第233話・龍の悩み。
永禄七年九月 大和多聞城
「大将、大友が筑前と豊前北部を移譲すると言ってきておりますが・・・」
「・・・そうか」
北九州が揺れると山中も忙しくなる。これは朝廷に大友家の責を言い付けた結果だな。・・・自業自得か。
「十蔵。お主も畿内ばかりに籠もって疲れるだろう。ここは一つ九州に行って羽を伸ばさないか?」
「嫌でおます」
「何故?」
「そりゃあ大将が面倒くさい事を丸投げしようとしてるからで」
「バレたか・・・」
「見え見えでんねん」
「ぬぬ、他に適任はおらぬか?」
「豊前には毛利領がおますが、戦をするわけとは違いますな」
「左様、だが武人としての見栄えと細やかな治政、粘り強い折衝が出来る者がいるな」
「難しいおますな」
「だから聞いておる」
「一人では無く、差配の富田と高橋ら国人衆に任せて、折衝は栄山殿に頼めばどうでっか」
「栄山か、うむ名案だ。さすが二百万石の筆頭家老殿だ」
「うひゃっひゃっ」
「伊那・飯田城は織田が奪ったそうだな」
「へえ、援軍で駆け付けた鉄砲隊と浅井隊の機転ですな。ですが負傷者は織田方が圧倒的に多く、下伊那の各地も武田方に奪い返されましたそうな」
「木曽路では、妻籠城が武田方に奪い返された」
「それで、恵那郷も危うくなり織田本隊は一旦後退しましたな」
「だが尾張・三河では一向一揆の勢いが増して、信長は尾張に戻らざるを得なかったな」
「へえ、信玄殿の策略でんな。織田と武田、いったいどっちが勝っているのか、さっぱり分かりまへん」
兵数は織田が若干上回る。兵が強いのは武田で、経済的には織田が上。重要なのが織田には浅井・松平の軍事同盟がある。対して三国同盟と信濃での上杉との和戦で武田は織田に集中出来る。
戦場で兵を自由自在に操る武田信玄はまだまだ元気なのだ。物量で押しても織田は苦しかろう。
さて、どうなることやら。
「ところで大将。帝から上洛せよとの強い要望が来ておりますが」
「ぐわ・・・」
ま・まずい。今上京するととんでもない事を言い付けられるのに決まっている。
「十蔵、俺は寝たきりの病人だぞ・・・」
「その言い訳も、大概バレておりますようでっせ」
「ぐわぁ・・・」
「そろそろ御観念を・・・」
「むうっ・・・」
”申し上げます。越後の上杉殿が殿にお会いしたいと来られておりまする”
「そうか。お通しせよ」
「はっ」
上杉の一行を柳生殿が案内して、紀湊からこちらに向かって来ているのは承知していた。さて、最強伝説の上杉謙信とはどういう男かな・・・
「初めてお目に掛りまする。越後守護・関東管領・上杉輝虎で御座る」
「上杉殿、遠路遙々よく起こし下されたな。某が山中勇三郎で御座る」
後に上杉謙信と名乗る男は、背が高くて痩せ形・小顔の中に光る鋭い目つきはまるで猛禽類のような印象を受ける。年は俺と同じくらいの三十路だな・・・
「某、上杉家家臣・宇佐美定満で御座いまする」
「宇佐美殿か、越後で誉れ高い軍師の御名は聞いておりますぞ」
宇佐美殿はかなり年上だな、五十路か・・・
「我ら紀湊から五条・橿原と見物させて頂き、御当家には大層厄介になり申した。まずはその御礼を申し上げる」
「礼の言葉、たしかに承った」
一行は栗栖城と橿原城に一泊して、山中家から複数の案内の者も出した、その礼の言葉を受け取っておく。
「某、噂に聞く山中国がこれ程までに発展した国とは知り申さなんだ。それが僅か数年で為し得たとは輝虎、心から恐れ入り申した」
「某の力では無い、ひとえに家臣や領民らが一致協力してくれたお蔭である」
「ご謙遜を。実は上杉輝虎、山中様にお願いの儀があって参上致しました」
「願いとは?」
「はい、越後でも両替できるようにならないか、と商人から嘆願されておりまする。この事、如何で御座ろうか?」
「・・・・・・」
「・・・」
