第327話・遠州市野城の戦い前編。


 知多半島を手に入れ兵糧と武具と兵を揃えて徳川軍は、八千の軍を催して浜名の海東に侵攻した。

 待ち受ける朝比奈勢の防衛の拠点は、海に近い南部の東海道沿いに引間城二千、少し東の頭陀寺城五百、北東の市野城五百で、天竜川東岸の勾坂城にもそれなりの兵を籠めている。


 三方原で三隊に分かれ市野城に進出して来た徳川隊は、本多重次を隊長とあいて大久保忠介、松平康忠、渡辺盛綱、小野道好の将が二千兵を率いて向かった。だが途中の朝比奈勢の妨害(罠)で百程の兵の離脱を余儀なくされた。

 これは主に少数で出した斥候隊がやられたのだ。そこで全軍で一気に進軍して市野城を囲み、伏兵が潜むのを嫌って、周囲の民家に火を付け焼き野原にした。

 本陣は大手門の西・二町ほどの荒れ地とした。そこが周囲より一段高くなって見晴らしが良い。城の周囲の土地は朝比奈勢によって草木が刈られていて、見通しが効いた。

本多隊は火が治まるのを待つ間、本陣に将が集まり軍議を行なう。



「城攻めに良い案はあるか?」


 市野城は低い岡に建つ平山城で、濠や郭は真四角の縄張りだ。以前攻めた時と縄張り自体は変わらぬ。

外堀は広く二十間の幅に拡張されていて、その内側の土塁も土が盛られて城内は見えない。土塁の角には一段高い柵に囲まれた角郭がある。そこが迎撃の拠点だろう。

大手門は西側、搦手門は東側で北は畑地で南には町だったが燃やしている。北から二本の水路が入り内堀は水堀だろう。その中が四角い本郭、二の郭や三の郭も無い極めて単純な縄張りだ。

此度は兵力も多く火縄銃もあり準備万端故に落とすのは難しく無い。難しく無いが出来るだけ兵の損失を抑えて攻略したいものだ。


「まずは大手門ですな。搦手は剣呑だわ」

「そうですな。搦手は放置で宜しかろう、逃げ場が無いと城兵は必死で抵抗しますからな」


搦手門からは幅半間程の板が濠に渡されているが、そこは城からの攻撃に晒される。狭すぎて両側面を盾で防御出来ないのだ。門も狭く武装した兵が通れるかも分からぬ程だ。


「ならば、搦手は放置だ。大手と南北から攻めるとする」


「南北からの攻めは、濠を瓦礫で埋めまするか?」

「ならば、燃やすのでは無かったのう・・・」

「燃やした物は仕方がありますまい。そこいらの物を投げ込むしか御座るまい」

「そこいらの物と言ってもな・・・」

「うむ。確かに土草に石ぐらいしか無いのう・」


「それならば埋めずに直接降りたら如何で御座ろうか」

「いや、奴らの事だ。濠底に何か細工をしているのではないか?」


「某、濠傍までよって底を見てまいりましたが、細工している様では御座らなんだ」

「・・ならば濠に降りる手も御座るな。あの郭の位置で底に向ける弓手は僅かであろう」


「左様。郭のあの位置では濠底に弓を向けられるのは一人であろう」

「某もそう見ました」

「某も」


「しかし一斉に濠を上るには梯子が足りませぬな・」

「うぬ・・家屋に火を放ったのは、拙かったか・・・」

「それはもうよい。なら梯子の代わりに土を削り段状にすれば良かろう」

「なるほど。土段(つちだん)か、それならば簡単だ」


「よし、細かな事は適当で良いわ。北は大久保殿、南は渡辺殿に頼む。それぞれ二十五丁の火縄隊を付ける」

「「承知した」」



「さて、大手攻めだが、何とか跳ね上げた橋を戻したいが、策はあるか?」


 西側の大手門には二十間の空濠に幅二間の橋が架けられているが、それも半ばまでで城側の半分は跳ね上げられている。その跳ね上げられた橋が門を隠しているのだ。跳ね上げた綱は門の上を通って城内に消えている。その綱を切れば橋は元に戻る構造だ。


