第208話・御大将は爽快だ!。



永禄七年三月 紀湊栗栖城 山中勇三郎


「都は左様なことになっておりますか・・・」


「そうだ。この騒動は仕掛けた者を滅ぼすまで続くであろう」

「将軍家が滅びますか・・・」


「うむ。相楽はそう承知しておいてくれ」

「畏まりました。ここの南蛮寺にも釘を刺しておきまする」


 紀湊には南蛮の寺、つまり教会が有る。山中国ではキリスト教の布教は許可していないが、南蛮船に乗って来た船員らの信仰の場としての教会の建設を容認しているのだ。

 キリスト教の宣教師たちも此度のような重大な事件に荷担した場合は、当然その責を問われることになる。



「大将、朝倉景鏡が国吉城に兵を出しましたぞ」

 姿が見えなかった杉吉が戻り、若狭の状況を知らせる。


「朝倉か・・・仔細を聞かせてくれ」

「三月三日に敦賀から朝倉隊三千が出陣して国吉城を囲んだようです。粟屋方は三百兵ほどで籠城。これを知った大隊長が阿納尻に五百を派遣、さらに遊軍五百兵を送るようです」


「阿納尻の水軍・佐々木らは廻船中だったな」

「はい、正月明けに蝦夷に向けて出港しており、予定ではもうすぐ帰港すると」


 今回が蝦夷の初荷だ。佐々木らは船を総動員して向かっているだろう。阿納尻村に残るのは竜玄指揮の二百程の守備隊だ。国吉城を落とした朝倉隊が三千の兵力で攻め寄せれば危ういか・・・


 いや、村や湊は蹂躙されても竜玄の指揮する二百がいれば、阿納尻の拠点は三千ほどでは攻めきれぬだろう。五百の山中隊が到着すれば全く問題はない。更なる後続の五百は不測の事態に備えての保険だろう。


「武田の動きは?」

「朝倉に同調するような動きはありませぬ。沼田殿らが山中隊の支援に動いており、武田もそれに追従しておる様です。ただ実際に武田が朝倉と戦うかと言えば・・・」


 まあそれはそうだ。朝倉や六角といったビッグネームに小国が刃をむけるというのは大変な勇気が要る。以前に六角と戦った浅井は例外に近いのだ。


「近江の朝倉隊はどうなったな?」

「近江丸が真柄隊二百を乗せて塩津湊に送りました。残っていた魚住隊と合流して負傷者を助けながら越前に向かったと」


「ふむ、雪解けと共に皆が動き出したか。ところで、真柄隊はもう少し多くなかったか?」


「およそ五十が野瀬砦に残っております。どうやら次男や三男など急ぎ帰る必要の無い者らのようで、藤内殿が滞在を許されたと」


「そうか。ならば良い。南近江には新介と藤内がおる、例え朝倉・浅井・織田が連合して攻め寄せても落とせぬ。我らの仕事は関東だ」


「ですな。いつまでも虎を野放しには出来ますまい」

「そうだ。そろそろ行かねば関東が不安だ」



 関東の情勢は風雲急を告げている。今は国府台の戦いの真っ最中だった。そこで因縁のある勝浦湊を取ると決めて、氏虎と二隻の熊野丸を派遣した。

船長は後藤正晴・水野直茂のいずれも氏虎麾下の武闘派たちだ。勝浦湊を取れば、正木軍や里見水軍との戦闘になるかも知れぬから充分な戦力は必要でに陸戦隊五百名も乗船している。


 ただ、あまり里見軍とは戦いたくは無いのだ。というのも強大な北条と戦う里見の力を削げば、関東の軍事バランスを損ねるからだ。


甲相駿三国同盟を結んだ北条家の主敵は越後・長尾と安房・里見だ。その長尾が上野勢を引き連れて小田原を囲んだのは数年前の事で、北信での武田家との数度に渡る激烈な戦闘はもう過去の事なのだ。

 今の情勢は、南と東西を狙う武田と東に兵を進める松平と織田、いずれ駿府は餓狼どもの狩り場となろう。北からは海を求める武田が同盟を破棄して進出してくる。


 そんな微妙な情勢の関東に強力な虎を放っているのだ。最近は子供が出来て大人しくなったとはいえ、戦闘好きの氏虎君には好餌が多い。限定的な戦力とはいえ照算隊を合わせれば里見家を喰らう程の力はある。




