第227話・太宰の権師。
永禄七年九月 豊後・臼杵城
海に浮かぶ臼杵城。その天守には紅の夕日に包まれて、夢幻の世界のような趣がある。それを大友宗麟は美しい女性を侍らして盃を片手にうつつの刻を楽しんでいた。
大友義鎮・大友氏の二十一代目の当主である。永禄五年に出家して宗麟と名を改めたが、当年三十四才の働き盛りである。
家督相続前から数々の内紛に見舞われながらこれを制して、北九州に膨大な勢力を築き上げた男である。特に献金によって幕府との繋がりを深めて、豊前・筑前の守護や九州探題の地位を得ていた。
キリスト教を保護して南蛮交易に力を入れて経済力があり、外交が巧み、風流を好んで酒好き女好き、そして疑い深く残虐な面も持っている。
「御屋形様、京の都より御公家様が見えておられます」
「お公家様とは、たれか?」
「正二位権大納言・山科言継様の御使者・鹿小路様と仰ってまする」
山科様が某に何用だろうか・・・ひょっとして日頃の献金に感謝して某の官位を上げてくれると言うのだろうか・・・
「丁重にお通しせよ」
「これはお公家様。遠路遙々よくお出で下さいました。大友瑞峯休庵宗麟で御座る」
「正二位権大納言・太宰府権師(だざいふごんのそつ)山科言継様の命を受けて参った鹿小路公磨(しかのこうじ きみまろ)じゃ」
「鹿小路様、この度はどのような御用で参られましたか?」
「大友さ、山科言継様を初め朝廷の御方様らはたいそうお怒りなのじゃ。何故このような事を計ったか有り体に申せ! 」
「は・・・、何を仰っておられる?」
「何をとお言いか! 京の都では童さえ知っておる事よ。大友家が出した者が三好父子を毒殺して、その被害が公方まで及んだのじゃ。其方は公方には一方ならぬ世話になっていたはず。
それを仇で返すなどまさに言語道断。こうなった故は大友を朝敵として討伐令を出せとの声もおじゃるのじゃ」
「毒殺・・・公方様・・・朝敵と・・・、某には話が全く見え申さぬ・・・」
「ならば言おう。三好長慶・義興父子を薬で操って毒殺しはったのは、公方と計った宣教師ガスパルと共に機内に入った大友家の薬師・藪野じゃ。既に本人の調書も取っておじゃる。その事実を知りはった三好は公方に詰問しはった。公方も隠しようも無い事実でおじゃったでそれを撥ね付け一戦に及んで討たれはったのじゃ。帝はその事実を重く見て畿内からの宣教師と異教徒を追放されたのでおじゃる」
「まさか・・・そのような事が・・・」
大友家も三好長慶の死は聞いていたが、肝心の永禄の変、将軍・足利義輝の討死はまだ宗麟の耳に入っていなかった。勿論・その背後関係もである。
それら全てを大友家のせいにされた、宗麟にとってはまさに「寝耳に水」の話だった。
「一連のことが先月から今月に掛けて続けざまに起こり、当事者の藪野や公方・一連の者はすでに死んだ。さてそこで元凶の大友じゃ。この後に及んでも一言の弁解もおじゃらぬ、それを詰問すべく麻呂が差し向けられたのじゃ」
「・・・・・・」
「弁解の仕様が無いでおじゃるか?」
「お・お待ちあれ。某、たった今始めて聞き申したで、何が何だか分かり申さぬ・・・」
「そうでおじゃるか。どうであろうと麻呂の用はこれで終わりじゃ。戻って朝廷にそう伝えるまでじゃ。しからばご免なして!」
「ま・お待ち下され。それでは我が家・大友家はどうなりますか?」
「知れたことでおじゃる。大友家は朝敵として全国の国人衆に追討令が出されよう。その時には、今の其方の家臣らも全て敵となろうぞ」
「し・しばらく。一切のことは某とは無関係で御座る。どうかそれだけは!」
そこで初めて、鹿小路はにんまりと笑った。
それを見て宗麟は少し冷静になった。たかりの公家という言葉を思い出したのだ。公家を接待するのは豪華な食事と酒と女、それに土産の銭だ。
