第249話・駿州・焼津湊。


永禄八年十二月 焼津湊 津田照算


「よーし、ドンドン運べ、もう少しで終わるぞ!」


 ここ焼津の海に注ぐ瀬戸川を北に広げて湊を造っている。掘り下げた土は虚空蔵山の西麓に積んで拠点とする。その土作業も今日で終わる、明日からは石積み作業が待っている。既に切りだして来た石が山と積み上げられている。


 しかし大将も酷なことをする。

今川が滅び駿府を武田が押さえている。西の遠江は朝比奈殿ら今川家の家臣が松平と戦っている。

その中間である焼津に店を移してさらに拠点を作るというのだ。お得意様の朝比奈殿の要請に応えた形だ。ここ焼津湊に商家保護の為の拠点を作るが、主要街道の東海道を封鎖するわけでは無い。あくまで湊周辺を守備するだけだというのだ、街道は目と鼻の先にあるのにだ。


 ここは山と大井川に囲まれた狭い地域とはいえ、実は阿納尻や勝浦よりも遥か大きく、博多湊とそう変わらぬ広さがある。立地的にも関東への廻船に絶好の地だ。しかも主要街道が通り、山中国が運営すれば間違い無く繁栄する土地だ。


 武田は策を考え苦労して駿河を奪ったと思えば、焼津を山中に奪われたのだ。しかし紀伊から人夫で援軍三百も到着していて、海上には山中水軍の船が多数いるここを、武田は無視出来ないだろう。



 普請場は相変わらず賑やかだ。給金を貰えると知ると大勢の民が働いてくれている。

 体制が変わったことを不安な人々が、大勢府中から来ている。商人と色々な職人や漁師や百姓もいる。武家の者らが多いのは、遠江に出陣中の家族だろうか。武田家に降ることを拒否して遠江に移住しようとしている者が多い。そういう者も山中水軍が守備するここに留まり様子を伺っているようだ。






 伊那大島城 武田信玄


「御屋形様、事は殆ど筋書き通りになったようで、祝着至極」


「ふふふ、さすがは親父殿じゃな。氏真当主の今川家など手玉に取りよるわ」

「その追放した親父殿まで動かす御屋形様も、相当酷なお方で・・・」


「いや、この件は親父殿の方が乗り気じゃったわ、あれがいなくとも問題はなかったがの」


「左様で御座りますか・・・」


「どうした、何か上手くないことがありそうだな?」

「いえ、たいした事では御座らぬが、駿府から遠江に援軍にでた者が戻らぬと」


「御家が滅んでも戻らぬか。それは敵前であるからか?」

「それも御座いましょう。ですが御家が滅んだことで、尚更危機感を持ったようですな」


「それならそれで良かろう。遠江をむざむざと松平に呉れてやる事も無い」


 松平とは遠江を二分する約定だ。だが遠江に今川残党が残ったのは予想外だった、だが武田には却って好都合かも知れぬ。むざむざと遠江を松平に呉れてやる気は無かったからな。


 本願寺に三河一揆の攻勢を願おう。なに、影沢の金山が手に入ったのだ、少々の金を融通しても武田の懐は潤うわ。


「遠江から兵を引き上げさせろ。遠江勢が残ったのは誤算で、かくなる上はそれぞれ東西から遠江を攻略しようと松平に言っておけ」


「承知致しました。あとは焼津湊に引っ越す商家が増えております」


「商家が焼津湊に、それはまた何故だ?」

「新参ながら大きな商いをしていた熊野屋が清水湊から焼津湊に引っ越しまして、それに続こうとする者らがいると言うことで」


「熊野屋は安く丈夫な武器や火縄銃を扱う貴重な店ではないか。当家も贔屓にしていた、その店が引っ越したのか・・・しかし焼津も駿州の内であろう」


「左様ですが、宇津ノ谷峠に阻まれてまだ制圧していない地域です。そこに熊野屋が引っ越して、商家の安全の為に焼津湊周辺を守備するといって山中水軍の船が展開しておりまする。」

「・・・・・・」


 つまり、山中水軍が焼津湊を制圧していると言う事だ。焼津は宇津ノ谷峠と大井川に囲まれた少数の兵で守備できる土地だ。ん・・湊周辺だけといったか・・・


「山中水軍は東海道、藤枝宿や島田宿までは守備していないと?」

「はい、街道は通れまする。ですが湊に拠点を建設中とか」


「拠点とは何か?」

「無数の蔵や宿舎などがある交易船団の拠点です。兵も駐屯していると」


 ・・・蔵屋敷みたいなものか、兵もいる・・・廻船の水夫は兵も兼ねるのだったな。

兵のいる蔵屋敷か・・・城と変わらぬ・・・


「拠点と街道の距離は?」

「およそ一里と」


 一里だと、ならば無視出来る距離では無い、目と鼻の先ではないか。焼津湊の守備範囲だ。

それに熊野屋からは継続して玉薬を入れなければならぬ。織田との戦でも火縄銃が無ければどうなっていたのかは分からぬ。これからの戦に火縄銃は欠かせぬ物だ。

それらの出所は山中国だ。山中国にはどれ程の火縄銃があるのか、数千か、万か・・・そもそも山中国はどれ程の勢力なのだ?


「出浦、山中国とはどれ程の領国と兵力を持っているか?」

「・・・怖れながら詳しい事は分かりませぬが噂なれば・・・」


「噂で構わぬ」

「はっ、本国は大和・紀伊・近江で、筑前・豊前・伊予・備前・若狭・能登・安房の一部も領して数百万石以上の領国で、民には兵役が無く数万の常備兵と万に近い水軍を持っていると聞いておりまする。乱派・素波・忍び衆も桁違いに多く女のみの隊もあると」


「む・・・」


 兵役が無い、数万の兵に水軍か、数百万石か、どれを聞いても太刀打ち出来ぬな。火縄銃も万単位で装備していよう・・・



「ならば、当分の間、宇津ノ谷峠より西は放置せよ。山中水軍を刺激するな。まずは府中の治政と富士郡・駿東郡の制圧が先だ」

「畏まりました」



ともかくにも、やっと念願の海を手に入れたのだ。船を建造して商いを奨励して富国に邁進すべしだ。甲斐からも進出する商人が増えるだろう。

 拙速に動いて北条やら山中を刺激するのはまずい。国力を上げてじっくりと策を練ってからだ。


「御屋形様、山中国を知るのには手立てが御座る」


「どのような手立てだ?」


「はっ。紀伊の紀湊には、琉球・南蛮の国々が大使と呼ばれる重臣を派遣して情報や商いに便宜を計っているとか。これに習って各地の大名も出張所を出しているとか、つい最近では越後も進出した様で御座る」


「国の重臣がいる出張所か・・・」


 うむ、なれば、そこで各地の情報が掴めると言う事か。

まるで山中国が日の本の中心のようなものではないか。

 しかし、武田にとってもそれなりの利はあるようだな・・・



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