第336話・武田軍の三河進出。
尾張那古屋城 武田信玄
ふむ。春めいてきて体の具合も大分良くなってきた。春の次は夏が来る。暖かい尾張の冬は良かったが、あの夏の茹だるような暑さは二度とご免だな。夏になる前に甲斐に帰りたいものだな。
「御屋形様、刈谷城に動きが御座いました」
「嵌まったか。信春」
「はい。見事に嵌まりました」
「どういう状況だな」
「家康が刈谷城の水野信元・信政父子を呼び出し誅殺して一隊を急行させました。我らにも使者が来て、徳川に他意は無い謀反の芽は摘んだと言上しました」
「ふむ、どう答えたな?」
「他意が無いかどうかはこちらで調べて決めると追い返しました。そのうえで刈谷城に密かに人をやると、徳川を捨て武田に頼るという確約を得ましたので丸根城に用意した二千を援軍として派遣致しました」
「ほう。あっという間に常滑が手に入ったな」
「真に呆気なく」
「申し上げます。徳川の御使者・倫斎とか申す御坊が来ました」
「さようか、ご使者はどう言っておるな?」
「はっ。刈谷城と若干齟齬がありましたが、同盟国の武田家とは争わぬ。徳川は元の領地で不服は無いと」
「ほう。知多を諦めたか。殊勝な心掛けよな」
「左様で。敗戦の痛手の上に水野一族を失っては戦う気も無いと存ずる」
「では、これで手を打つか?」
「目の前にぶら下がっている弱った獲物を放置されますか・」
「信春は獲物を喰いたそうだな。策を申してみよ」
「徳川は西の兵を北に上げてやり繰りして御座る。そこで水軍の出番で御座る。二千兵を積んだ船を豊川湊に着ければ、吉田城や三河南部・遠江の海西岸を手に入れられましょう」
「ふむ、やっと船を活かせるか・・・知多に加えて三河南部を失えば、徳川の勢力はさらに半減するのう」
「左様で御座います。その後、飯田から援軍を呼び寄せ三方から岡崎に攻め寄せれば徳川家は消えまする」
「弱った獲物を大軍で討ち取るのか、まったく容赦の無い手だのう」
「如何で御座ろう?」
「それで良かろう。儂も具合を診て参陣しよう」
「御屋形様が参陣なされば、敵は怖れて一戦もせずに逃げ散りましょう」
「信春、そう徳川を甘く見るな。彼の者らは武田以上に困難な戦を闘い続けて来たのだ、ここぞという所ではしぶといぞ」
「・・・肝に命じまする」
三河岡崎城 徳川家康
刈谷城に向かった酒井・榊原・本多忠勝隊一千五百は、城兵を刺激しない様に一旦下がった。あとは武田家に送った使者が色よい返事を持って帰ればよいが・・・
「使者が戻られました!」
「これへ」
使者は近くの寺の住持である倫斎という御坊だ。この様な時の使者には中立する立場の者が良い。
「ご苦労でしたな、倫斎どの」
「はい、慣れぬ馬上で疲れました。これが馬場信春殿より頂いたご返書で御座います」
「拝見しよう」
「それでは拙僧はこれにて」
立ち去る倫斎坊を見送ると、家臣らが寄って参った。武田の返事を皆が待ちわびていた、その無言の圧にいそいそと封書を開けて読んだ。
「・・・む・むむむ・」
「殿・・武田は何と? 」
「・・御使者に徳川殿の意向は聞いた。しかし水野殿の様な忠実な家臣を無実無根の咎を着せて誅殺するお家との同盟は当家の名を汚す。よって武田は徳川家との同盟を破棄致し、麾下となった水野家の無念を晴らすためにも三河を頂きに参る。今度は戦場にて相まみえよう・・・」
「なんと・・・」
「まさか・・・」
「しかし、何という言い草だ! 」
名を汚す・か。殺し殺される世だ。汚れるような名があろうか。
「これで武田との戦が決まり申したな・」
「聞いての通りだ。武田は同盟を破棄して三河を取りに来る。我らとしてはこれを何が何でも防がねばならぬ。思うところを言え」
「水野が敵となったからに西部は敵地。酒井らをすぐに退かせるべきです」
「うむ。酒井らを安祥まで退かせよ。忠介は一千兵を率いて救援に! 」
「はっ! 」
水野家は知多・刈谷・知立が領地で、進軍した酒井らのいる一帯が敵地となったのだ。安祥城のある矢作川東岸まで三里は後退しなければ取り囲まれる。
「元忠、康忠、盛綱は一千五百で北を固めよ」
「「はっ」」
その頃刈谷城周辺にいた酒井忠次・榊原康政・本多忠勝の隊は、壮絶な退却戦を行なっていた。同盟を破棄して三河侵攻を明確にした武田軍は、馬場信春を隊長とした二千五百で進出。これに刈谷城から高木清康隊五百が合流して、後退する徳川隊に猛突撃して来たのだ。
特に主君父子を殺害された水野隊は猛烈な勢いで突っ込んでくる。
「殿・若の仇だ、逃がすな!! 」
「おおおおおー」
突出した水野隊は、鬼の様な突撃を繰り返す。その度に徳川隊に幾らかの被害が出る。後退中ではどうしても腰が引け倒されるのだ。そこに踏み留まって戦えばそうでも無いが、そこは敵地故に留まる事は出来ない。周囲から水野の兵が湧いてきて取り囲まれるだろう。
「もう少しで徳川領だ。退け、退けーぃ! 」
矢で足止めしながら殿を入れ替え散らばらずに後退する徳川隊。気の遠くなるような時を必死で耐え二里ほど後退していた。もう百を越える兵がやられた。
「応援が来たぞー」
「味方だ。味方が来た!」
駆け付けた一千の大久保隊が、猛然と矢を放ち水野隊を足止めした。
流石に追っ手の足が止る。その隙に徳川隊は合流した。
「よくぞ無事で」
「援軍忝し。殿は何と?」
「安祥城・山崎城・本郷城に入り西の守りを固める」
「「承知!」」
これを追跡してきた武田隊は、次々と集まって来る水野隊の援軍を加えると四千兵にも達して、岡崎城と刈谷城を結ぶ街道傍の丘に本陣を置き岡崎城を伺う。丁度その辺りが水野領と徳川領の堺であった。
武田本陣からは、矢作川を鋏み岡崎城まで僅か一里ほど。しかも広い街道が真っ直ぐ通っている近場である。
無論、徳川隊も街道を封鎖して固い防御網を張り巡らした。
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