第223話・九州戦線。


永禄七年七月 薩摩内城沖 薩摩水軍砲手


「今度はおいどんらの出番は無かね」

「じゃっど(そうだ)。肝付の船はこっちまではよう来んね」


「いや、万が一って事もある。気抜いたらいかん」

「まこち(まこと)、隊長の言う通りじゃ」


「とは言え、てげてげ(適当に)にしとったらよかね」

「じゃがじゃが(それで良い)」


 薩摩水軍の旗艦・桜丸は、四十櫓・百兵を乗せ、片舷三門・合計六問の大砲、さらに火縄銃二十丁を備えている最も強力な船だ。

 薩摩軍は数日前から湾奥・大隅半島の付け根にある廻城を攻撃中で、水軍はこれに連動して肝付水軍の海からの来襲を警戒しているのだ。


「来った。来っただ。肝付の船じゃ!!」

「伊東の旗もあるだ!」


 高櫓の見張りの声で湾口を覗き込むと、青い空と海の間に白い大帆を拡げた二隻の船が数隻の船を従えて向かってくる。


「戦闘用意じゃ。大砲・火縄の準備をせんば!」

「櫓を出せ、まずは右舷で正対。砲門を開けんか!」


「砲撃準備完了ばい!」

「まだまだだ、引き付けんかい。射程に入らば放とうせ!」


 大砲の有効射程は二町ほど、敵船をかなり引き付ける必要がある。グイグイと接近してくる敵船は、しかし射程の手前で反転して砲門を開けて砲撃してきた。

 白い煙硝が広がると遅れて「ドン」という砲撃音が聞こえてくる。


「ないごてな? (なぜ?)」


 まだ六町もあるのだ。届く訳は無い。

 ところが、桜丸のすぐ後で、砲弾が派手に着水したのだ。


「ひったまがった(驚いた)、届いちょる!」

「このままではやられるだ。全速前進!」


 動くと同時に、敵船から複数の硝煙が上がった。砲撃音が連続して聞こえて、さっきいた辺りに幾つも着水して派手に海水が跳ね上がった。


「次の砲撃までば間があらあ。全速でいかんかい!!」


 猛然と敵船に接近する、他の小早や関船も一緒だ。しかし、充分近付く前に敵船は反転している。それは反対側の大砲で砲撃されると言う事だ。

このままではやられる。


「旗艦は回って、砲撃せんかい!」

「関船と小早はそのまま行っちゃらんかい!!」


 桜丸は回頭して、微速で左舷を敵に向けた。止まるとやられるからだ。動きながらの砲撃となる。


「砲撃しちゃらんかい!」

「ドン、ドン、ドン」という衝撃と共に硝煙に包まれた。だが砲弾は敵船との間に落ちた。まだ四町はあるのだ。届くはずは無い。


「やっぱ、届かんね・・・」

「届かんなら(玉薬)増やせば良かと」

「そげえな事したら、危なかぁ」

「ほなら、撃たれた方が良かか?」


「回頭!!」

「パシュン・パシュンーー」とすぐ横に着水して船が揺れた。回頭がぎりぎり間に合ったのだ。今度は右舷が砲撃するも・・・届かず・・・・・・


「嫌だ。おいどん撃たれとうは無か!」

「そうよ、おのこは度胸ばい!」

 砲手は玉薬を思い切って普段の倍量詰め込んだ。


「回頭じゃー!!」

 もう周辺で水柱が上がりまくちょって訳分からん。


「砲撃せんかい!」

砲手は持っていた火縄を、砲の火口につけた。途端に目の前が真っ白になった。


「ボガーーン」と大砲が破裂、

「ズドドドーーーン」隣と後の大砲も誘爆して甲板が・そこらじゅうが吹き飛んだ。


「いてか(痛い)。大砲破裂してちんがらじゃ!」


 その様子を船尾櫓から見た見張りは、下から何かが飛んで来て手を切られた。船首の見張り楼は根元から折れて海に転げ落ちている。ふと予感がして見張りが空を振り仰げば、無数の黒点が兵の目に向かって真っ直ぐ飛んで来た。





