第285話・尾張分割。


永禄九年十一月 尾張熱田・武田信玄


 豊かな土地だ。


 熱田社を参詣して湊や街を見分した。湊に浮かぶ船は多く街道を行き交う人々にも活気がある、ここの賑わいは駿府の比では無い。

思った以上に上手く行ったな。これだけの領地をほぼ無傷で手に入れたのだ・・・


 織田が加賀へ侵攻して大敗したという知らせを受けてすぐに策を練った。伊那から軍勢を南下させて、周辺を制圧しながら足助宿で止めた。

 織田勢は当然の様に国境の城に兵を集めて迎撃の構えを見せた。ただ織田方には各地に籠める十分な兵がおらず、小牧山城を守る構えになっていた。

その情勢をみて騎馬隊で敵地の奥深くに一気に侵入したのだ。街道沿いの岩崎城や末森城は元より那古野城・古渡城には僅かな守兵しかいなかった


「信春・昌景に昌続、見事な進軍だったな。織田方の様子はどうか?」

「清洲口や各地の渡しは兵を出して警戒しておりますが、名護屋奪回の動きは御座りませぬ」


「御屋形様、今の織田ならば一気に蹴散らすことが出来ますぞ」

「左様。土屋の申す通り、兵は少なく柴田・滝川・佐久間という名だたる大将は居りませぬ」


「信長は味方を撃ち殺して自軍を崩壊させた。正気とは思えぬ所業だな。だがな、浅井は拙い。軍が強力な上に自領に近い、二万ほどの兵はすぐに出て来るであろう。それになによりも京都守護所の一員である」


「はい。それに織田の新たな家老となった丹羽秀吉という男は、策士です。実に大胆な手を打ってきます。一揆討伐で荒廃した長島といえども、他家にあっさりと領地を譲渡して出兵させるとは・・・」

「ともかく織田も浅井も捨て置け。今は領地を掌握して商いを推し進めよ」

「「はっ」」


 甲斐・駿府を義信に飯富虎昌と穴山信君・小山田信茂らを付けて、諏訪を勝頼に信濃を高坂昌信、伊那を秋山信友に任せて、儂は当分の間ここ名護屋に居ることにする。

 ここで船頭を集めて船を作り武田水軍を作るのだ。その船で畿内と商いをする。山中国に少しでも追いつかねばならぬ。


(守護所への派遣が認められなかったのが幸いだったわい・)

 守護所が出来たとき、賛同して手を上げたが断られたのだ。領国に紛争無き事が条件だからだ。もし参加しておれば侵攻出来なかったかも知れぬ。

 紀湊に武田の店を出して依頼、火縄銃や玉薬などと共に各国の情報を手に入れている。それにより改めて山中国の武力や経済力の大きさを見せつけられている。甲斐・信濃・駿州に伊那・南尾張を手に入れた今でも、山中国との差は大人と子供より大きい。


(もし、守護所参加国と事を構えれば只では済まぬ・・・)

 つまり武田はここより西には進めない。織田ならば良いが浅井は拙い、松平なら良かろうが朝比奈は拙いと信玄は思っていた。




清洲城 丹羽秀吉


「御家老様、どえらいことになりましたな」

「あぐぅ、名護屋に信玄公がおっちゃあ、どにもならんちゃ・」


 武田軍の侵攻であっという間に名護屋を奪われただ。国境近くの三城で足止めして、掻き集めた兵で挟撃するつもりがあっさりと無視されて名護屋城に進まれただ。どの城も僅かな兵しかおらなんだが、騎馬隊の動きにはついて行けんもんで仕方無かった。

んなもんで、熱田の街や信長様が育った古渡城やおっかあのいる中村村や豪勢な丹羽屋敷もなんもかんも武田領となっただ。


 えらいこっちゃ・・・


しかし、なってしもうたもんはしょうがなか。要は他の領地をどう維持するかじゃ。そこで長島と輪中を浅井家に譲渡して出兵して貰うた。いくら同盟が有るとはいえ只では出兵を願えぬ、そして最早織田家にはそれに見合う器量は無いだ。無い袖は振れぬ。それに長島は織田家の忌み地だもんで皆が嫌おうし譲っても良かろうず。


