第220話・新しい故郷。


 某・真柄直隆は混沌とした越前を離れて、活気のある近江・野瀬村に移住することにした。一族郎党千二百名を連れての逃避行だ。早朝暗いうちに村を出て、追って来た富樫兵を追い散らしてその日の夕方に海岸の河野村に来た。

 ここに我らを運んでくれる山中の船が来てくれる筈だ。


我らは期待と不安を胸に、厳重に追手を警戒しながら来てくれる船を待っていた。


 もし、船が来なかった場合どうするか、

そこら中の漁師船を集めても渡れる人数では無い。

その時には足弱な者を船に乗せ、兵を付けて送らせるしか無い。


あとの者はどうするか、それでも一千数百人はいるぞ・・・・・・などと考えていたら気が高ぶって遂に明け方まで寝られなかった。



「殿、船です。船団が来ています!!」

「来たか!!!」


 朝靄の海に白い帆が浮かび、それが急速に接近してくる。五隻だ、近付いて来るその舟は大きい。実は某も山中水軍の交易船を初めて見たのだ。


「皆の者、あれが山中国の船だ。我らを迎えに来てくれた船だぞ!!!」


「「「おおおおお--!!! 」


 皆が大きな声を上げた。民らも某以上に不安だったのだろう。

 それにしても良く来てくれた…助かったわい。


「村の漁師を連れて来い。水先案内をさせるのだ!」

「はっ!」



 船で出た漁師の先導で、二隻の交易船が入って来た。湊に船が横付けされると渡り板が掛けられ、日に焼けた兵が降りて綱を結んだ。


「真柄殿はおられるか!」


「某が真柄だ!」


 船に近付いて見上げる。甲板には男達が並んでいる。その前に立つ男が船長だろうか?


「山中水軍、渡辺藤左衛門だ。迎えに参った、順次乗船されろ!」

「渡辺殿、忝し!」


 大勢の者が渡れるように、渡り板は何枚も並べて掛けられた。某が先頭で船に移ると、渡辺殿が右手を差し出した。その逞しい手をがっしりと握る。


「真鍋殿、ようこそ熊野丸に」

「うむ、世話になるが宜しく頼む。皆船に乗るのは初めてなのだ」


「承知しておりますよ。水夫が案内するので順次乗せて下され。この熊野丸を四隻付けます、一隻に最大で四百ほどは乗れまする」


「我らは総勢一千二百名だ。四隻ならば一隻三百名で願えるか」

「宜しかろう」


「皆の者、一隻に三百ほど乗るのだ。順次乗船せよ。直澄と兵は最後だ、後方で警戒を頼む」



 広い渡り板により乗船はあっという間だった。乗り終えると交代にすぐに次の船が入って来て接岸する。最後の兵も乗り込み千二百名が一人残らず無事に乗り込めた。もう追っ手の心配は要らぬ、某は心底安堵した。


 山中の船は驚く程船足が速く揺れも少ない。河野村から一刻もかからずに敦賀湊を通り過ぎて、突き出た島を大きく迂回すると湊に入った。慣れぬ船に気分が悪くなる者も多かったが、甲板に出て風に当たればやわらいだ。


「真柄殿、若狭・阿納尻湊で御座います。ここは山中領でありこれからの道中にも危険はありませぬ。ご安心下され」

「後藤殿、世話になり申した。直隆、感謝致す」


「なんて事はありませんぜ。越前海岸なんぞ、蝦夷に行くのに比べればお茶の子でさあ」


 彼らは遠い蝦夷地まで廻船しているのだ。この大きな船が他にも十数隻あって、関東や奥羽、琉球や南蛮まで交易していると言う。

山中国の強さ、大きさは朝倉の中にいては到底計り知れぬ。その国を僅かな兵で攻め取ろうと思ったなど正に笑止千万だったのだ。


若狭・阿納尻の拠点は広い、我ら全員が入っても全く問題が無い広さだ。高櫓が四隅に建てられ見張りも万全なようだ。広場の隅には大型の荷車と馬車が並んでいる。



「ようこそ山中領阿納尻拠点に。某は当地差配の富永保永で御座る」


「真柄直隆で御座る。これなるは弟の直澄です。この度はいかい世話になり申した。山中領に無事辿り着き直隆、心底安堵致した」


「お察し申す。皆お疲れで御座ろう。ここで一晩休まれても良いが、どうなさる?」

「近江・野瀬村にはどのくらい掛ろうか?」


「高島の湊まで十一里、そこまで荷車で二刻。そこから船で近江犬上河口まで一刻は掛りませぬ」


 交易船の荷を運ぶ為に馬に引かせる大型の荷車が多数あるという、その荷車に乗れば足弱な者でも関係なく三刻(6時間)、本日の明るい内に野瀬村まで到着出来るという。やはり山中領は進んでおるわ、桁違いだ・・・


「直澄、どうするかのう?」

「ならば兄上、我ら大所帯ゆえ二手に分かれましょうぞ。荷車に乗せられるだけの者を乗せ某が先導致しまする。兄上は明日、脚の達者な者を連れて参られたら如何か」


「うむ。富永殿、そのように願えるか」

「分かり申した。早速、荷車を呼びまする」


 普段は荷を積む荷車に座板を渡して人が座れるようにするのだ。それでも一台に十人ほどだが、その荷車が延々と入って来る。そんな数の荷車を見たのは初めてだ。


「では兄上、先に参りますぞ」

「おう、頼んだ」


 馬に引かれた荷車が列を成して出て行った。広場にはまだ荷車が多数止まり、それを山中兵に助けられながら次々と民が乗り込んでいる。


「富永殿、どれ程の荷車が御座る?」

「総数は百台以上になります。武田家と高島の車が増えておりますで、定かではありませぬが」


「一台十名、百台で一千名で御座るな。それほどの人数が船に乗りましょうか?」


「今、近江丸は六隻御座るので、百二十台までは一度で運べまする」


 なんと・・・物量も凄いのう。あの大きな船の荷を運ぶのだから当然か・・・



 翌朝、富永殿や後藤殿らに丁重に礼を言って、早朝に阿納尻を三十台の荷車で出発した。贅沢なことだが達者な兵も荷車に乗せて貰ったのだ。某ら二十騎は荷車の後に従った。


 早足で快走する荷車について行く。道が越前より段違いに広く、荷車と荷車とが速度を緩めることなくすれ違えて通行人の邪魔にならない。地面も平らで良くしまっている。実に快適である。

 高島の湊では、船尾を桟敷に接岸した近江丸が待っていた。馬を外した荷車を引き入れる。馬も慣れたもので荷車の左右に行儀良く並んでいる。



 次第に近付く風景は懐かしさをもっていた。某は南近江に四ヶ月ぶりに戻って来たのだ。感慨深いものがある。


 初めは敵地だった、二百名の兵と共に決死の覚悟できたのだ。ところがそこに暮らしてみると、人々は明るくて親切、気候は温暖で仕事も多く実に住みやすい土地だった。


 おお、懐かしい顔が岸に並んでいる。村長の小左衛門どの、商人の喜左衛門どの、丸い顔の松山どのもいる。先行した直澄や家臣や家族もいる。何だか遠い旅をして故郷に帰ってきたようだ。


 いや、違う。ここが我らの故郷だ。新しい故郷なのだ。



「みな、出迎えご苦労!」


「お帰りなされ、殿!!」






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