 大隅・廻城周辺 肝付良続


 まっこと・しぶといのう、ぼっけもんは・・・


 薩摩兵は何度かの痛撃でも少しも怯まぬ。その根性は恐ろしいくらいだ。うちの兵も相当怪我人が出ておるが、大隅半島の付け根に近いこの廻城を取られたならば、奴らが、なし崩し的に肝付領に侵攻してくるのが見えているからのう。


 幸いな事にうちの兵に重傷者は少ない。それは山中製の胴丸のお蔭だ。

 重くなく、動き易く敵の刃を良く防いでくれる。これが無かったらと思うとぞっとするわい。

刀も優秀じゃ、安いのに丈夫で力任せのぼっけもんの攻撃でも、まだ折れた物は無いのだ。以前に比べれば天と地じゃ。なにせぼっけもんには、相手の刀を折った数を誇る馬鹿者が多いのじゃ・・・


 そして、頼みの綱は熊野丸だ。あの値段が馬鹿高い船は戦局を変える可能性がある。もっともまだ半額しか払っておらぬがの。

我が水軍が伊東水軍と共同で薩摩湾に入ったのだ。先ほどから絶え間なく砲撃音が聞こえているのがそうだ。


ぼっけもんめ、今頃驚いているだろうなあ。

ぐふふ・・・



「殿、島津が退いて行きます!」

「そうか、熊野丸がやったか!」

「左様に思われまする」


「よし。廻城に入城しよう。凱旋じゃ!」

「はっ!!」




 肝付・伊東両水軍の攻撃により、薩摩水軍は旗艦桜丸撃沈、関船も撃沈か拿捕、小早の多くも火縄銃と弓矢の攻撃により沈没や拿捕されて、薩摩水軍はほぼ壊滅した。

 これにより薩摩湾沿岸の領地を持つ島津家は大幅な戦略転換を余儀なくされた。何と言っても本城の内城は、船で海上から砲撃できる場所に有るのだ。





永禄七年八月 筑前博多湊 富田政定


 某がここに来てから早二年が過ぎた。焼け野原だった博多湊が今では数千の家々が並ぶ殷賑な町に変貌している。全ては山中の強力な兵に守られた優れた治政のお蔭だろう。

 人が増えた分、志願兵も増えて一千の兵が絶え間ない調練と公共事業を行なっている。山中国の南蛮交易は、回を追うごとに大規模になり今では現地に支店が出来て五隻の大船が運航しているのだ。


毛利隆元殿が亡くなったことで頓挫していた毛利-大友の和睦がやっと成った。これにより大友氏の興味は筑後・肥前に向いた。特に肥前の熊・龍造寺隆信の台頭を懸念しているようだ。


岩尾城の高橋殿が殿の命で豊前国人衆の調略を密かに進め、秋月氏が我らに内応することになっている。だが、北九州の大友軍を統括する戸次殿の監視が厳しく極めて難航・全く身動きが取れぬようだ。

戸次道雪は大友家一の重臣で歴戦の強者で、恐ろしいほどの猛将だ。山中への援軍として来ている高橋殿が我らに組みしたと知れば戦は避けられぬ。そうなれば一千の山中兵でも苦戦は免れぬ。


幸いな事に大友氏は将軍家を敬う心が強く、つい最近も多額の献金をして御傍衆にも任じられたらしい。それが自慢で大祝宴を開いたようだ。三日三晩の大宴会だったようだ。大友宗麟は酒が好きなのだと聞く。


だが御傍衆なのに遠すぎて御所に行けないなど、まったくお笑いぐさだわ。


すぐ近くに居ながら将軍家の招きを断り続けている殿とは対極だな。もっとも、その将軍家が今月初旬に三好三人衆に討たれて亡くなった事を、大友氏は知っているのだろうか・・・


「足利家は終わり」と殿は明言され、「時期を見て戸次を下して、豊前を取る」とも言われている。戸次道雪が難敵である事も充分にご存じなのだ。


まったく、山中の殿は不思議なお方だ。



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