第323話・帰路。


 遠州灘


「長閑ですな・」

「うむ。陸奥とも熊野とも何処か違う気がするな・・」


ザザーン、ザザーンという音を立てて波が砂浜に打ち寄せる。広い海原には波は見えないが、砂浜の近くで急に波立ち打ち寄せてくるのだ。遠州とはよく言ったもので右も左も遠くまで延々と伸びる砂浜。熊野や陸奥にも同じ様に長い砂浜があるが、同じ海なのに何故か違うような気がする。


 藤枝宿から数日掛けて東海道を歩いてきた。伴は杉吉と配下の五名だけだが、三雲の配下の者が遠巻きに警護してくれている。

のんびりとした遊山の旅だ、めし屋で飯を食い旅籠に泊った。街道は人が活発に行き交い商いも以前より発展しているそうだ。開墾や水路整備も積極的に行なわれているらしい。

 遠州では城には寄らずに朝比奈家中の者とも話をしなかったが、朝比奈領は戦時中にも関わらずにそこそこに発展している。駿府から多くの者が移って来て必死に働いたのがそれを後押ししたようだ。


 だが、渥美半島を手に入れて経済力の増した徳川家が武具を増強して侵攻しようとしている。厳しい戦いになるだろう、城の一つや二つは失うかも知れぬ。撃退したとしても得る物は無く、受けた傷は大きく国力は落ちる。

 喰うか喰われるかの戦国の世だけど、なんか空しいな・・・



「船が来ましたな・」

 沖に二隻の帆船が近付いて来ていた。堀内船団の旗艦・大和丸と熊野丸だ。天竜の河口を目指して真っ直ぐに北上して来る。河口は船が入れる深さがあるようだ。

 熊野丸だけが勢い良く河口に入り、上陸用の小舟を降ろして反転した。小舟は流れに流されながら俺達のいる岸辺に着ける。見事な操船だ、みれば舳先に堀内氏虎が仁王立ちしている。船団長自らのお出迎えだ。


「大将、お迎えに参上しやした」

と満面の笑みの氏虎だ。焼津港では積荷の算段に謀殺されてのんびり出来なかった氏虎だが、愛妻と愛娘のいる日置拠点に戻れる嬉しさが滲み出ている。


「氏虎、ご苦労だな。お宝は積み終えたか」

「へい。某の英知でバッチリでんがな、がはは」


 うん。まあまあのジョークだな。こいつほど英知という言葉が似合わぬ者はいない。

積荷の殆どは金銀だ。塩釜湊での両替した物に加えて焼津湊でも大量の金銀を積んで来た。殆どは武田の両替や武具代だ。大和の銭座に運ぶのは武装船でなければならぬから、堀内船団の丁度良い仕事だ。


「氏虎、予定変更だ。羽津湊の前に北畠殿にお会いしたい。真っ直ぐ伊勢大湊に行ってくれ」

「ぐはっ・・・承知致しました」


何となく嫌な予感がする。いや、氏虎への意地悪では無いから。

信玄入道が編成した水軍をどこで使ってみるか・・・

それは遠州か伊勢しか無い。


遠州には岡部らが擁する元今川水軍がいるが、それよりも尾張湾からは相当な距離がある。水軍の船は、帆はあるが基本は手こぎの戦船だ。遠距離航海する装備も技術も無い。それよりも信玄としては水軍の役割は、兵や物資の輸送を主に考えているだろう。それ故に遠く遠州まで出張るのは現実的では無い筈だ。

とすると必然的に伊勢だろう。北畠家が行なった関税で商人が逃げて痛い目にあっているしな。


 伊勢大湊は、北畠殿は武田軍が襲来したときの、その対策をしているだろうか?




伊勢・大河内城

堀内船団は、伊勢湾に入り伊勢大湊に入港した。大河内城に北畠具教殿を訪ね子息の具房殿の様子を報告した。


「ほう。具房が手習いをな」

「はい。なかなか教えるのが上手くて好かれておりますな」


「ふむ。あれは学問は嫌いではないからな。武の方は駄目だが・・」

「それも兵の調練を見て、自主的に木剣を振っておりますよ」


「…左様か。厄介をお掛けするがこれからもよしなにお願いする」


「相分かり申した。ところで武田水軍の脅威は把握されておられるか?」


「うむ。尾張武田は、急いで船を増やして調練している。儂は何となく背中が薄ら寒いがこちらを狙っておるのか・・」


「それか常滑でしょう。しかしそちらは徳川家との同盟が破綻する」


「うむ。我等には山中国に鍛えて貰った水夫はいるが船が足りぬ・・」


 北畠殿の要請で熊野拠点での調練をなした伊勢兵百名がいる。だが多くの船大工が武田に移り造船力は激落ちしているので船が無い状態だ。


「なんならうちの船を売りますぞ」

「それも考えてみたが先立つものがな・・・」


「古い熊野丸ならば一隻五千貫文で結構ですぞ。大砲十二門付き、当座の火薬も付け申そう。如何か」


「ふうむ・・・我等が造船する船とは性能が桁違いだな。その船があれば武田を撃退して関東まで商いを広げられる・・・・・・良かろう。代価はすぐには用意できぬが二隻頼めるか?」


