第286話・顕如の旅1。


本願寺第十一世・顕如が大坂本願寺を発ったのは夏の終わりだった。伴は御堂衆の明春と乗賢の二人で目立たぬ僧衣を着ている。


 僧らは、淀川を遡行して京の都に入った。

京都守護所が指揮して大道普請中の都は、そこら中にあった壊れ崩れた家屋が無くなり、路地に溢れ屯していた孤児や浮浪者も消えていた。

広げられた街道は以前とは違う活気が溢れて、普請に励む人夫のお国なまりが賑やかだった。


 変わりゆく都を見物した僧らは、洛外の本願寺派の寺で宿泊して、翌日は東海道を大津から近江に進んだ。近江の海が宇治へと流れ込む瀬田川を渡ると、もう山中国だ。関所はあるが門は無い、街道を監視する役所はあるが役人に調べられる事も無く誰でも通過出来た。

山中国に入った途端に風景が変わる。大きく真っ直ぐに延びている街道と両端に並ぶ店が限りなく続いている。街道を通行する人も途端に増えて、行き交う荷駄も多い。大きな荷馬車が列をなして進み、人が乗る馬車も少なくない。


「明日は、あれに乗ってみましょう」

「畏まりました」


「上人様、本日は石部宿の旅籠の予定です。そこで馬車の手配を致しましょう」

「そうですね。石部宿は近江・山中国の拠点です。さぞ賑やかでしょう」


 僧侶は世の中の情勢を知ることも仕事のひとつだ。その為には新しい事を見聞して経験する必要があった。有力者が行脚する僧を招いて持て成し、諸国の話しを聞くのはこの時代の常である。



「・・・大きいですな」

「まさに。『百聞は一見にしかず』ですね」


 石部宿の手前で、僧らは山手に広がる山中国石部拠点を見上げて動きを止めた。東西十四町(約1.5km)南北十町(1.1km)山を削り八丈ほどに嵩上げした台地の石部拠点の丁度北西の角辺りだ。

 台地の端には柵が打込まれて、それが霞んで消えるほど長大だ。元南近江守護の六角氏の居城の観音寺城が山ごと入るほどの広さだ。


 どれ程の時間が経っただろう、我にかえった僧らは石部宿に入り旅籠を取ると町を散策した。時刻は未の刻、荷を置いたのは夕食付きの旅籠だったが、石部宿の賑わいを前に部屋で寛ぐには少々早かった。


乗合いの馬車は、街道を行く馬車を呼び止めても乗れるが荷馬車屋で行先と費用を交渉できる。それを知った僧らは、石部宿で一番大きいという荷馬車屋を訪ねた。


「ご免。馬車を頼みたいのですが」

「お坊様方、どちらに行きなさる?」


「北勢に出たいのですが・」

「菰野と亀山のどっちかね?」


「出来れば杉峠を越えたいのですが、行けるところまで行って貰えますか。」

「甲津畑から杉峠・根の平峠越えだね。千種まで一人三百文だ」


「・千種まで馬車で行けるのですか?」

「ああ、千種街道は鈴鹿越え一の街道だで。途中の村では旅籠や店が幾つもあるし、整備された道だよ」

「なんと・・」


 千種街道を選んだのは、宗の先人である蓮如上人所縁の地であるからだ。かつて宗派間の抗争で比叡山の圧迫から逃れた蓮如上人は、この山間の炭焼小屋に隠れていたと伝わっている。その相手方の比叡山延暦寺は、今は山中国によって武装放棄されている事が余計に昔日のことを思い出させた。


本願寺派の僧は宗祖の困難を感じるために、この街道を使う事が多かった。僧らが昔歩いた時には山間の寂しい峠道で、山賊が出ないか心配したのだ。まさか馬車に乗ったまま山を越えられるとは思っていなかった。


「上人様、思ったより快適で御座いますね」

「はい。振動も抑えられていて楽です」

「他国では無い物です。さすがは山中国ということですか・」


 翌朝旅籠を出た僧らは、馬車に乗って北に向かった。

街道の真ん中辺りを走る馬車は、早足のまま対抗する馬車と行き違う。初めは驚いたが街道は左右で向かう方向が決められていて、通行する人とも分けられていて不安は無かった。

 歩いたのならば半日(二刻)は掛かる四里半先の近江八幡に、半刻ほどで着く。そこで馬車を乗り換える、馬車は二頭立て十八名乗りから、一頭立て九名乗りと一回り小さくなった。乗り込んだのは顕如ら三人と村人らしき男女三名だ。



「お坊様は千種へ行かれますのか?」

「はい。千種を経て桑名に参ります」


甲津畑から入った一つめの村を出て林間の緩やかな街道に入った時、近江八幡から一緒に乗り合わせた女房らしき者が問うた。


「そうで御座いましたか。わたくしも近江が山中様の領地になってからはこちらに来ておりますが、以前には千種に良く行っていました。」

「拙僧が以前来た時には、杉峠越えに村は無かったのですが、いつ村が出来たのですか?」


「永禄四年の夏、北勢に進出して来た山中様が炭焼と鉱山を薦められてからで御座います」

「・・五年前ですか」

「はい。向村・高昌村・御池村がすぐに出来て、桜村・一反村・水晶村が続きました」


「鈴鹿の山に、五・六村も・」

「はい。千街道沿いの村は六村ですが、山々の間には小さな集落が沢山あります」

「ですが、鈴鹿の山には山賊がいて難儀をすると聞いております」

「いいえ。山中様配下の天狗衆がお山を巡回されており安心です」

「・天狗衆?」

「はい。うちにも泊られた事が御座います。山に慣れた若者達で御座います」


 女房は近江側で一番大きな向村にて旅籠を営んでいると言う。それ故鈴鹿のお山について詳しかった。六角家の観音寺騒動の後、真夜中の街道を山中の軍勢が駆け抜けた時の事など僧らにとって興味深い話をした。


「今度はうちに泊っていって下さいな」

と女房は向村で降りて、静かな道行きとなった。街道に獣は居なかったが、小さな子供達が遊ぶ姿は頻繁に見かけた。そんな子らも山間であるのに貧しい身なりでは無かった。



「お坊様方、次で千種だよ。忘れ物の無えようにな」


「快適でしたよ、御者さんと。ところで、前領主の千種三郎左衛門様の去就はご存じですかな」

「千草の殿様なら今でも元気でさあ。今は神戸の役所にいなさるよ」


「役所・山中国の?」

「おうさ。千種様は近江を建て直すのにたいそう手柄を上げられて、今では山中国北勢の補佐をされてなさるよ」


「・そうですか。千種殿はお元気でしたか・」

「千草と神戸は近い、馬車に乗れば半刻で往復出来るだよ」

「ならば、行ってみましょうかね」


 急ぐ旅では無い。顕如らは千種三郎左衛門の健在を知って、千草で馬車を乗り換えて会いに行った。



「これはお珍しい。顕如様、ようこそ北勢に!」

「はい。お久しぶりで御座います。桑名に向かう途次に千種殿のお名前を思い出して、訪ねた次第です」

「桑名・ひょっとして長島に行きなさる?」

「はい。浅井家の許しが得られましたので」


 御者の言葉通り梅戸の役所にいた千種は僧らを歓迎した。千種邸で一夜語り明かした僧らは翌朝、千種の手配してくれた馬車で桑名湊に向かった。


 僧らの旅は廻国修行の意味合いが強かったが、その目的が幾つかあった。第一が長島で亡くなった宗徒の供養で事前に浅井家に願い、許しを得ていた。これも長島が織田領から浅井領になったから行える事であった。


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