第329話・遠州引間城の戦い。


 引間城周辺 徳川軍陣地 徳川家康


「しかしこの城は、攻め手がありませぬな。殿」

「うむ。何か策は無いか正信」

「ありませぬな。大手以外は二十間の水堀、四方は頑丈な多聞櫓では・」


引間城は四方を二十間幅の水堀で囲み、東の堀は四十間もの広さがある。我らは大手の西三町あたりに本陣を敷いて城を眺めている。大手門の左右には三百兵を配置、北門には榊原康政五百、南門には酒井忠次五百が布陣して、本陣の後方には菅沼忠久の三百の遊軍を置いている。

 それとは別に二千の兵が周辺の家屋を取り壊している。それを運んで外堀を三方向から埋めるのだ。十日もあれば埋まるだろうが、それ以外にこれと言って攻め手が無いのだ。ここは焦る必要は無く、気長にやるしかない。



「それを何とかするのが正信であろう」

「某の得意とする事は軍略で御座る。細かな戦の采配は苦手で御座る」


「半蔵はどうだ。配下の者を動かして何か出来ぬか?」

「我が輩下の者は表舞台では不要で御座る」


 まったく我が家臣は、おおまかな者が多い。目から鼻に抜けるような鋭利な者が何故いない・・・


 引間城は立地にも恵まれた徳川軍の東の抑えとして是非にも落としたい城だが、守りが強固でこれと言って攻め手が無いのが歯がゆい。

城内は『田』の字型・四角い四つの郭に分かれている。西の大手門から南西が大手郭、東に三郭、北に二郭、西に本郭と次第に高くなる縄張りだ。隣接する本郭と大手郭の間にも水堀がある。堀際には白い壁の多聞櫓が立ち並び、壁に開いた矢狭間から矢が飛んでくる難儀な城だ。



「半蔵、多聞櫓とは大和多聞城から来ていると言うのは真か・」

「はっ。大和多聞城の四方の石垣の上に建つ白い多聞櫓は、市中から良く見えて白亜の城と呼ばれるのに相応しい美しさで御座る」


「ふむ。儂も一度見に行きたいものじゃな・」

「広い街道が霞の彼方まで続き無数の人馬が行き交う。天下の大道とはこのような道かと思える先に、白亜のお城が光輝いて御座った」


「・・・うむ。山中国の話はとんでも無いことが多いが、道一つしてそうなのか?」

「はい。亡き織田殿もいたく感激されて小牧山城はその真似をしたとも聞き及んでいます」


「ふうむ。戦が収まったならば儂も見に行こうか・・」

「・・・お伴致しまする」


 現状、徳川家の将で大和を見て来た者は服部半蔵一人であった。半蔵自身も紀伊や大坂・京の今を知らない。徳川家の将兵は噂でしか山中国を知らないのだ。

 それでも半蔵は、大和の大道を歩き多聞城を訪れた上杉や織田・毛利などが自国の覇道の道の方向を修正したと感じていた。遠州攻略を進める家康が山中国を訪れるのは微妙な問題だった。



 一向に進展しないままその日を終え、翌日も城攻めという退屈な一日が始まった。徳川勢としてもここは無理をしない、まず外堀を埋めてからだ。ここで春まで攻めても問題は無い態勢で来たのだ。その内に市野城と頭陀寺城が落ちれば引間城を孤立させることが出来る。


 だが、その想うような事態にはならなかった。

その日の午後に駆け込んで来た伝令がもたらした一報に家康の思考は止った。


「申し上げまする。頭陀寺城からお味方が敗走して来ます!」


「・・・なんと申した?」


「頭陀寺城攻めの信康様の隊が逃げ帰ってきます。追手が出ている模様です!」


「なに・・・?」

「殿、すぐさま救援の兵を出しましょう。信康様のお命に関わりますぞ!!」


「・う・うむ。菅沼隊を向かわせろ」

「はっ。遊軍の菅沼隊を向かわせまする!」


「どう言う事じゃ。正信」

「どうもこうもありませぬ。頭陀寺城攻略軍が敗れて敗走してくるのです。しっかりしなされ、殿!」


「・・・ううむ。さらに百五十の隊を二つ出せ。追手を追い払い、味方を受け入れるのじゃ。そうじゃ、堀埋めは一旦休止せよ。城からは一歩も外に出すな!」

「「はっ」」


「ふむ。まあまあの指示ですな、殿」

「ぐぬっ。しかし五百の頭陀寺城如きに何故二千の隊が敗走してくる?」


「知りませぬ、そんな事は。逃げ帰ってきた兵に聞きなされ」

「・・そうする」


 頭陀寺城は近い。小半刻もせぬうちに敗走してきた味方と合流した。信康も平岩親吉・鳥居元忠・石川数正・しんがりの本多忠勝も怪我は無く無事だった。




「なんと。爆裂矢とな・・・」

「敵には火縄は無いが、火薬はあるようですな・・・」

「しかし、それで良く落ち延びられた・・」


「ですが、泥田に落ちた大勢の兵を残して・・・」


 二千のうち、こちらに合流した兵は一千ほどだ。あとの九百ほどの行方が案じられる。


「殿、当然こちらにも爆裂矢がありますぞ」

「うむ。上から落ちてくるか・・・城から離れるのだ。酒井・榊原隊にも伝えろ!」

「はっ!」


 慌ただしく本陣を一町ほど後方に下げた。そうしてようやくホッとした家康に再び大きな衝撃がくる。



「申し上げます。市野城、お味方総崩れで退却したと」

「なんだと! 」


「本多重次殿、小野道好殿討死。数百の者が死傷・捕虜となった模様」

「・・・なんという事だ」


 家康の頭の中は真っ白になった。なにも考えられない、呼吸するのも忘れそうだった。


「と・殿、しっかりなされませ・・・駄目だこりゃあ」


「ならば某が、皆に進言する。まずは城攻めを中止して防備を固める。次に五十人隊を四方八方に出して味方を収容すると共に周囲の警戒だ。今後の事は、情報を集めて軍議して決める。如何か?」

「うむ。某は正信の言うように情報を集めるのが先だと思う。さして問題視しておらなんだ二城があっさりと敗れたのは、なにか大事な事を見落としていたのでは無いかと思う」


「某もそうじゃ。今までの朝比奈勢とは何か違う。このまま突っ込んでいけば、二城の轍を踏まぬとも限らぬ」

「賛同する」


 こうして茫然自失の家康に替わって、本多正信らが城攻めを一旦中止することになった。



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