「橋を止めている綱を切る方法ですな・」

「近寄れぬ故に、火矢で御座ろうか・」

「火矢か火縄しか無いが、果たして狙えるかのう・・」


「だが、間違っても橋を燃やしてはならんぞ」

「しかり。折角ある橋は貴重です、ここで木材を調達するのは難儀ですからの」

「となると、橋を縛っている綱を火縄で狙い撃ちか・・」

「それしかあるまいな・・・」


「良し。大手は左右に配置した火縄五十丁で門上の敵を牽制しながら綱を狙い撃ちする。なあに何とかなろう」


 こうして本多隊の市野城攻めの概要は決まった。その日は厳重に警戒して野営していたが夜襲は無かった。拍子抜けするほど静かな夜であった。



 翌朝、濠端に矢除けの厚板が並べられた、矢狭間と銃眼が付けられている矢除けの内側には弓手と火縄手が配置に付く。後方では盾を持った兵が待機する。


 一瞬の静寂。


「掛かれぃ!!」

「「おおっ!!」」

 南北では濠底に兵が滑り降り、大手では火縄が左右から火を噴いた。城からも矢鳴りの音と共に矢が飛んでくる。


「石です。石が降ってきます!」

「うぬ、投石機か・・」


 真上からの投石。陣笠を着けているが、当たり所が悪いと怪我をする。五名十名と負傷者が出て後退してくる。入れ替わり補充の兵が矢除けの内側に駆け込み盾を頭上に翳して耐える。幸いな事に降ってくる石はこぶし大の大きさでそれで間に合っている。


「綱はどうだ?」

「当たっております。綱を隠した当て板が割れて始めております」

「うむ。火縄の威力よ」

「大枚はたいた価値はありますな」

「左様」


「南北はどうだ?」

「大勢の兵が濠壁に取り付いています。やはり横矢は僅かのようで」

「土塁を越えて雪崩れ込めば、大手の守りも苦しかろう」

「左様ですな。案外あっさり落とせるか・・」




 市野城 城代・小笠原氏興


 市野城を囲んだ徳川軍の隊長は本多重次だ。譜代の臣で清廉潔白な良い男だという。豪胆な故に細かい事が大嫌いで分かり易い攻めしかしない。我らに取っても良い相手よ。


「どうやら敵の攻めは予想通りですな、小笠原殿」

「うむ。城外からは濠しか見えぬから実直に来るしかあるまい」


「土塁に上がった敵兵の驚く顔が見えるようで御座る」

「ふっふっふ。だが、火縄には油断がならぬぞ」

「無論です。その為にあれを作ったのですから」

「三雲殿には、いかい世話になったのう」

「はい。そのお蔭で徳川撃退の目処が立ち申した」


「そろそろ綱が切れまする・」

「よし。あれを出そう」

「小玉だ。小玉を落とせ!」


 朝比奈勢は焙烙玉を小さくした『小玉』を作っていた。周囲に小石を詰め火薬を仕込んだ爆裂玉だ。これに火を付けて投石機で投下する。朝比奈国の経済では高価な火縄銃は購えなかったが、火薬はそれなりに購えたのだ。それを利用する方法を元甲賀衆の三雲が教えたのだ。そうして作られた物は、使い方によっては火縄銃以上に強力で恐ろしい武器となるだろう。


 濠端に位置している徳川兵の頭上に、小玉がバラバラと落ちる。頭上に掲げた盾に小玉が当たりそのまま足元に転がり落ちる。投石ならばそれで済んだ、だが火が付いた小玉はそこでいきなり爆発する。



「ぐおおぉぉ・・」

ポンポンという軽快な爆発音を発して、飛んだ小石が徳川兵の顔や目を下から襲った。忽ち、多くの者が顔を覆って転げ回る。弓手火縄手も同様だ。盾の防御などは投げ捨てて苦悶する兵。そこに角郭から容赦の無い矢が殺到する。


「濠端の敵、大勢が倒れております。その数およそ百五十!」

「うむ。これ程とは思わなかったわ・・・」

「凄まじい威力ですな・」

「しかしこれも序章に過ぎぬ・」


「橋が落ちまする!」

大きな音を発して門側の跳ね橋が落ちた。


 その音に敵味方が一瞬停止した。が、今度は激しい火矢が門を襲った。無事な火縄手による狙い撃ちで門の上の兵もなかなか手が出せない。矢狭間を通り抜けた鉄砲玉にやられた兵が続出したのだ。


攻め寄せた本多隊二千のうち、負傷離脱した者は二百五十を超えた。対して城方の被害は数名、さて市野城攻防戦はいかが相成るか?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る