第297話・旅客運送事業。


永禄十一年(1568)新年が無事に明けた。


 二年めになった京都守護所に新しい大名衆が加わった。因幡・武田家、播磨・小寺家、丹波・赤井家、奥州・南部家と常陸・佐竹家の五家だ。


 小寺家・赤井家は松永家の麾下から独立して参加(従属はそのまま)。播磨の別所家は、松永家に臣従して家臣となった。


問題は佐竹家と南部家だ。佐竹家は近隣国との紛争中であり、南部家は安東家と国境を接して紛争中である。両国とも以前の参加条件ではお断り案件だが、京都守護所として参加条件を少し変えたのだ。


それというのは、どうしても国境では紛争が起こり自衛の武力行使は必要だからだ。だからといって都まで争いを持ち込ませたくない。

そこで『紛争中の国は認めない』から『参加国間の武力衝突は避ける』と改めた。

紛争は出来るだけ話し合いで解決する。もし大きな武力衝突が起こった場合は守護所から一旦離れて貰う。さらに京都守護所に参加する意義を示すために連合軍の表明を加えた。

つまり何処かの国が参加国に攻撃を加えたら、参加各国に寄ってたかって反撃されるかもよ。ってこと。



「京都守護所」の目的は、帝都の治安を護る事。


  ●参加国は一万石に一~三名の普請・警備兵を派遣する事。

  ●派遣兵の費用は全て参加国が負担する事。

  ●参加可否は守護所が判断して、基本的に争乱中の国は参加を認めない。

  ●参加国間は友好を図り、武力衝突は避け話し合いで解決する事。

  ●参加国が攻撃された場合、協議の上・連合してこれに当る


永禄十一年一月の参加国。()はおよその石高・万石。


肥前・松浦家(01)、日向・伊東家(20)、豊後・大友家(70)、

安芸・毛利家(80)、備中・三村家(20)、伯耆・武田家(20)、

播磨・小寺家(20)、丹波・赤井家(15)、河内・松永家(100)、

和泉・楠木家(25)、大和・山中家(300)、伊賀・柳生家(25)、

伊勢・北畠家(75)、若狭・武田家(05)、美濃・浅井家(60)、

越前・朝倉家(70)、越後・上杉家(100)、武蔵・北条家(100)、

安房・里見家(05)、常陸・佐竹家(50)、出羽・安東家(25)、

陸奥・南部(九戸)(30)

 会わせて二十二家、一千二百六万石になる。こうして並べて見ると凄いね(^_^)



 しかし石高なんてのは大体で、あんまり当てにはならない。山中国は石高より商いや税の収益の方が遥かに多いしね。

商いで得られる銭を入れるとダントツ上位なのが上杉家だ。商いを奨励して水軍力と北方交易の湊を持つ上杉家は、石高の倍の二百万石相当はあるだろう。


 続くのは神奈川湊で商いに力を入れている北条家だろう。およそ1.5倍の百五十万石ってとこか。

 山中国は大規模普請で目も眩むような銭を使っているが、収益も桁違いだと言っておこう。実はドンドン銭を吐き出さないと、折角市場に出した銭が戻って来て困ってしまう程なのだ。


 そんな状況のなか、性懲りもなく最近始めた事業。

 南から北まで廻船している熊野屋の船で旅客や荷物も運ぶことだ。


つまり全国何処へでも人や荷物を運ぶ物流事業で書付けも運べるから郵便事業でもある。これにより各国から守護所に派遣されている兵たちに故郷から荷物が届く様になった。

それだけで無く、国元からの当座の費用やお手紙も都まで届く。ご家族が天子様のいる京の都見物だってこられるのだ。


 特に他国を通らずに都に来られることは大きなメリットがある。これにより各国の重要人物がよく都に来るようになり、紀湊に出店する大名家が増えた。国元との間で、産物や銭を安全に送られるようになったからな。



 その旅客で来た陸奥の九戸政実殿は、紀湊・栗栖城でひと月も調練をしていったのだ。彼は武術にはかなりの自信があったようだ。それなのに、栗栖城の一般兵に負けて悔しかったらしい。


