第219話・亡命。


 永禄七年(1564)六月


 雨が降り続いていた紀湊に一隻の船が滑り込んできた。柊紋の淡路・安宅水軍の船だ。その対応をした役人が栗栖城に人を走らせた。その報告を聞いた相楽が、困った顔で俺の所に来た。


「大将、淡路が揺れておりまする」

「うむ、どんな案配だな?」


「ご嫡子の清康殿が激昂して戦の準備を進めているようで御座る」

「ふむ、清康殿は飯盛山城に攻め込むつもりか・・・」


「どうやらそのようで」


その指示に当惑した水軍衆が、俺に知らせてきたのだ。


実は飯盛山城に呼び出された安宅冬康殿が三好長慶様によって自害させられたのは、かなり前に忍びの者の報告によって山中家の面々は知っていた。

清廉実直な尊敬するのに値する武将は、実の兄によって儚くなったのだ。俺は悶々としながら遂にそれを止めることが出来なかった。


だが肝心の淡路・安宅家が知ったのはつい最近らしい。当主冬康殿が飯盛山城に出仕したまま音沙汰が無く、無残な死体となって戻されたのだろう。


「しかしそれは、三好の身内の事でもあるしな・・・」


 三好家の内々のことだ。陪臣の俺に口を鋏む余地は無いだろう。

 だが、冬康殿配下の水軍衆が俺を頼って来たのだ。無下には出来ぬ・・・


「曽根弾正を呼んでくれ」

「はっ」


 淡路水軍と顔を会わせているのは、氏虎と曽根弾正だ。曽根はつい先月も氏虎の命で酒を届けている。


「大将、お呼びで」


「うむ。淡路水軍衆の話を聞いたか?」

「はい・・・」


「これは三好家の内々のことで儂には口出しできぬ。だが水軍衆の言う事をじっくりと聞いてやって呉れ。いざと言うときには山中水軍が身柄を引き受けるとな」


「承知致しました」


 まあ、話を聞いてやるだけだ。それしか出来ぬし、それだけでも無視するよりは幾らかましだろう。




“-○--------○-”


越前真柄郷 真柄直隆


「殿、間も無く朝日が昇りまする。行きましょう」


 村境で立ち止まって真柄郷を見ていた。

皆が、食い入る様に故郷を見ている。これが故郷を見る最後かも知れぬ。産まれ育った懐かしい故郷を今から離れるのだ。未明から少数に分かれた民が続々と出発して、我らが最後の村人だ。


「うむ、参ろう」


 兵百が十台の荷駄を鋏んで行く。荷の半分は道具だが、残りは足の悪い者らを乗せて筵を被せている。筵の下で人心地が付かぬだろうが、これも北ノ庄を出る一里半・一刻ほどの辛抱だ。筵を被せれば我らは軍列に見える筈だ。


 真柄郷は北ノ庄の南東にある。ここを出るまでは彼らを人の目に触れさせたくない。我らが向かうのは南西の海岸沿いの河野村だ。どうしても平野を突っ切って進まなければならぬ。


我らは村を捨て、国を捨てようとしているのだ。それも郷一つ丸ごとに近い人数だ。一族郎党とその家族・総勢で一千二百人もの者が越前を去ろうとしているのだ。

朝倉家が知れば止めようとする。そんな事を許せば国が成り立たぬのだ、必ず追撃を受けるだろう。

もしそうなれば、真柄隊の実力で突破するつもりだ。元の御家に弓引く覚悟はとうに出来ている。


 いま越前は、北と南に別れて争いが始まろうとしている。

朝倉景鏡様方と朝倉景健様方の争いだ。大野郡と敦賀郡と山崎吉家殿と前波吉継殿が景鏡様方で、朝倉景連様ら重臣方と魚住景固殿が景健様方についているが、それ以外の者の去就は良く分からぬのだ、南北で分けられぬ混沌とした状況だ。某は、こんな所に居るのに嫌気がさした。兵たちも同じだ。近江で暮らした生き生きとした暮しが忘れられぬ。



海岸線の河野村に出れば、そこに山中の船が来てくれる筈だ。一族には老人や女子供が大勢いるので歩いて近江に行くのは難しい。かといって残してゆけぬ、そこで佐和山の藤内殿に相談したのだ。

