第311話・国府軍 出陣!


永禄十一年(1569)八月多賀城


 留守葛西との戦からふた月近くが過ぎた。

 東の葛西領との堺・鳴瀬川まで掃討して岩切城・村岡城・余目城などは破却した。花渕城などの小城は破却の手間も無駄で、そのまま放置だ。


 新たに召し抱えた者は百名ほど、百姓・商人・町人が多くその内半分は内政方で兵は五十名だ。

五十の兵は新城定元に預けて旧多賀城付近の開墾をさせている。明石隊・島野隊も一緒だ。新兵採用と共に開墾や街道整備を始めたのだ。氏虎は真柄隊と黒川隊の三十名と共に背後の湊を拡張している。

多賀城普請の指揮は蒲生隊・松山隊で、大崎・黒川・国分から派遣された兵と民を使って進めている。



 新たに召し抱えた内政担当の者ら集めて分かった事だが、陸奥は畿内に比べて識字率が低い。文字の読み書きできる者がかなり少ないのだ。

 そこで城内に手習い所を設けた。武士・小者から町人百姓・女子供から老人まで無料で読み書きと算用を教える。

手習所の長は北畠具房を任命し田村月斎殿を補佐に付けた。指導陣は二人の他に手が空いた将兵や女衆が加わる。俺も時々は指導するつもりだ。


 手習所には普請の為に来ている兵も受け入れた。朝の涼しい一刻ほど学んで、普請場に戻る。無論、新たに山中兵となった者には別に時間を取って教えている。読み書き算用が出来ないと兵として不安だからな。



「さて十蔵。次は国分だな」

「ほんまに。あんとき片を付けられんかったのが痛うおまんな」

「手筈は整っているのだろう?」

「へえ。あとは山下に命じるだけでんな」

「ならばやろう」

「やりまひょか」




 数日後の多賀城 田村月斎


「本日の手習いはこれで終いじゃ。みな時間をみつけて復すようにな」

「「ありがとう。じい先生! 」」


 手習い。某の朝受け持ちが終わった、今日は子供らで賑やかだったわい。あとは夕刻前に半刻、二回の講義がある。それまで海岸で釣りでもするかな。


 ここにいれば寝るところはあるし退屈もしない、女衆が賄いをしてくれるので食事の心配もない。普請兵の食事は国人衆持ちだという建前だが、実際は普請場にいる者全てに飯が出る。無論、各国人衆は米や菜・魚などを持ち寄り厨場に納め、また賄いする者を連れて来て手伝わせている。


 厨は塩釜や七ヶ浜から大勢の女衆が来て働いている。それを仕切っているのが山中国の女衆だ。何故か多賀城にいる者らは山中家というよりは山中国と呼ぶことが多い。恐らくは山中という纏まりは、家という小さな物では無いと言うことだろう。感覚では分かる、分かるがまだ山中国の大きさは想像出来ずにいる。


 多賀城普請場に来てはやふた月だ。

すぐに起こった留守との戦の後は人の動きが慌ただしくなった。留守領が国府領となり民の手伝いも増えたし、新たに山中国に奉公する者が大勢訪れたのだ。


 ここは何故か居心地良いが、日がな一日ブラブラしてタダ飯喰らうのも気が引ける。かといって普請仕事が出来る年でも無い、代官殿に何か手伝えることが無いかと言ったら、手習い所の指導を頼まれたのだ。


 兵や民で読み書き出来る者が少ないのを知った代官殿は、二の郭に手習い所を設けたのだ。兵は元より老人子供から女衆までタダで読み書きと算用を教えている。

三十名も入れる屋根掛けが二つ、半刻ずつの入替で朝から晩まで。つまり朝八回、昼から八回の一日十六回、四百八十名の手習いだ。さすがに山中国だ規模が大きい。

その中から某は朝と夕の四回の指導を受け持った。手習い所の長は北畠様だ。某はその補佐を承った、人付き合いが苦手な北畠様に代り指導陣の編成などをしている。これも年の功じゃな。

大勢必要な指導陣には、山中兵や女衆も加わっている。なんと畿内から来た者らは、女衆を含めて全員が文字や算用ができるのだ。

おそれいるわ。


 某にも給金が支払われた。一日の講義が百文、三日続けて一日休みじゃ。月に二十日二貫文に補佐役料一貫文の三貫文じゃ。給金、きらきら輝く山中硬貨を貰ったときは単純に嬉しかったぞな。


