかなかの器量であった。流石に元は武田家の名うての大将であっただけはある。心強い伴侶を得て直虎殿は「乙葉」と名を改められた。乙葉の葉は山中百合葉様の一字を頂いたとか。


これで遠州には小女神様が誕生したわけだ。虎繁殿救出に当たっては尾張斉藤家の帰蝶様も絡んでいるとか。あっという間に百万石近くの領地を手に入れた斉藤帰蝶様も山中百合葉様と同様、領地が近い朝比奈家にとっては最大限に気を使わねばならぬお人だ。女神様の御意向は絶対に無視出来ぬ。


井伊虎繁殿。たしかに彼の者が千兵を率いたのならば、易々と武田の大軍を入れまいな。百合葉様が言ってくるだけのことはある・・・


「右筆だ。井伊三人衆に書状を出す」


「殿、女神様のご利益がありましたかな?」

「いや、神託だ。浜名の海の北を井伊家に任す」


「は?」

「刑部城から二俣城一帯を強化するのだ。今のままでは武田に付け込まれるぞ」

「左様ですな。相解り申した」


 朝比奈泰朝は、井伊谷一万石から東の天竜川までの一帯五万石を井伊家に任し武田の脅威に備えさせた。




三河(斉藤領)・伊保


「えんや、こらさっと」

「そこだ。法面はきつく締めるのだ!」

「どっこいしょ、どっこいしょ」


「良し、もう少しだ。もっと土を運べ!」

「合点だ!!」



 足助宿から那古屋に向かう飯田街道の北側の丘一帯に、無数の人夫が蠢いている。ここで斉藤家の城造りが行なわれているのだ。城と言っても山を削り谷を埋め台地とする単純な縄張りだ。

 伊保村は足助宿から来て矢作川を渡ってから一里半、斉藤領の入り口に当たる土地だ。武田軍が尾張に攻め寄せる為にはここを抜かねばならぬ。三河に攻め寄せるとしても微妙な位置だ。


「ここに山中国流のお城を造って、武田軍を撃退します」

との帰蝶の命を受けて、普請総奉行は佐久間信盛ほか斉藤家の重臣一同と普請方・勘定方の面々が北近江の山中国佐和山拠点を見学していた。


 その圧倒的な広さに驚嘆して、火縄や弓の多さに驚愕、兵の多さと調練の凄まじさに度肝を抜かれた記憶がまだ新しい。


 単純な構造ゆえに造りやすい。五千の兵と民を総動員しての大普請だ。給金が貰えると知った民が多く駆け付けて来た。


「縄張りを見たかえ。一丁四方もあるでら・」

「おお、えれえもん造るだがや・」


「たんだ真っ平らな台地だってよ。端は柵を立てるだけみゃー」

「柵の中から火縄や弓で攻撃するだがや」


「そりゃ、ひでぇ銭掛かるみゃー」

「銭なら帰蝶様が蓄えてなさるとよ」


「内助の功だがや」

「いんにゃ、帰蝶様が御屋形様じゃん・」



 斉藤家は那古屋城と伊那援軍から七百丁もの火縄と武具を武田軍から奪っていた。それに武田家統治下の熱田商人や常滑からも継続的に銭が納められていたのだ。潤沢なまでとはいかないがそれなりの資金を持っているとみて間違い無い。

 それに土盛りと柵だけで済むこの城は安く早く出来る。中に立てる建物は周辺に沢山存在する城塞を解体して建てる予定だ。


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