もし何らかの事情で来なくとも、追っ手を防ぎながら待つしかない。しかし食料は無い。殆どの者が僅かな荷物しか持たぬ逃避行なのだ。


某は船を寄越すと言う藤内殿の言葉を信じて、兵や民はその某に命を預けてくれたのだ。



「待たれよ、真柄隊とお見受けするがどちらに行かれる?」


半刻で右手に妙法寺山を見てホッとした時に三騎の兵が北から駆けつけて来た。龍門寺城の兵だ。

城主は富田長繁、敦賀・景鏡様に同心していると噂される勢力だ。ちなみに真柄は景健様方と見られている。まあそれで間違いでは無い、謀反人の傘下になりたくは無いからな。


「兵の調練中だ、どこへ行こうとお主らに報告の義務は無い。ご不審ならば真柄直隆、槍でお相手致すぞ」


「ぐ・・、朝方に多くの者が動いているという報告を受けて調べに来たのだ。調練ならばご随意にされよ」


 お主らに言われなくとも勝手にするわい。

と言いながら奴らはまだ去って行く荷駄を見ている。こやつらにまとわりつかれても鬱陶しい。越前を去るに当たって魚住殿への置き土産にこやつらの首を置いて行こうか・・・


「槍を」


 近衆から槍を受け取ると、奴らは慌てて反転して走り去った。


「急ごう。奴ら兵を集めて追って来ぬとも限らぬ」

「はっ」


 我らが向かっているのは南西の方向で、敦賀への攻撃隊と見られぬとも限らぬのだ。

 さらに半刻、山裾を回り込んで山間に入ると、平野である北ノ庄とは隔絶した峠道となった。


「なんとか、山道に入りましたな」

「うむ、これで追っ手があろうと振り切れる」


 もう出発して二刻ほどは過ぎた。行程の半分は来ている。この狭い山道で追っ手が来たとしても儂の手勢だけで防げよう。数にもよるが先行した直澄らも海岸に到着すれば引き返して来る筈だ。


「とにかく先を急ぎましょう」

「うむ」



 さらに三つの村を通過して再び山道に入った所で、先行していた直澄が兵五十を連れて引き返して来た。


「兄上、大事ありませなんだか?」

「うむ、妙法寺山の手前で富樫の兵が詰問してきたわ。その場は追っ払ったが手勢を集めて追ってくるかも知れぬ・・・」


「ならば斥候を出して確かめましょう」

 騎乗の兵二人が後方に駆け去る。その兵がすぐに帰ってきて報告する。


「馬が来ています。およそ三十騎、追っ手です!」

「やはり来たか・・・」


 富樫め、儂を倒して手柄を立てようという腹だな。舐められたものだな・・・


「兄上、ここはお任せ下され」

「うむ、追い払えば良いのだ、無理をするなよ」


「承知!」


 もはや河野村まで一里ほどだ。海岸には多くの民がいる、そこまで追っ手を連れてゆく訳には行かぬ。山中の船が来るのは明朝だ。それまで追っ手を海岸には近寄らせねばよい。


 すぐに中山村だ。この西には海岸まで村は無い。村長屋敷に乗り込み告げる。


「我ら府中の真柄隊だ。間も無く謀反方の富樫隊が来て戦になる。村人を大至急・山に避難させるのだ!」


「やけに大勢が通過していると思いましたが、太郎太刀の真柄様でしたか。すぐに村人を避難させまする」


「今日・明日は出て来ぬ方が良い。とばっちりを喰うぞ」

「承知致しました」


 村人を避難させたのは、富樫隊が徴集して我らを攻撃させて来るかも知れぬからの、それで無くとも地元の案内人が敵に付けば危ういかも知れぬ。


 海岸沿いの河野村にはまだ明るい内に到着した。すぐに村の入り口に柵を立て弓手を配置して守りを固める。

 しばらくして、残して置いた斥候が走り込んできた。


「申し上げます。騎馬隊を直澄様が待ち伏せして攻撃。馬を奪いこちらに後退しております!」


「うむ、後続は?」

「しかとは分かりませぬが、徒隊百名程は確認しております」


「百名とな・・・」


 解せぬな。富樫隊が我らより少ない数で追って来るとはな。たしかに富樫は武芸の家で兵は強いが我らとて負けてはおらぬ。富樫とて廻りが敵だらけで多くの兵を避けぬのは分かるが。途中の村人を徴集するにしてもそれほどの数は集らぬだろう。


 だとしたら・・・・・・敦賀方に知らせての挟撃か、或いは我らが反転して龍門寺城を襲うと考えたか? 

 念のために海岸の北と南にも見張りを出して備えるか。


直澄隊が暗くになってから戻って来た。騎馬隊を追い払い、後続隊を待ち伏せしていたが来る気配が無いので戻って来たという。富樫隊から馬十頭を奪ってきた。

 後続隊は追い払った騎馬隊と合流して引き返したのだろうか? それとも距離をとって我らの行く先を確かめようとしているのか・・・

富樫隊の追跡の意図が分からぬ以上、見張りを厳重にする。


なに、明朝までだ。船が来れば奴らはついて来れぬ。


深夜になって海岸沿いに焚き火をさせた。船への目印になると思ったのだ。

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