第343話・家康奮起す。
家康は、いや岡崎城の将兵は、武田軍の動きの意味を掴もうと必死になっていた。なんの前触れも無く西三河の武田・馬場隊が北上を始めた。武田隊の陣地に残っている部隊は水野家部隊だけになった。
それまで敵部隊のいなかった北の守りは薄い、松平康忠の五百だけだ。そこで岡崎城から石川数正が一千を率いて北に向い、同時に西三河の守りから榊原康政・本多忠勝の一千を岡崎城に戻した。
これで西三河は水野隊一千に大久保忠介隊一千五百兵が対峙することになった。但し北上した馬場隊の意図が読めずに家康らには不安が残った。
東三河でも動きがあった。吉田城を囲んだ武田隊から信玄本隊が離脱、野田城に向かった。武田信玄は病が篤く那古屋城でも寝たきりだという話を聞いている。野戦陣地よりは近くの城で指揮を取るつもりだろう、その為にまず野田城を取ったのだろう。
ところが、信玄本隊は野田城を通り越して北上している。何故かゆっくりとだ。
「どう言う事だ?」
「伊那に戻るつもりでしょうか?」
「そうかも知れぬ・・・」
「伊那より秋山信友率いる四千が南下したという報告が入りました! 」
「来たか・・・」
「・・・万事休すか」
伊那から武田の援軍が来るだろうとは解っていた。東から馬場隊、西南からは信玄本隊、北から伊那の援軍三方から取り囲まれてのジリ貧の戦になる。
口には出さないがそれは誰の頭の中にもあった暗い未来だった。
「何時のことだ?」
「五月一日に出立したと」
「・・六日経つな。もう足助宿に来ている筈だな・・・」
「そういう報告はありませぬ」
「とにかくもう少し様子が分かるまで待とう」
「ならば、探索にもっと人を出します」
翌日になると次々と報告が入ってきた。
「馬場隊は強行軍で足助城に入り、さらに一隊を伊奈方面に出し、南にも早馬が出ました」
「・・伊那の援軍は来ていないのか?」
「それは解りませぬが、伊那の援軍は途中で壊滅したという噂があります」
「何、途中で壊滅・・・」
「どう言う事だ?」
「?」
それは想像外の話だったが、徳川としては都合の良い話だ。さらに重要な話が東三河を探っていた忍びからもたらされた。
「野田城に向かう信玄一行は、火縄の銃声で酷く混乱。信玄の乗る輿を下ろしてしばらくそこに留まって御座った・」
「信玄が撃たれたか?」
「おそらくは・」
「・・・なにか確証があるか?」
「御座いませぬ。ただ・・・」
「ただ?」
「付きそう兵らの顔が悲壮で・、それに歩みが遅くなりまいた・」
「・・・信玄が撃たれて重体か。それに伊那の援軍が来ない・・・」
「殿、これは好機ですぞ」
「左様、今ならば信玄坊主の首が取れる」
「伊那の援軍が来ず、信玄坊主が死んだとなれば東の武田勢も逃げ散りましょう」
「左様。攻撃は最大の防御で御座る」
「今こそ家を焼かれ殺され連れ去られた民の恨みを果たしましょうぞ! 」
「よし。間道を使って設楽が原に向かい信玄坊主の首を取る! 」
「はっ!! 」
「康政、忠勝と儂と半蔵で行く。少数精兵を選べ。急げ!」
「「はっ!! 」」
信玄坊主に起死回生の一撃をと、家康は精鋭三百を率いて山伝いに設楽が原に急行した。
東三河吉田城付近 武田軍陣地
「なに、那古屋城が斉藤に奪われただと!」
「はっ。馬場隊は前後を敵に囲まれ足助宿に退却致しました」
足助宿・馬場隊からの急を告げる早馬は、吉田城攻撃隊の本陣に到着していた。
隊を率いる山県昌景は、これで尾張・三河の全ての状況を知り、重要な判断を迫られた。
御屋形様は何者かに撃たれて重傷だ。今は伊那に向かっているが途中で亡くなれられてもおかしくないと聞いた。
那古屋城が落ちて尾張南部の諸城も斉藤家に降った。もう尾張に拠点は無い。
頼みの綱だった伊那の援軍が壊滅状態。秋山殿も行方不明だ。
三河で戦をしているのは我が隊二千五百のみ、それも水軍兵一千は尾張で雇った新兵だ、こうなったからには当てにならぬ。
つまり周囲は敵だらけ、ぐずぐずしていれば我らも壊滅する。
「撤収だ。我が隊は御屋形様の後を追い武節宿に向かう」
「はっ!」
「我ら水軍兵はどうしますかな?」
「うむ。水軍兵は船で駿府に向かえ。また尾張に戻りたい者もおろう。船の半数を尾張へ回送せよ。良いか、船は武田の財産だ。必ず駿府に回送せよ」
「・・・承知」
「よし。準備を急げ! 」
ここで武田家の三河侵攻は、尾張の領地を失うというおまけも付いて潰えた。
尾張小牧山城下
「けっこう・けっこう・こけっこう
けっこう・けっこう・こけっこう
夜泣き、痙攣、咳に効く。
子供に良く効く飲み薬」
と、この町でも娘らが陽気に唄い人寄せをして薬を売り歩く姿があった。
「薬屋、妻の頭痛に効く薬は無いか?」
と声を掛けたのは、小さな武家屋敷の粗末な門から顔を出した壮年の武士だ。
「はいお侍様。御座います。今処方いたします」
「ならば、屋敷の中でやって呉れ」
「お邪魔いたします」
ところが屋敷の中には入った売り歩きの一行は、庭に膝を付いて並んだ。
「その恰好では不審です。縁に腰を掛けなさい」
屋内から声が掛かり、それで娘一人が裾を払いながら縁に腰をかけた。
「さくらと申しまする」
「さくら。此度の働き見事でしたな。みさから聞いておる」
「ありがとう御座います」
「それで話とはなんですか」
「はい。大将の秋山が追っ手を退けて逃亡。行き倒れたところを手練れの忍び衆に助けられて井伊直虎様の手元に『この者は井伊直虎が預かります』と直虎様より帰蝶様への言付けです」
「なんとまあ。百合葉様と共通の義妹・直虎殿では仕方ありませぬ。それに秋山が憎いわけではありませぬ。民に優しく良い治政をする将だと聞いております。容姿が優れているのにまだ独り身だとも・・・」
「ではこう致しましょう。条件として直虎殿は彼の者の回復後、婿に迎え子を成す事。なれば直虎殿も私と同じくらいの歳で子供を産む事になるわ。名案です、早速お手紙を書きますから届けてくれますか」
「・御意」
屋敷でさくらを待ち受けていたのは、なんと尾張国主の斉藤帰蝶であった。「妻の頭痛に効く薬は無いか?」は隠語であり、(妻・頭)サイトウ・帰蝶に伝えることを聞くという意味だ。
「みさ」は鶏鳴講・教主の金山みさの事だ。
奥美濃の山中に数千人が共同生活を送る鶏鳴講は独立した謎の集団だ。薬草を育て販売することなどで糧を得、他勢力から講を守る為に、強力な戦闘集団や諜報集団を持っている。
経緯は不明ながら、鶏鳴講と帰蝶は深い関係なのは間違い無い。
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