第225話・第五次川中島合戦。
永禄七年(1564)七月 信濃善光寺平周辺
上杉輝虎は、巧妙な手口で東から西から越後・上杉領を攪乱する武田信玄のやり口にとことん腹を立てて、今回は必ず鉄槌を下す覚悟で信濃・善光寺平へ出陣した。
それと知った武田信玄も諏訪へと兵を進め、善光寺平の南端にある塩崎城周辺に布陣した
上杉・武田両軍が信濃・善光寺平を鋏んで五度目の対陣をしたのだ。
輝虎は決着をつけるべく信玄の居所を常に探らせていたが、信玄はその輝虎の目論見をまるで知っているかのように本陣の旗を幾つも立てて、その間を移動して居所を掴ませなかった。
そうして二ヶ月が経とうとしていた。輝虎にとっては、肩透かしを喰らったやり場の無い苛立つ月日であった。
だが武田は相変わらず善光寺平の南端・塩崎城周辺に布陣したまま動こうとしなかった。
八月上旬、上杉軍は善光寺を出て前回決戦地の川中島に進出した。是が非でも一戦交えて信玄を撃滅しようという上杉輝虎の気持ちがそうさせたのだ。
その戦に逸る上杉軍の矛先を躱すように、武田家より使者が来た。
「御屋形様、武田から使者が来ておりまする」
「使者だと、たれか?」
「高坂弾正と申しておりまする」
「海津城代の高坂か。ならば直江、そなたが対応せよ」
「はっ」
直江景綱は輝虎の遠戚で、今の上杉家の筆頭重臣だ。上杉家のあらゆる事を決断できる地位と頭脳を持っている。特に外交上の力は上杉家の中では抜きん出ている。
武田家からの使者の口上は分からぬが、輝虎はその折衝を直江景綱に一任したのだ。
実は上杉輝虎、戦や軍事では誰にも負けぬが、本音を隠して交渉する外交の折衝などは得意では無かった。
「海津城を預かる高坂弾正で御座る。御屋形様よりの提案をもって参りました」
「与板城の長尾景綱だ。信玄公からの提案とは何か?」
高坂弾正と長尾景綱の会談は、両軍の中間地点付近で行なわれた。
「ならば。上杉殿の此度の御出陣に信濃の民は大層迷惑しておりまする。これまでの戦いでお互いの境界を確認してある土地に、何故に又しても出て来られたのかと」
「知れたことよ。上杉が西を向けば東。東を向けば西と姑息な手段に走る信玄坊主の首を持って帰ろうという訳だ」
「・・・なるほど。しかし武田と上杉が戦うと大勢の将兵を失いますぞ。これは今までの戦いでお互いが身に染みたことで御座ろう」
「・・・無論承知しておる。だが武家と武家の戦いは常にそうであろう。今さらそれを厭いはせぬ」
「いや、武田は厭いまする。民と同様、家臣は宝で御座る。誰一人失いたくは無い、それが本心で御座る」
「上杉とてそれは同じだ。だがこうして敵対する隣国と理由があって兵を集めて相まみえたのだ。行き着く所まで行かねば治まるまい・・・」
「お待ちあれ。まだ兵は戦っておりませぬ。今ならばまだ直接対決を避けられるのではありませぬか」
「それは叶うまい。こうして来た以上は決着をつけねばならぬ・・・」
「たしかに何らかの決着は必要で御座る。そこで提案が御座るのだ」
「・・・どういう提案だな。聞こう」
「お互いの全軍が争うのでは無く、代表者を選んでの組討ち勝負では如何か」
「組討ち勝負か・・・負ければ相手に一歩譲り、我が方が勝てば武田に一歩退かせる。たとえ負けても大勢の将兵を失わずに済むか・・・・・・良かろう。何時だな?」
「三日後。ここで再び相見えましょう」
「分かった。そのように御屋形様を説得しよう」
「宜しく願いまする」
当初は冷たく突き放すような会談だったが、両者の苦悩が一致しているのが分かると次第に協力して解決しようという雰囲気になっていった。それは高坂の話の持って行きようが良かったからに他ならない。
高坂弾正=春日虎綱は、武田晴信近衆としてその頭角を現わして武田四天王と呼ばれて最前線の海津城を預かるほどの強者でありながら、実は百姓の生まれから成り上がった苦労人でもある。