ちょっと、いやかなりな武術馬鹿な好漢だ。連れて来ていたのは、久慈湊の国人の倅、久慈為信だ。彼は来年大浦へ養子に行くと言っていた。

 そう大浦為信から津軽為信と名を変える男だ。利発で機敏、杉吉に師事してしごかれていた・・・





永禄十一年(1568)三月 大坂 大崎義直


某は京の都の玄関口である摂津・大坂の地に降り立った。

奥州・大崎を出て僅か八日めの事だった。


塩釜湊を発ってから常陸湊-那珂湊-勝浦湊-焼津湊ー羽津湊ー熊野湊-紀湊と立ち寄り大坂に到着した。熊野屋の船は二隻で各湊で人と荷を積み替えながら進んでゆく。随伴の船も同じ様に荷を積み降ろすが、その船は海賊対策に武装した山中水軍の船らしい。


ともかく海賊に出合うことも無く畿内に無事到着した。船旅は馬に揺られることも歩くことも無くただ船に乗っていれば良いので気楽だ。停泊した船内では食事も出るし、立ち寄った湊では船を下りて町を歩くことも出来た。


 勝浦湊からは山中国が領する湊だという。


「山中国」この国の事は船に乗るまで知らなかった。

 ここ十年程で畿内の大和で誕生して瞬く間に畿内を席捲した国だという。領国は大和・紀伊・近江の他に日の本の各地に点在して商いを進めて、遥か南蛮にも進出しているという。

 奥州山間の大崎領で生きてきた某にはとても考えられぬ事だ。


 北勢・羽津湊はそれまでと違う大きな湊だ。数千の兵士が暮らす城と湊が一緒になった軍港だ。商人や民の姿も多い。港には山中水軍の船が複数並んで尾張に備えているという。

 織田家が領していた尾張は、織田が滅んで斉藤・武田・浅井・徳川が四家が進出して予断を許さぬ状況らしい。


 熊野湊の巨大さに度肝を抜かれて、紀湊の殷賑さは夢を見ている様だった。とても日の本の国とは思われぬ風景が広がっていた。この光景を大崎家の者に話しても恐らく信じて貰えないだろう。


大坂は見た事も無い大普請の最中だ。

海上には石や土を積んだ無数の船が行き交い、陸上では荷を満載した荷駄と数万の人夫の群れが汗を流している。聞けばその殆どが山中国の兵だという。

 某も伴の者らも、その様子をただ呆気にとられて眺めていた。


 大坂からは乗合い馬車に乗って京の都に入った。

 目的地の京都守護所を訪ねて用件を伝えると、守護所総裁の十市殿との面会が叶った。

 守護所の入り口に諸国の国名が書かれた大札が掛けられて、その横には朱色と黒字で書かれた名札が並んでいる。

国によって名札の数が違い、一番端が肥前松浦家、日向伊東家、豊後大友家、安芸毛利家と続いている。松浦家の名札は一枚だが、大友家は四枚並び大和山中家は一番多く十二枚だ。一枚のところが多い。国の数は想像以上に多かった。因幡・播磨・丹波・美濃・越前・越後・武蔵に安房・・・


「おお・・」

 思わず声が出た。常陸佐竹家、出羽安東家に陸奥南部家もあるでは無いか。


 奥羽からも京都守護所に参加しているとは知らなんだわ・・・


 ・そ・そうか、海だ。湊があるから熊野屋の船が来る。熊野屋を通じて情報が流れているのだ。大崎領は海の無い山間の地だからな。

 宿敵の葛西家が無くて良かった・・・伊達家も無いのが救いだ・・・



「将はおよそ五十名を率いる長で、黒字が勤め中で赤字が非番で御座る」

「おわっ・」


 思わず考えに沈み込んで、人が来ているのを気付かなかった・・・



「失礼仕った。大崎殿で御座るか?」


「はい。某、元奥州探題・大崎義直と申す。京都守護所の存在を聞き知り、国元の事を相談致すべく熊野屋の船で参った次第」


「京都守護所・総裁を務めまする十市遠勝で御座る。遠路遙々ご苦労で御座ったな。さて国元の事の相談とは如何なる事で御座りますか?」

と、十市殿は不審げに頭を捻った。


 さもあらん。


奥州から遠路遙々畿内に来て、某もおのれの相談事がここでは場違いであろう事には気付いていた。

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