第224話・永禄の変。

時間は少し遡ります。


永禄七年七月四日 大和多聞城 山中勇三郎


 大和は突き抜ける様な青い空に白い雲、夏本番の陽光が降り注いでいる。皆は「暑い・暑い」と愚痴るが俺はそうでも無い。あの現代の暑さを知っているせいで少々物足りないくらいだ。


「大将、長慶様が亡くなりはった・・・」


「そうか、遂に来るべき時が来たか・・・」


一代の英雄・三好長慶が死んだ。

四十三才のまだまだ壮年の働き盛りだった。俺は会うことを避けていたが、その人となりは松永様に聞いている。


幼小の時父を失い厳しい立場に立たされながらも、その覇気と才能で畿内を席捲し日本の副王と呼ばれたお方だ。会えば魅了されるものを持っていたらしい。俺はそれを怖れていたかも知れぬ。


だが彼は、その覇業に反して後継の義興を失ってからは悲嘆のあまり人が変わったようになった。

結局、病に倒れ薬物によって洗脳され操られたような陰惨たる最後を迎えた。もはや錯乱状態であったのかも知れぬ・・・

 自分が亡き後の三好家の柱石となるはずの実弟の安宅冬康を自ら誅殺した。その子・清康が武装して押し掛けたときに、長慶は涙を流して彼に謝ったという。一時的に洗脳が解けたのだろう、しかしその心痛が一気に寿命を縮めたようだ。


後継は十河家からの養子・義継だ。彼は長慶死の直前に将軍家に家督相続のお目見えは済んでいる。

 そして三好長慶の死に活気づいたのは、その将軍・義輝だ。各地に出す書状が一気に増えた。上杉と北条に何度目かの和睦を求めて、上杉・武田・織田・朝倉など手当たり次第に上洛を求める御内書を出した。あまりに頻繁に来る勝手な御内書に諸侯は呆れているだろう。




 七月某日、三好家の重臣が取るものも取りあえず飯盛山城に集った。隠居していた松永殿も駆け付けて、まず重臣らにその裏事情を話し、城下の宣教師とクリスチャンになった家臣を追放した。

 くだんの藪野ら数人はいち早く姿をくらましていたが、堺に潜んでいるのを山中忍びが把握・捕縛して彼らに突きだした。


 三好三人衆らは、藪野らを拷問して裏をとると彼らの首を刎ねた。そして、各地からの関係者の到着を待って、しめやかな葬儀が行なわれた。遺体を城下の寺に丁重に葬ると喪に服した。

 その間にも密かに集って話し合いが持たれたようだ。


三好三人衆とは、三好一族の長老・三好長逸、松永久秀と並ぶ家臣団の代表・岩成友通、旧細川家家臣団と堺衆との折衝役の三好宗渭である。

 三好長逸は芥川山城を、岩成友通は摂津の勝竜寺城・池田城などを領有、三好宗渭の本拠地は堺だ。

三人衆の他に本国阿波を固めている篠原、讃岐を束ねている十河などが三好家の有力家臣だ。



永禄七年八月中旬


三好長慶逝去後の初盆を済ますと三好三人衆は兵を動員して京の都に向かった。

飯盛山城の城兵を総動員しての亡き当主の無念を晴らそうとしたのだ。この時には兵全員が長慶死去の裏事情を知っており、白鉢巻きに仇討ちの執念を籠めていた。


 そして、


 永禄七年八月十六日 御所を囲んだ三好三人衆は藪野から聞き取った調書をつきつけ、義輝の抗弁を待った。だが義輝は謝りもしない、何の弁解もしないで彼らを無礼者と呼ばわり追い立てた。

その結果、三好兵は御所を襲撃した。義輝とその近衆はこれに激しく争い、三好勢にも多くの死者が出たが将軍・足利義輝を討ちとった。


「将軍、討たれる!!」

その衝撃は日の本を駆け抜けた。史実より半年ほど早くなった永禄の変である。




一方、松永殿はその空になった飯盛山城の留守を預かり、信貴山の兵を呼んで防御を固めた。

葬儀に参列していた弟の長頼殿は、兄弟での話し合いの結果・摂津滝山城の守りを固めるべくその足で向かった。


つまり松永兄弟は三好家から独立して、これと戦うという腹を決めたのだ。三好家が気付いていないうちに飯盛山城を無傷で奪ったのだ。

 

「将軍家御傍衆の松永家は、将軍家を討った三好家から離脱する!」

松永様は、この宣言を都や諸国に伝えた。


都から凱旋した三好三人衆に待っていたのは、松永家の離脱だった。それで飯盛山城に入れず、三好長逸は当主義継と共に居城の芥川山城に退去した。岩城友通と三好宗渭は勝竜寺城に入った。堺も松永兵が固めており三好兵が入るのを拒んだ、山中家の焼き討ち以来 空白地と化していた和泉には楠木が進出占領していた。


 騒動の裏事情を知った帝は、キリスト教の布教を禁止し宣教師追放令を出した。その影響は各国に広がる。今、都は、周辺諸国は、まさに騒然・混沌としていた・・・・・・




 俺はその騒動に際して何をしていたか。

 乱派衆を使って都の人々に事情を知らしめて、朝廷に対して藪野の調書の写しを送った。そして藪野を派遣した大友家と宣教師に責任を取らせるように強く進言したのだ。今、朝廷の予算の六割以上を山中国が支えているのだ。無視は出来ない筈だ。


まあ実際に働いてくれたのは裏集団で、俺はこのところ紀湊の火砲工房に入り浸りだ。


 いよいよ山中製の火縄銃を作る時が来ていた。

今までは高野山と根来寺、それに堺と辻芝製の大量の火縄銃を保有・運用してそれを販売していた。

 だが此所に来て更に活発に出始めたのだ。織田家が一千丁、武田家も五百丁、長宗我部・北条・安東・佐竹・伊達なども欲している。

特に佐竹・伊達は黄金の国ジパングの名の由来になった豊富な金鉱を持っていて、購買力めちゃ旺盛なのだ。


「ふむ、良い感じだな」

「左様、早速試して見ましょう」


 いま芝辻さんと算殿と一緒に試作を繰り返しているのは、焼き入れして硬くなる「工具鋼」だ。これが出来れば、鉄に穴を開ける「錐」やネジを切る「ダイス」と「タップ」を作れる。

 「ネジ」の採用が部品量産の鍵となる・・筈だ。

 既に硬い鋳鉄で寸分狂わぬ銃身や丸棒は作れる。銅で薬莢も試作済みだ。火砲工房も拡張して人も増やして量産できる体制は整っている。鍛冶職の訓練を受けた若者がどんどん育っているのだ。


後の量産の要はネジだ。一種類だけでもネジを作りたい。


 あっ、薬莢は後詰めだけど、発火方式はまだ火縄だ。

どうもね、良い方法を思いつかないのだ。

打ちつけたりする衝撃のある方式だと命中率が大きく損なわれるしね。衝撃の無い火縄方式は構造が簡単で命中率も優れているのだ。


具体的には薬莢の後に穴を開け和紙で閉じている。一応密閉しているので、雨火縄や火縄覆いを使用すれば少々の雨ならばいけるしね。まあ後で改良できる余地は残している。


新しい火縄・・まだ火縄銃だね。これが出来たら山中軍にまず充当し、しばらく経った後に一般販売するという順序だ。それまでは山中隊使用済みの中古銃を割安販売する。五千丁はあるから当分の間は持ちそうだな。

ぐふふ・・・・

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