第247話・駿州争乱。


永禄八年十月中旬 遠江掛川城 朝比奈泰朝


「殿、松平の大軍が向かって来ています!」


 またか。このところ松平に押されっぱなしだ。攻めてくる度に国人衆が寝返る。その繰り返しでいつの間にか今川の領地は削られているのだ。


「勢力は?」

「海道を六千兵、北の刑部から二千、さらに二俣では数千が確認されております」


「なんだと、八千もの兵に、さらに数千とはどう言う事だ?」

「分かりませぬ」


「・・・・・・駿府に援軍を要請しろ。松平勢一万以上が攻めて来ている最大限の兵を頼むと」

「はっ、直ちに向かいまする」


 二俣勢は恐らくは織田の援軍か、松平だけでも手に余るのに援軍がいてはどにもならぬ・・・


「全軍で直ちに出陣する。天竜を越えて市野城・頭陀寺城に入る!!」

「「はっ!!」


 遠州の今川勢を掻き集めても四千に足りぬ。周辺には去就分からぬ者がいる為にその全軍を投入するわけには行かぬ。掛川城に五百兵を残し市野城・引間城・頭陀寺城に一千程で入る。

 

「駿府よりの援軍六千、水軍五百が直ちに向かうと!」

「うむ」


 助かったわ。


松平勢八千が各個撃破に来れば、我らはひとたまりも無かったのだ。松平全軍の攻勢に対しては、駿河の援兵が無くば戦えぬ。

佞臣の三浦も松平の脅威には正しい判断をしたな。寿桂尼様の口出しはなかったようだな。

時代遅れの権威を振り回す寿桂尼様の助言があればいつも厄介な事になる。尼様の頭は無敵の今川家が存在しているのだ、国人衆を虫けらのように扱い、そのせいで多くの国人衆が寝返ったのさえ分かっていない・・・






永禄八年十一月 


朱く染まる甲斐躑躅ヶ崎館の門前に、泥汗にまみれた一騎が駆けて来た。それを門番が制して誰何する。


「何事か?」

「駿府に一大事で御座る。至急、義信様にお目通りを!」


「その方は何者か?」

「某、駿府におられる先代・信虎様に仕える佐々木主水で御座る」

「相解った、しばし待たれよ」

 佐々木はすぐに奥御殿の庭に通され、近衆と共に武田義信が縁に出て来た。



「爺殿の使者か・・・駿府に何が起こった?」


「石谷・石貝・石川ら安倍衆が氏真様に強訴の動きありと。今川家の主な兵は遠州に出陣中であり、信虎様はまことに危ういと診て義信様に至急の援軍をと言われており申す」


「む・・・しかし・・・」

「義信様、事は急を要します。ここは国境まで兵を進めて様子をみられるべしかと」


 そう言ったのは武田家随一の宿老で「甲山の猛虎」の異名をもつ義信の傅役・飯富虎昌である。


「分かった虎昌。皆の者、準備を致せ、すぐに出立する。伊那の父上にも使者を走らせよ」

「「はっ」」



 騎馬隊を中心とする援軍五百を義信が指揮して、その夜のうちに躑躅ヶ崎館を出立した。

富士川沿いを南下して南部から駿府に抜ける最短距離の間道を進み、翌未明には国境の峠に到着していた。

そこで休息と朝餉の準備をしている隊に、後続の隊が追いついて騎馬一千に徒五百兵の援軍としては十分な勢になった。



そこに駿府方面からも第二報がもたらされた。


「昨日、安倍衆は五百兵で今川館に強訴し、解散を命じる守備兵と交戦に到りました。その結果、多勢の安倍勢が門を打ち破り館に雪崩れ込みました」

「なんと・・・・・・」


「暴徒と化した安倍衆は、騒動の発端である近衆の三浦義鎮を討ち取り、これを咎めた寿桂尼様も殺害して今川館に立て籠もっております」


「何と寿桂尼様が・・・氏真殿は如何した?」

「氏真様は女衆を逃がして、奥御殿に立て籠もっておられるご様子」


「立て籠もっておられるか・・・叔母御はご無事だろうか」

「お恵様、早川殿は信虎様が保護され御無事です」


 義信の叔母お恵とは、氏真の母で信虎の娘である。早川殿は当主氏真正室で北条氏康の娘だ。ちなみに義信の正室は、氏真の妹・松でこれが甲駿相同盟の骨子である。


「義信様、まだ間に合うかも知れませぬ。ここは一刻も早く今川館を急襲して、氏真殿を救出すべきですぞ!」

「無論だ、虎昌。すぐに騎馬隊で先行する。後続隊の指揮を頼む」

「承知!!」




「打ち掛かれ!!」


 その日のうちに今川館を囲んだ義信は、有無を言わせずに猛然と攻めかかった。

予期せぬ敵に館を占拠した安倍勢は混乱しながら猛然と反撃をする。

だが武田義信は剛勇で知られた猛将の人である。火の出るような攻勢に次第に数を減らした安倍衆は、武田の後続隊の到着を知り蜘蛛の子を散らした様に逃げ去った。



「おお・・・なんという事だ・・・」


 敵が去った後、奥御殿に入った義信は今川当主の氏真の遺体を発見した。折れた槍と全身にある手傷が激しく抗った事を伝えていた。


「おのれー・許さぬ! 安倍衆を一人も逃がさぬ、追撃だ!」


 今川館を飯富虎昌に託して、憤怒の義信は軍勢を引き連れて敵勢を追って安倍川を遡った。

 しかし、長く伸びた安倍川流域の村々を掃討しながらの行軍は時間が掛かった。

その日は一里ほど進んだ所で夜を迎えた。翌日は四里ほど遡った所で一日を終えた。先行していた斥候が思わぬ知らせを持って来たのはその次の日だ。


「援軍が来ます!!」

「何、どこの軍だ?」


「馬場信春殿三千兵が、上流より安倍衆を掃討しながら来ております!」


 父上が寄越された伊那からの援軍か、手間が省けたな・・・・・・

その馬場隊と合流出来たのは二刻後だ。


「義信様、謀反に関わった者は討ち取っておりますぞ」

「信春、ご苦労であった」


「大殿は義信様に、駿府が落ち着くまで滞在せよと仰せで御座る」

「・・・左様か。相解った。まずは義兄を弔わねばなるまい」


 今川氏真の仇を討って凱旋した武田義信は、義弟として今川館で氏真の葬儀を行なった。突然の出来事に驚いた駿州の国人衆らは、取りあえず葬儀に出席し、その後に大半の者が武田義信に臣従を申し出た。


 ここに駿河は武田家の領地となった。


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