第242話・熊野詣記・続編。


 岩田川で水垢離を行うと滝尻王子だ。ここでは芸事を披露する先例があり、主上は歌会を開かれ、麿も末席を汚して拙い言の葉をつないだ。


滝尻王子から近露王子・継桜王子を経て、船坂神社から赤木越えへと歩けば二日かかるところを馬車なら一日、それも山中様の街道整備のたまものだといいます。その日のご宿泊地の湯ノ峯に着いたのは夕闇迫る刻限でした。


山間に硫黄が煙る隠れ里の趣のここは、小栗判官の御話でも有名な古から知られる効能があり熊野詣の湯垢離場としても有名な名湯です。

谷底から湯が沸き上がる野趣溢れる湯壺は如何にも効力がありそうで、この湯に浸かり旅の疲れもすっかりと癒された気がします。

といっても麿はただ船や馬車に揺られたばかりで、苦労して来られた昔の方々に申し訳ないという思いがよぎります。


名湯で身を清めて本日も六名車座となり、夕餉を馳走になる。都ではとても考えられぬこの夕餉の光景も、明日の参詣に備えて酒は無く食事も質素なものでした。


「帝、もはや山一つ・半里ほどで、本宮大社でありまする。如何なされまするか?」


 案内役の木津様は、熊野本宮大社までの最後の行程を馬車で行くか、大日越えを歩いて行くか問われたのです。今までの御行幸で本宮大社まで馬車で訪れた御先例は無く、それを木津様が気にされたのです。


「重右衛門、朕は最後の道をわが足で歩んで行きたい」

「相解りました。ではその様に手配いたしまする」


 一行は本宮大社までの最後の行程・湯の峯から大日越えを自らの足で行く事になった。麿も先達方と同じ様にそうしたかった、主上もそうであられたのだ。

翌朝、揃いの熊野詣衣装に身を包み湯の峯から大汗を掻いて一気に登り、そして下りました、久し振りの山越えに体がふらつきましたが降りた本宮の地で熊野川の流れに入ると、心が清らかになり身が引き締まる思いでした。


 大歳原は神が降臨した地です。荘厳な聖地に皆様の体が震えています。麿もあり得ないような感動と涙が溢れて止まらない、まるで夢の様な心持ちでした。

 なるほど、昔の方々が苦労を重ねながら何度も訪れた心持ちが解りました。




 熊野本宮大社の参詣を終えると、川船でゆったりと新宮に下ります。

天をつくような雄大な岩が並んでいる川岸、青い空と白い参詣装束が映えます。熊野川のたおやかな流れに浸りながら船上で皆様と一緒に詩を詠みました。

昨日の期待に満ちた滝尻王子の時とは違って、今日は深い満足に包まれた気持ちです。駄作ながらなかなか良い詩が詠めたと思っています。



「川下り 我ら一世の 流れかな ただ向かうのは 蒼い海原」


(人の一生は、川の流れの如く引き返せはしない、その辿り着く先は現世より鮮やかであれ)




日が高くなった時刻に、本日の宿泊地の熊野川河口右岸・山中国の熊野拠点に入りました。


ここには山中国の大帆船・熊野丸と大和丸の建造中の造船所があり、入り口には大和山地から切りだした沢山の材木貯水場があります。

その奥には見た事の無い大きな造船所が並んでいて、そこでは沢山の職人達が忙しそうに、気合の入った声を出して働いていました。


この拠点内には、とにかく人が多いのです。

ここは山中水軍の新兵が調練する調練所も兼ねているからですが、数千の人々が常に動いています。山中水軍や熊野屋をはじめとして出入りする船も多く、それに伴って荷駄の動きも活発でまるで祭りのような活気があります。


「主上、皆様方、山中国熊野拠点にようこそお出でくだされました。拙者・当拠点を預かる十市遠勝、これなるは妻・咲月でございまする」


「方仁(みちひと)だ。遠勝、咲月、世話になるぞ」


その日の夕餉は、熊野差配の十市御夫妻が同伴され八名の賑やかな夕餉となりました。尚、難波から田辺へと送って貰った九鬼丸は、既に当たり前の様に熊野拠点に入港していました。




永禄八年三月二十日


  本日は朝早くに対岸に渡り、熊野速玉大社と元宮である神倉神社に参詣した。本日の案内は熊野差配の十市殿です。細やかで興味深い話でしていただける十市殿に従って新宮の町を進みました。


 熊野速玉大社は熊野川沿いにあり、厳かな聖地でした。その僅か西側にある神倉神社は、速玉大社の神が降臨されたという聖地で、源頼朝公が寄進したという五百数段の石段を上がった先の琴引岩がそのご神体でした。


  神倉神社参拝後、馬車は一路那智へと進みます。左には遙かなる大海原を眺めながらの道行きで気分はとても晴やかでした。那智の浜近くの浜宮王子に半刻ほどで着き、しばしの休息のあと、つづら折りの坂を半刻ほど登ると雄大な那智大滝が見えてきました。


 青い空に枝垂れ桜が咲き誇る熊野那智大社の朱い社殿を前に、この旅での最大の喜びを覚え、麿の心もまるで天空に昇華したような心持ちになりました。

 都を出て僅か三日、それで熊野三山を詣でることが出来たとは、これも偏に山中様のお蔭でありまする。




永禄八年三月二十一日


 恙無く熊野三山詣を終えた一行は十市様と別れて、再び大和丸に乗船して帰路につきました。船は南に下り、畿内の最南端の紀伊大島を回り込んで北上します。

帰路も船に慣れぬわれわれの為に小まめに停泊して頂いて、充分な休息をとりながらの船旅です。それのお蔭でだいぶ船に慣れた麿らは、海岸に現われる奇岩・絶景に心をとられながら楽しみました。


「主上、皆様方、よくお出でになられました。わたくしは当城主・堀内氏虎が妻の由紀でございます」


「うん。方仁(みちひと)だ。由紀、世話になるぞ」

「山科言継じゃ。由紀殿、主上の事は「帝」とお呼びされよ」

「由紀様、お世話になりまする万里小路輔房です。麿は一行の使いっ走りにて同行しております」


 山中家水軍大将の堀内氏虎様の室・由紀様はまだお若くお美しい御方です。いまだ独り身の麿は、なんだか羨ましい気持ちでした。



「さて皆様、ご無事に熊野三山の参詣をなされました。今宵はそのお祝いに海の幸など用意しておりますれば、ご堪能下されたく」


 木津様の口上で夕餉・いや宴の食べ物が運ばれて来ました。湊ならではの新鮮な魚介類の数々は、都では目にも口にも出来ぬ物ばかりでまさにほっぺが落ちる様な美味しさでした。お酒も勿論美味しく、お腹いっぱい堪能しました。


「帝、明日は紀湊に。明後日は五條を経由して南都に入りまする。これで宜しいでしょうか。ご要望があれば高野山など向かいまするが」


「予定通りで良い。高野山には又の機会としよう」

「畏まりました」


 復路は紀湊で御宿泊、山中国内を移動して南都では山中様のおられる多聞城に招かれている。白亜のお城・多聞城、麿は見た事があるがまことに美しいお城である。主上の驚かれるお姿が楽しみです。


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