 その事は、御屋形様もお許しになられた。てか、御屋形様は武田軍迎撃に出て泡食って逃げ帰っただけだ。何もしておらぬ・・いや、松平家に対して強硬な態度を取って裏切させた逆功がある、面と向かって言えないが、今言っておく。


 阿呆か・・・


 小牧山城に籠もった御屋形様は与力の明智に面倒を見させて、犬山城は峰屋殿、佐々と前田は武田との境界の守備だ。わしが居る清洲城の守備は池田恒興殿二千五百を当て、その南の津島は盟友の蜂須賀に任せた。

 大分狭くなったが、織田領全てはわしが差配している。ぐへへ。


 さて、今宵も脂の乗った年増の肌を楽しもうかいな。




 尾張長島 浅井家・磯野員昌


「いっせーのう、ヨイショ」

「ヨイショ、ヨイショ」


 長島では浅井家の築城真っ盛りだ。次々と流れてくる材木を運び、並べて加工する鋸や鑿の音、組上げられてゆく人足の声の間から、槌音が高らかに響いている。


 織田家から長島を譲られて、某が二千兵を率いて来た。

まずは兵の寝る仮小屋を皆で作り、その後一千兵が島を警戒をしつつ拠点となる長島城の築城を始めた。

上流から切りだした材木を流しこれを回収して加工して組み立てる。我ら美濃を領する者にとっては、長島は実に便利な地だ。


あとの一千兵は百姓の三男・四男坊を選んで連れて来た。

彼等はここ長島に移植して一家を為すつもりで来た。西美濃浅井領に繋がる輪中と長島は、水が豊富で肥沃な大地で五万石以上はある。以前は数万人が住んでいた良い土地だ。

それを只で貰えるとは信じられない事だった。但し、名護屋にいる武田家の牽制と戦の際には必ず援軍を送る事が織田家との条件だ。



実は「織田家と縁を切ります」とお方様が言われた時、某や数人の将が賛意を表わしたのだ。

だが軍師の竹中殿の反対で消えた。あれが実現しなくて本当に良かったわい・・・もしあれが実現していたら今回の事は無かったのに違いない。

 武田の侵攻により織田家が滅亡して、浅井は恐ろしい武田軍団と領地を接するなんてぞっとするからな・・・


 さすがに竹中殿だな。軍師になられるだけはある。あのお方はずっと先を見ておるのだ。

 これから尾張はどうなろうか・・・




 刈谷城 徳川家康


 織田家から離反して武田家と同盟して尾張を攻めた。苦渋の決断であったが、勢いのある武田軍団に抗う事は出来なかった。後愁を絶つために信長の首を狙ったがまんまと逃げられてしまった。


 だが、陶器の山地である常滑と境川以西の穀物地域と知多半島を制した事で一挙に領国が豊かになったのだ。毎月上がる利益や産物に家臣共は浮かれている様だ。



「殿、今月も銭蔵が一杯に成りそうで御座る」

「分かっておる康忠。そういう事は勘定方か普請方に。そうだ、数正に申せ!」


「殿、稽古相手を所望致す」

「忠勝、何度言ったら分かる。重次にでも頼め。儂は忙しいのだ!」


「殿、百姓共が畑で揉めて御座る」

「康政、訴訟や些事は平岩に申せ。直接儂に持ってくるな!」


 ふう。困った事だ。皆が浮かれて何でもかんでも儂に言ってくる。何度言っても面白がって言ってくるのには嫌になるわ・・・


「殿、」

「なんだ正信、お前もか!」


「・いやいや、そうでは御座らぬ。朝廷より従五位下三河守に叙任されましたぞ!」

「なにぃ、でかした正信。良くやったな!」


 常滑で得た大銭を献上して願ったが、難航していたのだ。それが叶った。


「皆の者、儂は今日から従五位下三河守だ!」

「それは目出度い!」

「御目出度う御座る!」

「三河守様、万歳!」

「「「万歳。万歳。おおーー!」」」


 この時、徳川家康二十四才。まだうら若き青年武将である。貧しき三河で耐え抜いてきた多くの家臣団は、素朴で純心・戦は得意だが細かい事は苦手・直情的な者が多かった。

 つまり家臣団全体が『わちゃわちゃ』していた・・・



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