「出港!!」


 静かに船団が紀湊を離れてゆく。俺たちの船出だ。華やかな行事は何も無いが、紀湊の町を船上から眺めるのは、これから遙かな旅に出るという感慨が起こってくる。

整然とした町並みがどこまでも続き、その背後には白塀が輝く巨大な城。堺や長崎を遥かに超えた紀湊は、まさに俺の理想そのままの都市だ。その地を離れて争いの坩堝と化した関東に赴く。


 船団は、扶養善五郎船長の大和丸、それに二隻の熊野丸、船長は愛州宗通、太田定久のベテラン達だ。

南近江から志願してきた中岡・池田が率いる陸戦隊三百とお龍率いる華隊五十と杉吉の斥候隊五十、僧侶の栄山と宗智も乗っている。まあ僧侶にも仕事は色々ある、何より博学だし使者も務まるし経も読める。


なお紀湊には備前から戻った九鬼春宗がいる。しばらくは休息をとりながらここの水軍の指揮だ。紀伊湊・地上軍は近江から戻った梅谷中隊長、総差配は相談役に津田算長名誉家老をつけた相楽利右衛門だ、この態勢にも何の問題も無かろう。


 船団は湯浅・御坊・田辺・日置と立ち寄りながらゆっくりと南下する。船に慣れぬ兵もおり各湊で乗船する兵もいるからだ。



「日置湊に入ります!」


 久し振りの日置湊だ。相変わらず見事な内海の水軍拠点だ。真っ先に降り駆けて行くのは楓だ。子供が生まれたばかりの由紀姫に会いに行くのだ。

由紀姫は以前のまま日置で暮らしている。日置湊は水軍兵の調練拠点で水軍大将の氏虎は日置湊と紀湊とを行き来して暮らしているから支障は無いのだ。


 まあ、実質ここ日置湊の大将は由紀姫だろうな。



新宮湊・熊野城でも人員と積荷を乗せ、船団は山中領最後の湊・伊勢湾奥の羽津湊に入った。南近江領からも最短であるこの湊は、山中国の東の窓口にふさわしい広大な湊だ。南廻り廻船ではここが基点湊になる。


「大将、織田が尾張を統一しましたぞ」


 有市の開口一番の声がこれだった。


「そうか。力攻めか?」

「はい、浅井から稲葉山を落としたとの報告があると織田は直ぐさま全軍を集めて美濃へ進軍しました。斉藤と協調していた犬山城の織田信清は、この機を逃さず小牧山を取り囲みましたが、小牧山には相当数の守備兵が隠れており攻撃が膠着致しました」


「ふむ、空城の計か。おおかた浅井家に下った竹中の献策であろうな・・・」


「それは分かりかねまする。ですが犬山城下は火に包まれて、これが罠だと知った犬山勢は四散して逃げ去り、犬山城は木曽川の川浪衆に助けられた木下藤吉郎という者が抑えたと聞いておりまする」


「ふむ、信長はやはり稲葉山城の事で焦りを覚えたか。それにしても猿はどうなっても目立つな」


「猿とは・・・誰です?」


「信長のお気に入りの近衆・木下藤吉郎という男よ。あやつは野心が強く小才があり弁舌が立つ人誑しの天才だ。あの者の動静も注視せよ」


「畏まりました」


 羽津湊で最後の積荷を積んだ。今回は商い目的では無いが、こうして船が動く以上は積荷を積んで動くのだ。出先ではちゃっかり商いもする、それが山中水軍なのだ。


「よし、全帆航走で、清水湊に向かえ」

「はっ。南に向かい全帆を張れ!」

「取り舵、全帆!!」



 風を受けて膨らんだ四つの帆が船を前へ前へと推し進める。帆を支える綱がキリキリと音を出しはじめると、大和丸が徐々に熊野丸を引き離して行く。目指すは駿府・清水湊、ただ東北東に真っ直ぐだ、その間に障害物は無い。


 さあ、風雲急を告げる関東に向かう。

そこで我が山中水軍がどういう働きをするのか。


 実は、これと言った考えが無い。つまり行き当たりばったりなのだ。

たち向かってくる者は叩く、商品を買ってくれる者は大切にする。


だがそれだけではいけないとも思っている。



「扶養、爽快だな、何もかも忘れるぞ」

「まったくです。まるで船に翼が生えた様な走りですな!」

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