「山中様、もし何らかの条件があれば教えて頂きたく・・・是非にも」
と、宇佐美殿が平伏して願っている。
しかしな、越後に寄らないのはそれなりの理由があるのだ・・・
「上杉殿、川中島で武田家と和戦なされたのは、民に取っては僥倖であろう」
「は・・・?」
「だが関東ではうち続く戦乱に、人々の暮しは逼迫しておろうな・・・」
「・・・なにを?」
「戦国の世といえ、酷いことだ」
「・・・・・・」
「銭を運ぶのは、武装した船と多くの熟練した水夫がいる。運ぶ経路の整備も含めて考えなければならず、一筋縄ではいかぬが考えてみよう」
「是非ともお願い致す・・・」
越後の国力を考えるとこれ以上経済力が上がるのは好ましくない。だが交流は必要だ、それに上杉は武田や織田のような野心が少ない。ならば佐渡島を山中が抑えて、そこから交流するかと俺は考えていた。
ちなみに佐渡国は本間家が支配しており、まだ金山の発見はしていない。のちに開発される佐渡金山の産出量は日の本一でここを抑える意味は充分にある。
永禄七年十月 越後 春日山城 宇佐美定満
信濃での武田との対峙から、京・摂津・紀州・大和を巡った長い道中からやっと戻って来ていた。
山中国は、まるで異国のように栄えていた。
紀湊から大和多聞城までの賑わいは、近江までも続いていた。全てが我らの想像を遥かに超える大国だ。兵の強さ・装備・兵数・経済力ともに我らでは足元にも及ばぬものだった。日の本にこれ程の国が存在している事が今でも信じられぬほどだ。
それを見聞されて道中後半では、終始無言で考えておられた御屋形様に呼ばれた。
「宇佐美、儂は大和の橿原でつい気まぐれを起こして、民と話したのだ」
「・・・左様でしたか」
「うむ。越後の民と違って、皆がみな嬉しそうに笑っていたからな。興が乗ったのだ」
「それは某も感じておりました」
山中国の民は弾けるような笑顔が印象的だった。武家が傍にいても畏まったりはしないのだ。これは越後では考えられない事だった。
「その民は、道端で団子を売っていたのだ。聞けば百姓の傍らにこうして物売りなどをしているという。そこで暮しはどうだと聞いたのだ。するとな、
”おらの今の暮しは幸せだ。腹いっぱい飯も食え、戦に取られる事もねえし、国の仕事を手伝えば給金を呉れる。最近は蓄えもできただよ”
と言うのだ」
「なるほど・・・」
「それでな、前はそうでは無かったのかと聞いたのだ。
”んだ。前はうち続く戦と略奪で生きた心地など無かった・・・おとうやあんちゃんも戦に取られて戻って来やしねえ。食う物も無く破れたぼろ屋で幼い弟らと膝を抱えて空腹に耐えた日は数え切れねえだ。今思い出してもありゃあ地獄だった”と言うのだ。どう思うな?」
「・・・・・・」
「そうだ。それは今の越後の現状だ。儂は兵を徴集して常に東に西にと戦で駆け回っておる。民に取ってはどれ程の苦難が続いているか。だがまだ越後だからましだろう、これが山中殿の言われる下野ならばもっと悲惨だろう。なにせあそこは三国の狩り場だ」
「まさに・・・」
あの辺一帯の窮状は酷いものだ。親のいない子らが草木を囓り、野垂れ死にした民の死骸が転がっていて目を背ける有様なのだ。
「儂は無垢の民に地獄を与えていたのだ・・・越後でも今幸せだなどという民はおるまい」
「・・・・・・」
「越後は関東では無いのだ。それなのに関東に出陣して引っかき回して帰る。思えば愚かなことを何度もしていた。・・・儂は北条と和睦しようと思う。もう関東には出陣しない」
「それは某も賛成で御座る。戦が無ければ越後の民に安寧を与えられまする」
「関東管領は北条に譲る。それで和睦を進めてくれ」
「畏まりました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます