第234話・忘備録。


 永禄七年十月 出雲月山富田城周辺・毛利元就


 ・・・また冬が来るな。

 郡山城を経ってから幾度目の冬かのう・・・その間には様々な事があった。大友との和睦に隆元の死、六角家が滅び将軍家も討たれた。畿内を席捲した三好は越後の上杉に追い払われて、その後を松永が制した。

儂が出雲の山間で時を費やしているうちに、畿内の情勢が大きく変わったようだ。


 しかし体調が優れぬ、このところずっと寝たり起きたりの毎日で、このままここで朽ち果てるやも知れぬ・・・例えそうであっても、あの忌まわしい月山富田城だけは落とす。命に変えてもだ。



「大殿、豊前門司城・松山城より問い合わせが来ておりまする」

「ぬっ、問い合わせとは何ぞや?」


 報告でも伝令でも無く問い合わせとは奇怪な?


「はっ、大友が朝廷の意向を汲んで、筑前と豊前北部を防人の司の山中国に移譲したようで、毛利領の国人衆や民が動揺しており、どうしたら良いかと・・・」


「・・・大友の話は真か?」

「はい。高橋や秋月などの有力国人衆が山中国に従っておりまする」


「門司城や松山城に攻撃はあるか?」

「いいえ。山中国の栄山と申す僧が帝の御意向だと諭しに来たようですが、攻撃などは一切無いと」


 最近、山中の支配領では山中家と呼ばずに山中国と言うそうだ。一つの家では無くて一つの国だ。気宇壮大だが毛利はやはり毛利家というのが良い。


「恵瓊、栄山坊とは何者か?」

「山中国の外交僧で、根来寺を無血開城させ、安房の里見家との折衝をこなしたと聞いております」


「ふむ、大物よのう。その御坊が帝の御意向を謳っておるか・・・」

「はい。どうやら大友へ朝廷の使者が派遣された結果のようで御座りまする」


「むっ、朝廷からの使者が領地の委譲を迫ったか、何があったか・・・」

「それは分かりかねまするが、よほどの事ですな」


「ならば恵瓊、其方が栄山坊に会い、話を聞いて来てくれ」

「畏まりました」




「大殿、おおよその事情が分かりました」

「話してくれ」


 筑前に向かった安国寺恵瓊が戻ってきたのは、しばらく経った後だ。


「三好義興・長慶父子の死に大友家の元家臣と宣教師、そして公方様が加わっていたと。それで大友の関与が疑われ朝廷の詰問者が送られたと、太宰の権師・近衛家の使者だったようで」


「太宰の権師・・・ふむ、そういう事か。で、山中国はそれについてどう思っておったな?」

「山中殿も驚いた様子でしきりに面倒だと言っておったとか。栄山坊が派遣されたのは武力を使うつもりは無いからだと・・・」


「・・・面倒か、たしかに豊前は面倒であろうな。ふむ、山中国となった博多湊は以前より発展しているようだな」

「左様、それで筑前全体も豊かになりつつあるようで」


「筑前に比べて、わが領内はどうだったな?」

「それは、戦続きで疲弊しておりますな」

「・・・」


「恵瓊、そのほう山中国を見た事があるか?」

「拙僧はこの度の御用で博多湊を見て参りましたが、畿内の山中領に入った事は御座いませぬ」


「敵を知るのが肝要じゃ。隆景、恵瓊と共に山中国を見て参れ」

「某が・・・分かり申した」


 こうして毛利の月山富田城包囲網の中から、小早川隆景と安国寺恵瓊が山中国の見物に向かった。




 永禄七年十一月 小田原城 北条氏康


 越後上杉家より関東管領を某に譲り和睦したいとの提案があった。

 それを受けて、重臣どもの喧々諤々とした評定が続いておる。まったく我が家の事ながら長い評定には嫌になるわ。そろそろ片を付けるか。


「決を取る。越後の和睦に賛同する者」


 うむ、半数以上が賛同しておるな。


「ならば、越後と和睦を進めるで良いな」

「お・お待ち下され、殿。某和睦には同意致しまするが、当家が上杉姓に成るのは反対でありまする」

と、重臣の松田が言い募る。


「儂もそう思う。和睦は良いが関東管領など無用、そんなものは争いの種じゃ」

「だが殿、長尾が上杉の名を捨てぬ限り関東管領として出て来ざるを得なくなると思われますが」


「ならば、和睦の条件に長尾が関東管領を返上する事を入れよう。それで良いか?」

「「ははっ」」




大和多聞城 山中勇三郎


「ち・ちち・・ぅぇ」

「おう、花鼓、喋ったな!」

「まあ、やったわね。花鼓!」


 一つを過ぎた娘から初めて呼ばれ感激だ。百合葉も大喜びしている。うん、ヨチヨチと歩く姿と小さな手が堪らなく愛おしい・・・

 こんな幸せが俺にあって良いのか不安だが何時までも続いてほしいものだ。


「百合葉・・・」

「はい、?」


「年が明けたら帝にお目にかかりに京に行く。そなたも一緒だ」

「そうで御座いますか。わたくしが何故?」


「帝に拝謁するというのは公の行事だ、そういうことは夫婦揃って行くものとしたい」

「・・・分かりました」


「華隊も連れてゆく。皆に煌びやかな衣装を揃えて欲しい」

「畏まりました」


俺は今まで京に入る事を避けていたが、遂に年貢の納め時だ。来年には帝に拝謁するために京に向かうことになった。山中国では今、そのための準備に入ている。




山中勇三郎 忘備録


永禄七年 松永殿の申し出により麾下を解消して友好国となる。

廻船業では、駿府清水湊、武蔵神奈川湊に店を構えて、安房・勝浦湊を制圧して拠点と成す。里見家とは鏡ヶ浦湾に船を派遣して商いをする事にした。

 九州南部は島津と肝付・伊東連合の戦があり、山中国が売った熊野丸を擁した肝付・伊東水軍が薩摩水軍を打ち破り優位。南信濃では織田軍と武田軍が戦闘中。


 七月に三好長慶殿が亡くなる。

それは宣教師ガスパルに同行した元大友家臣の藪野某が将軍家と謀った仕業で、某はその事実を広く知らしめ三好が将軍家を討つ永禄の変が史実より早く起きた。

 信濃川中島で武田軍と和戦を結び撤退中の上杉輝虎がそれを知り、そのまま三千の部隊と共に上京して来た。折しも国を二分して戦闘中の越前・朝倉景鏡を粉砕、松永殿などを加えた追討軍を組織して三好を畿内から追い払う。


  畿内にあった三好家の城は松永殿が接収した。松永殿と丹波衆の和睦交渉が進んでいる、これで畿内は平穏を取り戻す事が期待できよう。唯一の問題が河内と尾張長島の一向宗と比叡山なり、宗教勢力は厄介で松永殿の手腕を期待す。


 永禄七年 大晦日 山中勇三郎




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