・・・あ、山中硬貨は山中国で作っているのじゃな。商人が強く欲しているが山間の田村領ではなかなか手に入らぬ新貨だ。

・・・そうか、船か。湊に行かなければ両替出来ぬのか。田村から海は、湊は遠いわ。それに比べると山中国は、防人の司として遥か九州や奥州に人員を派遣して、船で広く商いをして日の本全体の銭を作っている。

なるほど、家の範疇を大きく超えているわい・・・





「何者かが必死で駆けて来ます! 」


 赤虎殿に対して生子殿の警告が飛んだ。二の郭の一画にいる木材を刻む者らの手が止まった。

多賀城に詰める山中隊の内、生子隊は実に掴み所の無い隊だ。集まらずにそこここで作業しながら普請場全体の監視をしているようだ。忍びではないがそれに近い動きをしている。聞けば島野隊も同様の動きをするらしい・・・


 どうやら彼らの様な動きをする者達がいるのが山中隊らしい。市中や周辺国の中にもそういう者たちが活動しているようだ。つまり見た目だけの少数勢力では無いのだ。あらゆる情報を掴み操り行動する。おそるべき者達なのだ。


 それが次第に分かってきた。


 普請場の西側に伸びている道、陽炎と土埃が立つ道を杖に縋った人影が向かって来ているのが見える。今にも倒れそうに弱っているのが見て取れる。


「生子、迎えをやれ」

赤虎殿の指示で生子殿が合図をして、普請場から二人が勢い良く駆けて何者かに向かった。



「おう。国分殿では御座らぬか・・」

「げ・月斎どの・・・某は・・・」


 兵に連れて来られたのは、ザンバラ頭に髭が伸び放題、痩せて土埃に塗れた顔、見掛けは随分変わっていたが国分家前当主の国分宗正殿に間違い無かった。


「国分殿、生きておられたか!」

 材木を刻んでいた赤虎殿と騒ぎを知った代官の清水殿が駈けつけて来た。


「あ・赤虎殿、清水殿・・・だ・弾正忠が謀反・・閉じ込められ・・為す術も無く・・・」

と土埃まみれの国分の顔に一筋の涙が落ちた。


「相解った、国分殿。国府代官の某が国分の不忠者を追い払い申そう。将を集めよ。戦じゃ!! 」

「おう! 」



 四半刻もかからずに二の丸に戦装束の者らが集まってきた。堀内・松山・真柄隊の三十名だ。先の戦とは違い筵が被された荷駄が一台引かれている。大崎・黒川の者らも武器(棒と刀)を持って集って来た。

三十名を連れた代官殿は、まず普請作業中の安養寺隊に対峙した。


「安養寺殿、国分宗正殿の要請により我らは弾正忠一派を追い払うことに致した。其方はどうされるか」


「・・・某は新たに当主となった弾正忠に命じられてここに来ておりますが、先殿(宗正)を害する気持ちは御座いませぬ」


「ならば、このまま普請を続けますか」

「如何にも。国分領の事は成り行きに・・いや、全て代官様のご指示に従いまする」


 扶養殿はここで山中隊と触れあい留守家の残兵やその家族への寛大な処遇を知り、彼等に好意を持ったのだ。その上に手習い所に通う兵も多く、国分からの普請役で無く給金が支給される山中兵になりたいと言う者が多い。


「ならば、普請をお願いする。その後の事は改めて相談致そう。それと数日はここで寝泊まりされよ」

「はっ」



 そこに三十兵ほどを整列させた黒川殿が進み出る。


「清水殿、国分にはおそらく伊達家の後詰めが入っておりましょう。黒川勢も陣容にお加え下され」


「相解った。黒川殿のお気持ち有難し。なれど大勢で押し掛けて城に籠もられては時間が掛かろう。故に出陣後、黒川殿は手前で待機して下されよ」

「畏まった」


「者ども、国分殿の要請を受けて国分領から謀反人を追放する。出陣!」

「「おお!! 」」


 清水殿三十と黒川殿三十が勇ましく出陣していった。小泉城に詰める弾正忠の兵は三十ほど、民兵を召集しても五十だ。単独では出陣してくるか微妙なところだが、伊達の後詰めがあれば三十の清水隊を迎撃するだろうな・・・


「杉吉、生子、我等も出よう。新介と島野隊にも知らせよ」

「はっ!」


 どうやら軍師殿も出られるようだ。

 別働隊か、敵に予想外の動きがあるとみられておるのか、

某も行きたい、行って山中隊の戦いを見たいが、夕刻の手習いがある・・・


 うぬぬ。


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