第232話・想像外の湊。
泉州堺 柳生宗厳
某は尼崎城から上杉殿一行を案内して堺に来ている。
上杉殿は三十騎、某は五騎だけの少数で動きは軽い。上杉隊の残りの兵は、摂津から近江高島に向かい、柳生の兵は水分け街道から柳生に返した。
今は堺の納屋衆・今井の店で珍しい物を見終えて一休みしておるところだ。
「堺とはこのような町であったかな・・・」
「上杉殿、紀湊が出来たことで堺は以前とは違い、落ち着いた趣になっており申す」
「・・・でしたか。たしかに前に訪れた折はもっと賑やかであったな」
「御屋形様、畿内は山中銭が主流で我らの路銀はまとめて両替した方が良い、ここで勘定すると割損だと申しております」
上杉殿が選んだ物品の勘定をしていた者だ。彼らの持って来た路銀は銅銭に金や銀の小粒で、ここで勘定すれば手数料が二重に掛ると言う事だ。
「柳生殿、ここで両替出来ようか?」
「いいえ。ここ(堺」ならば、泉屋で両替出来申す」
「ならば行って参れ」
「はっ」
「御屋形様、越後でも両替出来る様にならぬか、と商人から嘆願が出ておりましたな。山中硬貨に両替出来ぬと越後の商いが停滞すると」
「何故だ、宇佐美、以前のままではいかぬのか?」
「一つに運搬や保管の問題があり申す。以前の銅銭では重く嵩張り悪銭も混じり、その上に絶対量が足りませぬ。また銀の粒や砂金では零れて厄介な上に秤など手間が掛りまする」
「たしかに硬貨に替えれば便利ではある・・・ならば宇佐美、なぜ越後では両替出来ぬのか?」
「それは両替してくれる店が無いからで御座います。両替するには鋳銭所と繋がる必要がありまする。どの店でも出来るというのではありますまい」
「・・・ふむ左様か。柳生殿、畿内では如何か?」
「畿内でも両替出来るのは、最近までは山中領内のみで御座った。今は帝の要請により両替出来る店は増えておるようですが、扱う物がものだけに厳重な警備が必要で、なかなか難しいと聞いており申す。結局は各地の商人が山中領に来て両替している状況で御座る」
「ふむ、越後では船で来るのも遠すぎるか・・・」
「ですが御屋形様、能登では山中の船が来て両替も出来る様で。甲斐や武蔵でも両替していると聞いておりまするぞ」
「なに、甲斐や武蔵で出来るとな・・・武蔵は元より甲斐には海は無いが?」
「駿府で御座ろう。武田・今川・北条は同盟しておりますからな」
「ならば、越後には何故山中の船が来ぬのだ?」
「山中の船は足が長く、蝦夷との交易には越後に寄港せずとも良いと聞いておりまする」
「左様か、ならば船で能登に行けば良いでは無いか」
「それが山中の船が入るのは不定期で、月のうち数日しか両替出来ぬと。商人も大金を持ったまま他国で滞在する訳にも行かず、難しいと」
「左様か・・・」
某は山中の船が越後に寄港していないことなど知らなかったが、上杉殿も商いには大層力を入れていて、湊の整備も大々的に行ない発展していると聞いておる。それなのに山中銭に両替出来ぬのは、商いの勢いを減ずるのは間違いが無いな。
柳生は桑名や南都で簡単に両替出来るゆえに、領内の銭は早い段階で山中銭に切り替わっておるからな。
「御屋形様、無事両替出来まして御座いまする」
「ご苦労。それにしても嵩が減ったな・・・」
「はい。馬二頭が不要になり申した」
「・・・」
上杉殿は何やら考えておられる様でそれ以降、口数が少なくなった。上杉輝虎殿は、関東の兵を数万騎も率いて小田原城を取り囲んだ程のお方だから、本来は覇気溢れる御方なのだがな。
「おう、ここが泉州・岸和田か」
堺から泉州・岸和田に夕暮れ前には到着する事が出来た。あれ以降考え込んでおられた上杉殿も初めての岸和田城下に笑顔が戻られた。
「上杉殿、よくお出で下された。今宵はゆっくりと酌み交わしましょうぞ」
「楠木殿、世話になる」
本日は楠木殿のご好意で岸和田城に世話になる。既に帰城されていた楠木殿自らのお出迎えだ。それにしても岸和田城下は、普請の最中で大層賑やかだな。伊賀上野も某が入城当時はそうであったと懐かしく思い出した。
(あれから四年か・・・・・・)
伊賀を制圧して慣れぬ内政に一心に取り組んだ。
溜池を作り水路を引いて、開墾して農地を増やした。街道を整備して関所を無くし、商いを奨励した。産業を興し税制・兵制を改めて、兵役を無くした。全て山中国という良いお手本が傍にいて惜しみなく協力してくれたお蔭で出来たことだ。
その夜は酒肴を馳走になりながら、請われるままにそういう昔話をした。山中殿が四年前は三百石の弱小国人だった話には、上杉殿も目を丸くしておられた。
あれから我らを包む環境は大きく変わった。いつもその中心には山中殿がいたのだ。そしてその強力な力を最も如実に表わしているのが、これから行く紀湊だ。あの巨大な湊と町並みを見れば、山中国と争おうと言う気は無くなるな。
「おう、やっと紀州か」
「その様で御座いますな」
泉佐野から山間に分け入り紀湊を目指した一行は、まだ朝の内に国境の雄の山峠に着いた。馬ならではの速さだ、実は某もこの道は初めてなのだ。峠には展望が無く下ってゆく道で紀州に入ったのだと分かる。
「皆様方、紀ノ川が見えましたぞ!」
峠から暫く降りた所で先頭が声を上げた。
「おう、これは見事な!」
「まさに!」
広大な紀ノ川流域が西の彼方まで真っ直ぐ続いている光景は素晴らしい。我々は陽光が差し込む豊かな土地を感嘆の声を上げながらひとしきり堪能した。
「紀ノ湊はどの辺だな?」
「・・・もっと下流ですな。ここからは見えませぬ」
「ならば参ろうか」
そして幾つかの切り通しを越えた先に、それは突然見えた。
「おおおおお」
「むむむ」
「なんと・・・」
長大な湊と広大な町、巨大な城が視界の中に展開していた。
某もこれ程の景観が見えるとは思いもしなかった。ここから見る紀湊はまさしく圧巻そのものであった。
それを見た我々は言葉も出ずに、唸り声を上げるのみ、誰もが一言も発しないまま、小半時で紀湊の街中に到達した。
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