第218話・織田家の戦略。


 その頃、犬山城を落として尾張一国を手に入れた織田軍は、加茂郡・可児郡・明智郡・恵那郡に怒濤の如く兵を進めていた。

その鬼気迫る勢いに武田方だった遠山七頭もあっさりと織田方に降伏して東美濃十五万石ほどは織田家のものになり美濃攻略は終わった。


その日、美濃・岩村城の大広間では武将たちが集められて、東濃制圧した宴が行なわれていた。


 恵那郷は美濃の端である。信濃の国との間には稜々たる山脈と深い峡谷が立ち塞がっているのだ。どちらも大軍が通れる地形では無い。ここを越えるのは一旦軍を止めて、計画を立てる必要があった。



「皆の者、此度はご苦労であった。お蔭で加茂郡・可児郡以東の東濃は織田家のものとなった。ここで兵を休め信濃侵攻の英気を養うのだ。よって本日は無礼講である、心づくしの酒肴を楽しむが良い」


「「「 ははっ 」」」



「御屋形様、次はいよいよ信濃ですな」


「そうだ。権六、まずは伊那と木曽だ。それに飛騨路も攻略する」


「御屋形様、木曽は厄介ですぞ。狭い峡谷を延々と北上しなければなりませぬ・・・」


「分かっておるわ、信盛。だが一方向だけ攻めれば、武田も兵を集中してくる、又、木曽谷から兵を廻して背中を突かれぬとも限らぬ。そうなれば厄介だ」


「まさしく。武田の騎馬隊は強力だと聞いておりまする」

「滝川殿、伊那におる武田の兵力は、どのくらいで御座るか?」


「伊那郡の守備兵は三千ほど。そこに我らが攻め込めば、武田の主力八千以上は来ましょうな」


「一万一千、それに武田騎馬隊か。手強い戦になりまするな・・・」


「そうよ。その騎馬隊に直接当たってはならぬ。馬防柵で騎馬を防ぎ、止まったところを弓・火縄で減らしてゆくのだ」


「武田に騎馬隊の戦をさせないと言う事ですな。なるほど、さもあらん・・・」


 武将たちは武田との戦を思い浮かべている。それは風林火山の旗の元、怒濤の如く押し寄せてくる恐ろしい騎馬隊だった。多くの者がその場でブルッと武者震いをした。



「それでどういう配置になりましょうか?」


 織田軍は東濃に一万五千で進軍してきた。それに傘下となった国人衆六千が加わって二万一千の勢力だ。



「伊那郡の配置の前に、木曽谷を攻略したい者はおらぬか?」


「・・・・・・」


 武将たちは一様に厳しい顔をしている。狭い木曽谷、そこに待ち受けるのは武勇の誉れが高い木曽義昌だ。

延々と続く見通しの効かない谷間で常に挟撃される恐れがある実に厄介な土地だ。その上に木曽谷は平地が少なく、攻略できたとしても実入りは少ない。


「木曽義昌、相手にとって不足はあるまい。どうだ、我はという者はおらぬのか?」


「・・・そ・某にお任せを!!」


 声を出したのは末席に座っていた木下だ。


「ほう・・・猿か。他にはおらぬか?」


「・・・」「・・・」「・・・」



「ならば木曽は猿に任せよう。猿、与力に付けて欲しい者はおるか?」


「はっ。ならば、新たに加わった明智殿と遠山殿を願いたい!」


「遠山は駄目だ。伊那への道案内をして貰う。その代わりに利家を付けよう」


 人選から木下が使いやすい身分の者が良いのであろうと信長は思った。そこで、仲の良い利家を付けることにした。


「はっ、承知致しました。但し時が掛りまする!」


「良かろう。木曽谷は、調略をしながらじっくりと落とせば良い」

「ははっ!」


 木下藤吉郎が手を上げたのは、皆が難しいと思う事をやりたいという気持ちが大きかった、但し正面攻撃ではなく時間を掛けた調略を仕掛けようと考えている。それを信長は読んだのだ。

 もっとも木曽谷は塞いで敵の進出を止めるだけでも良いのだ。


「伊那郡は権六を総大将として信盛が補佐してくれ。東濃勢の遠山景任と可児才蔵を加えて一万兵で向かえ。状況に応じてこちらから援軍を送る。飛騨路は金森長近が三千で向かえ。良いな!」


「「「 ははっ!!! 」」」



 こうして織田軍は、中津川から三つに分かれて進軍する事になった。

 史実とは違い山中国が西を塞いでいる現状では、織田は東に向かうしか無い。ただ、山中国に侵略の兆しが見えない今は、南(松平)と西(浅井)とは同盟しており甲斐武田との戦いに注力できる状態ではある。


対する武田軍は、木曽谷には木曽義昌が二千で織田軍に対峙、伊那郡には三千の守備兵。織田の侵攻を知り諏訪に甲斐の主力八千が集結していた。

武田家は甲相駿三国同盟で三方を固めて、越後の上杉輝虎と対立して北信から飛騨に兵を進めていた。さらに南信から遠江と美濃を喰おうとしている。


この時点で飛騨国は統一されておらず、三木氏・江馬氏などの数百の兵がいる土地に武田と上杉が介入している状態だった。

飛騨は特に平野が少なく山また山で人が少なく、全勢力を合わせても三千兵もいないような土地だ。そこに新たに織田の勢力が入る事になる。


またこの武田の動きを察知した上杉家も兵を集めようとしている。つまり第五次の川中島の戦いが始まろうとしていた。今回は美濃から織田家も参入して三つ巴の戦いになるだろう。




「木下殿、どのような策で木曽を攻めまするか?」

 仲間を連れて宿舎に戻った木下に、与力となった明智は腹心の秀満を連れて早速訪ねていた。事前に準備出来るものを準備しておこうという気持ちだった。


「まずは説得だぁ。あげな山ん中に攻め込んだって埒あかねえだべ」


「とは言っても木曽殿の奥方は信玄公の妹御、織田に降るとは思えぬが・・・」


「けんど、木曽衆の稼ぎは材木よ。材木は下流に流してなんぼよ。道を登って人力では運べねえ。だったら下流を支配している織田に従うしかなかんべよ」


「うむ、道理だ・・・」

「・・・なるほど、合点がいったわ」


配下に蜂須賀・前川らの川浪衆がいる木下は、木曽衆の事情に通じていた。それが誰もが嫌がる木曽谷攻略に手を上げた要因だった。


「明智殿もこの近所だ。木曽に知り人がおろう。それで説得してくれろい」


「いや、某は木曽衆に知り人はおらぬ・・・」


「あいゃ、・・・だったら戻って里人に聞いて呉れろ。そこが木曽攻略のミソだからなぁ」


「・・・うむ、承知した」


恵那郷の者ならば木曽衆に知り人がおると思っていた当てが少し外れた木下であった。この木下は犬山城下に火を放ち、そのドサクサに紛れて城を奪った手柄?を立てて、少しだけ身分が上がり名だたる武将たちの末席に加えられたのだった。まだ配下の者は怪しい川浪衆だけだ、そこに臨時の与力として明智光秀が加えられた。


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