第231話・祝勝の宴。


 上杉勢と松永隊は、そのまま三好勢を畿内から追い払うべく追撃して行った。俺たちは天王山から降りて、武田・佐々木隊が摂取した勝竜寺城に入った。三好方が敗れ退却したことを知った城兵は、散り散りになって消え去ったのだ。


「お初にお目に掛りまする。武田義統で御座りまする」


「山中勇三郎で御座る。武田殿、遠路ご苦労でしたな」


「某、高島広高で御座りまする。高島は山中様には大層お世話になっておりまする」


「高島殿は上杉家の接待に引き続いての御出陣、大層物入りで御座ったな。こたび出陣しなかった山中が幾らかの費用を持ちましょう」


 杉吉が布を掛けた三方を二人の前に出す。中身は金貨が二百枚・二百貫文1000万円相当)だ。武田に一つと上杉隊を滞在させ散財しただろう高島には二つだ。これで足りるかどうかは微妙な額だが、彼らから伺いが来た時に、五百兵を出して欲しいと伝えたからな・・・


「こ・これは・・・有難く頂戴致しまする」

「頂戴致しまする」


「そ・それで山中様は今後・・・どうなされるおつもりで?」


「うむ。面倒な都や摂津のことは松永殿に丸投げしようと思っておる。上杉隊以外の此度の戦で一番働いたのは松永殿だからの」


「松永様に・・・左様で御座りますか。山中様は采配をとられぬので?」


「儂は山中国の事で手一杯だ。いや、実は山中国も家老どもに丸投げしておる状態だからな。魑魅魍魎の住む都の差配など、某には到底無理なのだ」


「丸投げ・・・」「真で・・・」


「ご両者も早いこと帰国しないと面倒に巻き込まれるかも知れぬぞ。この城は松永殿の手に渡してなるべく早く逃げるのをお勧めするぞ」


「さ・左様で・・・」


 二人共目を丸くしておるわ、ぐはは。




 その頃 摂津尼崎城 松永久秀 


「お蔭で将軍家の無念を晴らすことが出来た。この上杉輝虎、まことに感無量である。皆の合力にただ感謝致す」


 山崎の戦いのあと三好勢を淀川沿いに追撃して、無事畿内から追い払った。

我らはここ尼崎城で祝勝の宴を始めたところだ。上杉殿が三好方の首を取らずに畿内から追い払っただけなのは、将軍家の非を知ってのことだ。


「別所殿、松永殿と不仲と聞くが何故か?」

「上杉様、松永が侵略した丹波の波多野や赤井は我らの縁者で御座ります」


「・・・ふむ。この時代ではままある事よの。だがこうして共に兵を動かし戦ったのだ。何とかならぬか、松永殿」


「某もそれを考えておりました」


”兄上 何を仰せです”

 隣に座っている長頼が小声で問うてくる。

弟の松永長頼は丹波八木城の内藤氏を継いで内藤宗勝と名を変え、出家して松永蓬雲軒宗勝と名乗っているが儂は以前のまま長頼と呼んでおる。


”長頼、丹波国人衆の地力はお主も身に染みておろう。これから松永は京から摂津の広い地を収めねばならぬのだ。しつこい丹波衆の相手をしている場合では無い。まずは孫六をこの城に移そうと思うがどうだ”


”八上城を手放すのですか。それは・・・”


  松永孫六は儂の甥で、波多野氏から奪った丹波八上城の城主をしておる、粘り強い闘いをする良い守将だ。

 数年前に儂は長頼と共に丹波全域を制圧したのだが、それから徐々に国人衆の勢いが再興している。

特に永禄四年の若狭高浜の戦いで若狭方に敗れてからは、赤井・波多野らが急速に勢いを取り戻して手を焼いているのだ。

 八上城はまだ孫六が守っているものの、城下の民は波多野が握っていると言って良い、実に油断の成らぬ状況なのだ。



”この事は山中殿も断言しておる。丹波に拘れば松永の未来は無いと”


”山中様が・・・分かり申した。ならば某は兄上の策に全て従い申す”


 武人でもある長頼は、一武芸者からあっという間に山中国という強国を作り上げた山中殿を信奉しているようだ。滝山城に移ってきたのも『山中様がそう申すのであれば』と素直に言う事を聞いたからだ。


「では丹波八上城を波多野に返し、天田郡・何鹿郡・氷上郡・多紀郡から松永は手を引きましょう。別所殿、これで和睦の仲介を頼めぬか?」


「な・何と丹波六郡のうち四郡を・・・、分かり申した。関東管領上杉様のお言葉も御座ります。某がきっと波多野・赤井と松永との和睦を成し遂げましょう」


「おお! 早速に決まったか、目出度い。さすがは松永殿だ、太っ腹よのう・乾杯じゃ。いやその前に仲直りの盃を取らす・ご両者、前に出られよ」


 上杉殿の面前にて、別所殿と盃を交わした。別所殿はまだ若い凜然たる武将だ。『昔気質の武人で頭が硬いが、律儀な性格で信用出来よう』と山中殿が申していた男だ。


「時に松永殿、噂を再三聞く山中国が、お手前の麾下であると言うのは真か?」


「いいえ。以前はそうでありましたが、今は逆に松永が頼っている関係で御座る」


「ふむ、噂に聞く山中の話は桁違いのものばかりだが、本当のところはどうなのだ?」


「真実は噂以上で御座る」


「・・・越後の海上を航行する大型帆船は山中家の交易船だという。北の海だけで無く南の海も、南蛮へも船を出している大勢力の国だと言うが、真か?」


「はい。山中殿の整備した紀湊は間違い無く日の本一の湊で御座いましょう。その紀伊から大和にかけてはまるで異国のような繁盛ぶりで御座いまする」


「ううむ、一度見てみたいものだ」


「ならば某が案内致しましょう。紀湊には柳生の店が御座いますし、山中殿とは昵懇で御座る」

「おお、柳生殿が案内してくれるならば心強い」


「但し、兵を連れては入れませぬ」


「左様か、・・・構わぬ。兵は先に帰す」

「お・御屋形様。それでは危のう御座いまする!」


「柳生殿が案内してくれるのだ、大事なかろう。柿崎、兵を連れて高島領で待て」

「はっ」




 三好を畿内から追い払い満足した上杉輝虎は、京の都をどうこうしようという野心の欠片も無かった。畿内に来たついでの山中国の物見遊山と決めこんだのだ。


三好の抜けた間隙を埋めたのは松永殿だ。勝竜寺城・高槻城・茨城城・芥山城を摂取して国人衆を取り込んだ。

 丹波国人衆との和睦に進んだ事で、播磨の別所との関係を改善したのも大きい。摂津滝山城の背後の六甲山を越えると別所氏の領地なのだ。


 ともかくも摂津から河内・山城・丹波と領有した松永家は、丹波四郡を移譲しても九十万石ほどの大大名家となる。それの維持は大変だ、人手も足りぬだろう。


 かくして隠居して風流に没頭しようとした久秀殿もそれどころでは無くなった訳だ。ご愁傷様・・・・


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