第296話・関税。
永禄十一年(1568)二月大和多聞城
また新しい年を無事に迎える事が出来た。
今年は年明け早々に嬉しいことがあった。次男が生まれたのだ。名前は勿論、次郞だ。
百合葉三十三、太郎は七歳、花鼓五つみな元気いっぱいだ。俺は・・・四十六だ・ぐはっ・・・
ちなみに重鎮らの年は、十蔵は五十で新介は三十八、藤内四十四、十市遠勝三十八、松山右近四十六、堀内氏虎四十八だ。そう氏虎は俺より年上なのだ。精神年齢はきっと低いだろうが・・・
大名では楠木正虎三十六、北畠具教四十、柳生宗厳四十一、松永久秀殿六十、刀匠となった結城忠正殿は七十四歳でまだお元気に生きておられる。
俺たちは次第に晩年になってきたのだ。殆どの将の子息は成人して活躍しているので隠居しても良い頃合いだが、山中国は年寄りもこき使う事で有名だ。
ここは要検討だな。創生期は人が少なく仕方無かったが、今はそうでも無い。次代を育て譲る事も必要な事なのだ。
京の普請は、賀茂川の掘削と街道の付け替えの大仕事は終わり建築など細かな普請に移っている。
大坂普請はまだ緒端、若手の将を中心に活気ある普請が続いている。
尾張は織田家が斉藤家と替わって、斉藤帰蝶の下に有力武将が集っている。だが肝心の帰蝶の姿は見えないらしい。小牧山城内に籠もったまま全く表に出ずに消えたが如くだ。
帰蝶さんは何とも謎大きお人なのだ・・・
騒動の時の判断・行動を考えると、周囲の情報を的確に掴んでいただろうと思える。即ち、忍びや探索方の集団、背後にはそういう組織があると言うことだ。或いは嫁入りするときに連れて来たのだろうか、それらが水面下で人を増やして次第に手を広げて侵食していった・・・怖っ
伊勢では、志摩の海賊衆が武田家にはしった。
武田は駿府での水軍編成に失敗して、尾張では躍起になって進めた結果だ。それに対して北畠は武田家への商いに関税を掛けた。
これは武田家が気付かぬうちに徐々に武田家を圧迫してゆくだろう。商人は利に聡い、その商人の武田家離れが進むかも知れない。
尾張・三河・遠州は、伊勢商人が闊歩している地域だ。
彼等の主要な商いは三河木綿や陶器を購入して、道具・武器・炭・竹製品など(殆どが大和製)を売る事だ。尾張を無理に通さなくとも済む。
ちなみに熊野屋(山中国)は、関東・東北など遠隔地に廻船する事で伊勢商人と棲み分けているのだ。これは船の性能もさることながら、山中国が取引する国を選んでいることも関係している。
三河徳川は、常滑を得て税が倍増した。新領地で米も増えた、おまけに熱田湊から移ってきた伊勢商人によって商いが急成長してフィーバーしている。となると狙うのは遠州だ。
今、徳川は虎視眈々と朝比奈領を狙っている。
対して朝比奈国はどうかというと、ここは堅実だ。じっくりと堅実に成長している、だが如何せん寄せ集め感が強い。求心的な強い指導者がいないのだ。
さてどうなることやら。
山中国は勿論、静観だ。他国の争いに手出ししても碌な事にはならない。
それに面倒だ。
永禄十一年(1568)九月 那古野城 武田信玄
どうも具合が悪い。
若い頃より熱が出て鬱する時があったが、それがまた出て来たか・・・
胃の腑が重く、息をするのが苦しく、なんとも気力が湧かないのだ。最近は諸事を馬場に任せて、横になっていることが多い。尾張のまとわりつくような暑さが身に応えたかも知れぬ。
今日は珍しく具合が良く久し振りに城外に出て来た。馬車の中から見る町は目の眩むような陽光に包まれていた。
湊に浮かぶ二隻の関船が競い合うように動いている。一隻は志摩衆が乗ってきた船で、もう一隻はここで建造した船だ。水夫も百名から倍増して二百名の武田水軍だ。湊で調練しているこの水軍が見たかったのだ
「大殿。お体はよろしいので御座るか?」
「うむ。今日は楽でな。早速、我が水軍を見に来たのだ」
「はい、色々御座いましたが、やっとここまで出来申した。この者が海賊衆を束ねる小浜兵衛門で御座ります」
「小浜兵衛門で御座いまする。われら志摩の者をお招き頂き忝う御座いまする」
「兵衛門か。我らの水軍はこれからだ。頼むぞ」
「ははっ」
うーむ。今日は体も楽なうえに念願の水軍を見る事が出来たで気分も良い。このまま体の調子が元に戻ってくれたら良いがな。
義信に家督を譲り隠居したとはいえ、まだ苦労を知らぬ倅達では武田家の先行きに強い不安を感じるのだ。
一刻も早く水軍を充実させて、商いを伸ばし兵站を強化させて中央勢力に比肩できる様にしなければならぬ。
「それにしても馬場、町の様子が以前より寂しく感じられる。儂が伏せっている間に何かあったのか?」
「お気付きになられましたか。実は商家の移転が相次いでおりまする」
「商家が何故移転している?」
「某も不審でしたが調べてみると、どうやら北畠家が熱田湊で商いする伊勢商人の税を引き上げたようで御座る」
「北畠家が・・・何故だ?」
「恐らくは志摩衆を引き抜いた報復かと思われまする」
「報復・・・」
それはいかぬ。そもそも水軍は戦でも使うが、商いを盛んにするのが第一の目的なのだ。それなのに、水軍を作る事によって恨みを買い商いが傾くとは・・・
「伊勢商人はどこに移転しているのだ」
「殆どが徳川領の常滑で御座る」
「常滑か、なるほど」
「お蔭で常滑は空前の活気を呈しているとか。何とも口惜しい事で・・」
むう。いまさら伊勢商人を呼び戻すことは叶わぬだろうな。代わりに甲斐や信濃から別の商人を招くしか無いか。こちらとしても伊勢を通さずに京の都や大坂に直接運べば商いになるだろう。
ここから東海道や東山道で京・大坂は近いからな。ならばいっそ道中にある近江商人を呼ぶか・・・
しかし難儀な事だな。ひとつ出来たかと思えば、違う問題が出て来る。
いっそ、伊勢を制圧するか。今の武田の力を持ってすれば難しい事では無い。五千の兵を一挙に送れば出来るだろう。
だがそれにも船がいる。船無くば海を渡れぬ、関船で乗せられるのは三百名程だ、五千兵を送るのには十七隻も必要だな。
伊勢全土では無く、伊勢大湊だけを抑えれば良いか。それならば少数の兵で取れる。ともかく船と水夫を増やさねばならぬ。
しかし問題は山中国だ。北畠を責めると山中国がどう出るか、隣にあって両国は極めて友好な関係だと言うからな・・・
・・・・・・難儀だ。
いっそ、知多半島を制圧するか、常滑を抑えれば伊勢商人も観念するだろう。だが徳川と事を構えるのならば、一気に決着つけねばなるまい。斉藤家と共に腹背に敵を作る訳には行かぬからな・・・
おお、急に目が回った・・・ちと、外の風に当りすぎたか。熱田の暑苦しさは体に毒だ・・・
「・・城に戻る」
「畏まりました。那古野城に戻ります」
ふう。最近、若くして亡くなった優衣の事を良く想いだす。勝頼の母だ。諏訪の海のようにたおやかでか細く儚い娘だった。あれが呼んでいる気がする。
儂ももう長くは生きられないのかも知れぬ・・・
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