「代価は分割で結構で御座る。熊野丸二隻承りました、毎度おおきに」

「やれ、これで背中の寒さが懐に移ったわ・・・」


「「わっはっは」」





 北勢羽津拠点 


 北畠家から一万貫文(5億円)の大口受注を得て、船団は(と言っても二隻だが)伊勢大湊から桑名・羽津湊に移動した。

大量に積み込んだ金銀を降ろす。金銀はここから大和銭座に馬車で陸送する。それが最短距離だ。大和街道は広く平らに整備されている。


「有道、領国の様子はどうだな」

「大坂の普請は、若手を中心に順調に進んで御座います。京・近江・大和・紀伊それから遠国の領地も特に変化は御座いませぬ」



「それは何よりだ。では、尾張の様子は?」

「尾張斉藤家に男子が生まれた様で御座いまする。この九月の事の様で」」


「なに、男子が、生まれた、何処かからの養子か?」

「それが、どうやら帰蝶様ご自身が産んだと」


「なんと・・・父親は誰だ?」

「父親は分かりませぬ。名前は彦次郎とつけたようで・」


「彦次郎か・・・分からぬ」

「はい。何も分かりませぬ。どうやら家中の者も知らぬようで・」


 帰蝶殿は相変わらず謎のお人よ。

信長とはとっくに夫婦では無くなっていたと聞く。ならば織田の血筋では無かろう。彦次郎か、その名前がヒントとなろうが・・・どうでも良いか。他家のことだ。


「その他には?」

「長島領の浅井家とは親密なようです。飛騨・柴田家とは誼を持ち、佐久間信盛、滝川数正一党が尾張に帰参して斉藤家家臣になっております」


 当然だな、元織田家の大勢の将兵を養うのには飛騨は狭すぎる。



「那古野・武田家は?」


「武田家は木曽から木材を流して船の建造と水軍の編成に躍起です。しかし伊勢からの物資が極端に減り、信玄殿は病で寝込んでおるとかで街には活気がありませぬ」


 武田信玄は持って数年、しかも寝たり起きたりの後年だ。無理して出陣すれば命を落とす運命がまっている。その前に毛利元就・島津貴久・北条氏康も逝く。一年足らずの間に歴史に名を残す巨人が亡くなるのだ。うむ、今度陸奥にいくときには氏康殿に会って行くか、氏康殿亡き後の北条家か・・・


「徳川家はどうだ?」


「伊勢商人が逃げ込んだ徳川領常滑は、空前の活気で徳川家は潤い物資を蓄えて遠州を伺っています」


 遠州・朝比奈領は発展しているが、力を増やした徳川家に対抗出来るか・・・

 徳川が東に兵を動かすと同盟を結んだとはいえ、武田家が目の前にぶら下がるおいしい常滑に手を出さぬとも限らぬ・・・

 武田家が常滑を襲えば、斉藤家はどう出る? 謎のお方は何を考えているのか不気味だな。それに伊勢が絡む、武田-北畠は海賊衆を抜かれて関税で応酬の冷戦状態だ、その北畠が熊野丸を手に入れれば信玄入道はどうする?


 詰まるところ尾張・三河・遠州の情勢は、何か一つの動きでひっくり返りそうだ。裏では相当数の忍びが暗躍していそうだな・・・

 桑名羽津湊を津田船団の母港として水軍の常駐部隊を置いているから山中国に影響は無かろうと思うが・・・



「尾張向けの商いはどうか?」


「尾張斉藤家には浅井家や津島衆を通して桑名から物品が豊富に流れています。那古野は桑名に武田商人が新たに進出して、三河からも物品が流れております」


「ふむ。商人の動きも以前とは変わったか」

「はい、武士の動きと連動して商いの動きも変わってきておりまする」


「なるほどなあ・・・」


「ところで大将、これから大和にお帰りですか?」

「うむ。女房殿の顔を見にな」

「お方様ならこちらにおいでになりますぞ」

「なにゅ・・・」


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