第248話・争乱の黒幕。


永禄八年十一月下旬


「長兵衛、無事であったか」

「はい。騒動を聞いてすぐに熊野丸に逃げ込みましたので・・・」

「それで良い。店や品物は作りなおす事が出来るが、人を失えばどうにもならんからな」

「有難きお言葉で御座います」


 幸いな事に清水湊の熊野屋は無事だったが、少し間違えば戦火に焼かれている可能性もあったのだ。


 駿州の騒動を聞いた俺は、羽津湊から大和丸で清水湊に来て驚いた。僅かの間に駿河の主が今川から武田に変わっていたのだ。

 絵を描いたのは武田信玄で間違い無い。しばらく動きが無いと思えばこんな事を弄していたのだ。

 しかし見事に嵌まったな。


 今川への義理を大事にする武田義信は、史実では駿河侵攻を考える信玄に謀反を企てて失敗・幽閉されて亡くなるのだ。

嫡子の反乱だ、家臣団にも大きな影響があった。有力家臣団にも粛正の手が延びて心が離れて武田家の力は半減して滅亡への原因を作ったとさえ言われている。

事実、後年織田に攻められたときに大半の家が寝返る。義信寄りで駿州担当だった穴山家は身内で有りながら真っ先に裏切るのだ。


 それを未然に防いで、無傷で駿河を手に入れたのだ。


 つまりこの時代の武田信玄・武田家は、史実より強くしたたかなのだ。

 ちなみに北条家も家臣団の統制を進め、内政に力を注いでいる。上杉家もしかりだ、三つ巴の三国は共に史実より強くしたたかな国になっている。


 誰のせいだ?


 しかし、史実ほど力が無いのが織田家だ。


これは美濃一国を手に入れられなかった事が大きい。尾張と美濃を領すれば、それこそ天下を狙えるほどの領地なのだ。ところが美濃の主要な稲葉山城下と西美濃は浅井領だ。織田家が手にしたのは美濃国の三分の一ほどか。

今の織田家では五万も擁する長島の一揆勢だけで手一杯だろう。それもこれも中途半端に伊那に進軍したせいで、本願寺勢力に火を付けたのだ。


自業自得だな・・・


「殿、大体のところが判明致しました」


 三雲が報告に来たのは入港して二日目の夜だった。


「まず氏真殿は政に関心なく遊興に耽っており、今川家のまつりごとは近衆の三浦義鎮に丸投げ状態でありました。佞臣と評判の三浦は、氏真祖母の寿桂尼を取り込むことで老臣を抑えておりました」

「ふむ」


「三浦は安倍川上流の金山の役目を、安倍衆から身内の者に強引に移譲しており、それに不服な安倍衆との間に諍いがあったようです。そこで安倍衆は当主への直談判に及んだ。これが巷で知られておる事情で御座います」

「うむ」


「さて、安倍衆の兵の半数は傭兵だったようで、今川館を逃げ出した彼等は煙と消えてその行方は分かりませなんだ。我らの手の者が追いましたが、上流から下ってくる無数の武田軍で見失ったという報告が御座る」

「・・・ふむ」


「流れている噂では、今川館への強訴をして上流に逃げた安倍衆の兵は、馬場隊によって討ち取られて、生存した者は皆無と」

「・・・うむ」


「その前に遠州の松平軍の大攻勢に、天竜川を下ってきた多数の兵がいたらしいと」


「ふむ。大体は儂の予想通りだな。争乱を主導したのは信玄と信虎で、恐らくは武田の手の者が安倍衆の傭兵に加わり、強引に争いに持ち込み寿桂尼と氏真を殺した。生き残って今川館を逃げ出した兵も、その者らが馬場隊と共に口封じをした。天竜川を下ってきた兵は武田の兵だろう、武田は松平と手を組み今回の事を仕組んだ」


「左様で御座ります。伊那大島城には松平の者が出入りして御座いました。それと織田家の者も見かけられたと、」


「ふむ、織田も伊那を放棄して足元の長島を制圧する気になったかな。北条はどうなった?」

「富士川まで兵を出しておりましたが、武田軍が早川殿を丁重に送り届けて撤退したと」


「北条は認めた・・・いや、争いを避けたな」


「そのようで御座る。しかし殿、遠州に孤立した朝比奈泰朝殿や岡部元綱殿らが山中国に支援を求めておりますが、如何致しましょう」


「それよ。遠州には今川の家臣らが、どのくらいいるのか?」


「松平の東進に援軍として出た兵は五千と水軍五百、その内二千ほどが騒動を知り駿府に引き返して残りは前戦に残ったままで御座る」


「つまり、まだ三千程の兵が残って松平と対峙しているのか。出陣した最中に御家が滅んだのだ、それでも良く纏っておられるな・・・」


「左様で御座りまする。それも日頃の今川館の頼りなさと武田の麾下に入るのを躊躇った故で御座ろうと、また朝比奈殿の存在の大きさもあろうかと」


「うむ、しかしそれも背後の駿府・武田の動きによってか大きく変わるな・・・」


「殿、朝比奈・岡部はまことに骨のある者で御座る。さらに熊野屋のお得意様で御座れば、我らが何とか手助け致せぬかと・・・」


 うむむ、三雲が願ってきたな。珍しい事だ。

しかし何とかせよと言っても朝比奈と懇意なのは山中国では無くて商人の熊野屋だからな。山中国は傭兵稼業をしないしな・・・・・・


「殿、何卒山中水軍を遠江に展開頂けませぬか・・・」


「うむ、三雲、言いたいことは分かった。暫し考えさせてくれ」

「はっ」



 武田は松平と組んで遠江に攻勢をかけた。天竜か大井川か、制圧後の両家の線引きを決めているに違いない。

だが恐らくはそれは守られない、破るのは武田だ。駿府制圧の後、武田は遠江全土制圧を狙うだろう。そうなれば松平など敵では無いからな。


 故に駿府制圧が成った今は、松平への援軍を引き上げる。そうなると一向一揆で足元が揺らぐ松平も適当なところで兵を引く。

 武田としても援軍で駿府に出た以上は、強引に遠江に侵攻しづらい。もし侵攻すれば北条が黙っておらぬからな。


 と言う事は、一時を凌げば遠江には時間が出来るか・・・



「よし。今川家の清水湊で営業していた熊野屋は、今川家が滅んだ事で旧今川領である遠江に引っ越す。そしてお得意様の要請と遠江店の安全の為に当分の間、大井川の西岸警備を山中水軍が行なう。これでどうだ」

「有難き幸せで御座いまする」


「ならばこの旨を朝比奈殿らに伝えるのだ。同時に三雲も拠点を遠江に移せ」

「畏まりました」


いや、面倒なことになったが仕方がない。大井川の警備は、水軍の南廻り津田船団に任すことになる。


忙しいだろうが頼むぜ、照算。




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