「なんだと、直江! 組討ち勝負と言ったか。それでは信玄坊主の首を取れぬでは無いか!!」
「御屋形様、良くお考え下され。ここで武田と雌雄を決すれば多くの将兵を失いまする。信玄公の首を取ったとしても、下手すれば上杉家も共倒れとなりまするぞ」
「・・・それは分かっておる。武田は古今無双の兵だ、だがしかし・・・」
「組討ち勝負の勝敗がどうあれ、少なくとも信濃での争いを終わらすことは出来まする。ここで何時までも対峙していても仕方がありませぬぞ。将兵を失わずに、何らかの決着をつけてから帰還する。その意義は大きいかと」
「・・・・・・うむ。だが武田に負けぬ豪の者を選べ。勝負は時の運とは言え、組討ち勝負でも負けたくない・・・」
「はっ。努めまする」
三日後、同じ場所で高坂と長尾は屈強な者を連れて歩み寄った。お互いの背後には距離を取って櫓が組まれて、上杉・武田の主な者らが見聞している。そこに上杉輝虎と武田信玄も居た。
組討ち勝負は長尾と高坂が検分役である。
「武田が家臣、安馬彦六で御座る!」
「上杉が家臣、長谷川基連で御座る!」
「いざ、尋常の勝負!!」
「「おおおおお!!!」」
選び抜かれた大兵で屈強の者同士の激しいぶつかりが続いた。息を飲んで見守る将兵の目に、一方が片方を組み敷いて覆い被さったのが見えた。勝負が決まったのだ。
「長谷川基連、安馬に勝ったぞ!!!」
勝者は上杉方の長谷川であった。安馬に覆い被さり鎧通しで留めを刺したのである。双方から兵が出て長谷川と安馬の遺体を引き取った。
「さて組討ち勝負は終わった、ここで両軍は兵を退く。だが上杉の勝ちだ、武田には一歩退いて貰うぞ」
「承知で御座る。そちらの条件を」
「まず信濃の境界は今までのままで良い。以後ここで両家は争わぬ。それで宜しいな?」
「異論は御座らぬ」
「では一歩譲って武田は飛騨への介入を止めて貰おう。どうだ」
「む・・・。承知した。飛騨から兵を退こう」
この時、飛騨は二つに割れていた。一方を上杉が支援して、もう一方を武田が支援していたがそこに武田は飯富・甘利・馬場などの精兵を投入して一挙に武田方が有利になっていた。
飛騨が武田方になり越中に進出すると、関東を狙う上杉の背後を脅かす。それが上杉の信濃出兵の理由であったのだ。
一方、武田も西から織田が侵略して来て情勢は変わった。いままでは侵攻する一方だった武田家が逆に侵略されているのだ。強敵の上杉と戦っている場合では無い。
その織田家は飛騨にも進軍している、飛騨から武田隊が撤収しても織田対上杉の争いに変わるだけであると高坂は承知していた。武田家(信玄)が越中の一向宗を裏から動かしていることは変わらぬのだ。
かくして、信濃での上杉と武田の和戦は成り、次々と両軍の兵が撤収していく。
その時、上杉本陣に慌ただしく早馬が走り込んだ。
「何だと、将軍家が・・・・・・」
将軍・足利義輝が三好三人衆に襲われて討たれたという報告である。輝虎はいままで二度も都に上がり義輝に目通りしていた。最近は北条と和睦して上京せよという将軍家からの書状が何度も届いていたのだ。
足利義輝と上杉輝虎は親密な間柄である。輝虎の「輝」は将軍・義輝から頂いたのだ。
「おのれ! 三好の首を悉く刎ねてくれるわ!!!」
越後の軍神の怒りは怒髪天を衝いた。怒りに燃えて出陣し対陣しながら二ヶ月も動けぬ日々を送っていた苛立ちがそれに輪をかけた。
「直江、甘粕は越後を固めよ。儂はこのまま上京する。宇佐美、柿崎伴をせよ!!」
「「はっ」」
火の玉となった上杉輝虎は、精鋭三千兵を引き連れてそのまま一路・京を目指して龍の様に駆けたのだ。
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