第209話・安房・勝浦拠点。



「殿、ようこそ清水湊にお起しで」

風に恵まれ清水湊には冬の宵が訪れる前に到着した。清水湊店の主・長右衞門が、我らの船が入ったと知って桟橋まで迎えに来てくれた。


「長右衞門か、出迎えご苦労。どうだ駿府は?」


「はい。今川家重臣の朝比奈様にご贔屓にして貰っているお蔭で全てにおいて順調で御座います」


「それは何よりだ。関東の情勢が切迫しておるでこのまま行くが、帰りには寄って話しを聞くと定持に伝えてくれ」

「畏まりました」


 新天地での働きを志願してきた三雲定持には、駿府を中心に西の松平、北の武田の情報を集めよと命じてある。

とは言っても商いの相手としての情報で良く、両方とも優秀な忍び衆がいるため無理をしてはならんと言ってある。山中は戦いには関与しないが武器や兵糧は売る。三国共にだ。


ちなみに尾張三河へは伊勢の商人が入っている。武装が弱い伊勢商人は、物騒な関東までは出張れぬし、船も小型で遅く長距離廻船は危険なのだ。伊勢商人が扱う山中製の武器が尾張や三河でも活用されるだろう。




 翌日は風が止んでいた。半日動けずに出港したのは昼を過ぎた時分になった。弱い風に遅々としか進まずに、夕闇に追われながら利島湊に入った。船が見えたか桟敷に数人の島民が出向かえている。


「山中国の船だ。一晩湊を借りるぞ」

 津料代りに米と酒を少し降ろす。


「へえ、旗を見て分かりましただ。それにしても次から次へと大船が来るだな。やっぱ山中国ってのはてえした国だべ・・・」


「ふふ、これからも世話になる、宜しく頼むぞ」

「へえ、いつでも来なされ」


 利島は小さな湊だが、航路に面していて気軽に入れる風待ち湊として重宝するだろう。北向きにある為に野分けの南風も当たりにくいという面もある。



利島から勝浦湊までは六十五海里、足の早い熊野丸は最大で一刻四十海里、弱風でも二十海里は進む。早朝発って昼にならぬまに勝浦湾まで来た。ちなみに利島-神奈川湊間も同じ程だ。


勝浦湾に入り「ドゴーン、ドコーン」と大砲を撃って北上する。

 勝浦湾は正木水軍が拠点にするだけあって、なかなかの良い湾だ。南に向けて開いた丸い湾奥の東側に見慣れた船が停泊している。

黒字に虎の大旗・山中水軍旗艦の堀内丸と熊野丸二隻だ。正面の山裾には台地状に切り開いた所に山中の大旗が揺れている。そこが新しく切り開いた勝浦拠点城だろう。



「大将、勝浦湊にようこそ!」


 桟敷が近付くと、湊から氏虎の大声が響く。折良く湊にいたようだ。氏虎の廻りに数人の町役らしき男達がいる。


「おう氏虎、ご苦労だな。住民に乱暴をしていないだろうな」


「無論。ここでは仏の氏虎様と呼ばれてまさあ。がっはっは」


 ・・・似合わぬ。氏虎に仏は似合わぬ・・・むぅ、お地蔵さんからの発想か・・・


「冗談はさておき。照算は商いか?」


「まことでんがな。あい、照算は商いで那珂湊に、どうやら商いに目覚めた様ですぜ」


「・・・、結構だ」



 勝浦湊を制圧してふた月近くは過ぎている。当初避難していた住民も山中の治政を知り殆ど戻って来たようだ。山中の治政は畿内と同じで、とりたてて税を安くしないが無給の労役や兵役も無い。但し農民以外の商人職人にも利益の中から一定の税を徴収するというものだ。その為の人別や検地は徹底する。


「戦況はどうなったな?」


「へい、武蔵・国府台の戦いは北条勢が快勝。その勢いで上総に侵攻して来て里見方の城を次々と落としています。ついこの北・四里の大多喜城の正木もその勢いに負けて降伏しやした」


「ふむ、正木は北条方になったか。となると里見は苦しいな・・・」


「まさしく左様。ところが里見は劣勢を跳ね返そうと各地で盛んに攻撃を敢行しておりやす。なかなか、てえしたものです」


 正木は水軍を含めて里見方の有力な勢力なのだ。それが北条と我らによって失われたのだ。痛いだろうな・・・劣勢になった里見方は、補給が延びた北条軍にゲリラ攻撃を仕掛けているという訳か。

 たしかになかなかやるな、氏虎が感心するはずだ。


「こちらには攻撃して来たか?」


「いや、一度も無え。それはちょっと期待外れで。両軍ともこちらまで手を出す余裕は無いってことだろうが・・・」


「それで良いのだ。照算が戻って来たのなら神奈川湊に行くが、里見との商いもしたいものだな」


「某もそう思っていやした。ですが我らが里見方に乗り込めば戦になりましょうな・・・」


 北条方とはどんどん商いをしてゆくつもりだ。何たって関東最大のお家だからな商機も大きい。

 だが、只でさえ強大な側ばかりに良い武器を供給するのはあれだ。相手側にも同じ様に門を開けておきたい。


「栄山、何とかならぬか」


「ほい、宗派は違えど僧は僧です、近くの寺で話を聞いてみましょう」

「頼む。杉吉の手を借りると良い」


「心得ました。暫しのご猶予を」


 栄山は強大な根来寺を説き伏せた実績がある。同じ宗派でなくとも僧同士の繋がりに期待したい。そのつてならば里見家も話を聞いてくれるだろう。それが一番穏便な手段だろうかなら。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る