「鹿小路様、せっかく遠路遙々お越し下さったのだ。急いでお帰りならずとも、今宵はゆっくりと豊後の恵みを味わっていただきたい」
「左様でおじゃるか。ならば厄介になるでおじゃる」
使者をひとまず上等の部屋に案内させた。そして近衆を呼んで豪華な酒肴と賂を用意させ、事の顛末と落としどころを相談した。当然ながら朝敵だけは何としても回避しなければならぬ。
だが、なんとも事が大きすぎて良い算段などはまったく思いつかないで途方に暮れた。
翌日も重臣の戸次道雪を呼んで、権大納言の御使者との会談の場を持った。鹿小路は昨夜の酒色と女性のもてなしで、すっかり柔らかな表情になっていた。さもあろう、儂のお気に入りの女をあてがったのだ。
調べたところ、藪野という男がたしかに当家の薬事方に所属していたと解った。ガスバル師に同行したというのも一致している。
「鹿小路様、たしかに藪野なる者は当家におりましたが本人の意志でガスパル師に同行して当家との縁は既に切れており申す。そこのところを帝にお伝え願えませぬか」
「左様でおじゃるか。だがそう言われても疑いは容易には晴れまいのう。ここは誠意を見せる事が肝要でおじゃろうな」
「誠意と申されると?」
「何故、麻呂が使いに出されたかお考えあれ」
「はて、鹿小路様は権大納言・山科言継様の命を受けて参られたとお聞きした。山科様は・・・太宰府権師・・・! 太宰府で御座るか?」
「そうでおじゃる。太宰府権師は太宰府周辺を、いや北九州一帯を司る長官でおじゃる。先年その配下で実質的差配の防人の司が派遣されたでおじゃろう。大友はその防人の司に権限を移譲したかえ?」
「いえ、その様な要請は無く・・・何もしておりませぬが・・・」
「それが良くないどすえ。帝の御意志に従わぬ者と朝廷では見ざるを得ませぬ。現に備中の三村は防人の司に恭順してその配下になったでおじゃるでのう・・・」
「・・・では筑前を防人の司・山中殿に委譲せよと?」
「防人の司はそんな狭い地域の差配では無い。それに豊前は大内・毛利・大友の狩り場となっており、うち続く民の窮状を帝が大いに心配しておられるのじゃ」
「豊前もと、そ・それは・・、しかし当家は九州探題・筑前・豊前の守護職でありまするぞ」
「それは亡き公方が与えた物でおじゃる。公方討死の一因となった貴家の権利は当然公方と共に無くなっておじゃるわ」
「・・・」
なんという事だ・・・あれ程金銀を上納して手に入れた地位が無くなったと・・・
「殿、ここは考えようで御座る。山中が実質支配している筑前と毛利との間でいまだに国人衆が定着しない豊前の北部を一旦手放してみては如何で、頭痛の種が減りまするぞ」
・・・うむ、たしかに豊前を手放せば大きな頭痛の種がひとつ減る。それに半ばは毛利領なのだ、儂の腹はさほど痛まぬ。なに、時が過ぎれば再び取り戻す事が出来よう。何より我が家が朝敵にされないのが最も重要だ。
「承知致した。ですが我が兵の血を流して手に入れた土地、豊前一国は無理で御座るが、北部一帯は防人の司殿に移譲致しましよう。これで如何で御座るか」
「それなれば、何とかなるか・・・。しかし良く英断なされたな。さすが九州の雄・大友じゃの、実に太っ腹でおじゃる。それに海に浮かぶこのお城の明媚なことはこの上もなし。麻呂は帝のお怒りを収められる口上を練るためにしばらく滞在したいのう。あっ、かといって昨夜以上の接待は望まぬぞ。何と言っても麻呂は公用でおじゃるからな。だが、まことに潤おしい女性であったの。くっくっくっ」
儂はこの狸公家の顔を踏み潰したい衝動を我慢して体が震えた・・・
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