第五章・動乱
第201話・突然の来訪。
永禄七年(1564)正月 大和東山・法用砦
目が覚めた。
薄暗い光の中で俺の目に像を結んだのは、囲炉裏の煙で燻された竹格子天井だ。それは見慣れた光景だった。この時代で目を醒まして最初に見てから、何回も見て、見るたびに安堵した光景だ。
「さむっ! 」
そっと戸を開けると、隙間から入り込んできた冷気に思わず身震いした。地面には細かな雪が薄く広がり、暗い空から細雪がまばらに降っている。見るからに寒々とした冬の朝が明けようとしていた。
「おや大将、お早いお出ましだねえ」
「おう、お銀か。湯漬けを頼む。甚作はどうしたな?」
「甚作爺は今年は休ませたよ。働きずくめは良くないからね、元気だけどもう結構な歳だしね」
「そうか、幾つだな?」
「もう還暦前で、とうに隠居してもいい歳さね」
「・・・そうか、うちは年寄りをこき使っているな、済まん」
「そういう意味では無えよ。年寄りだって仕事を貰い、皆張り切りすぎているって事だね。大将が気にする事じゃないよ」
還暦か・・・、還暦で思い出すのは、今も寒い山陰路で山城を囲む毛利元就殿の事だ。もう出陣して二度目の冬で、その間に頼みの息子、当主の隆元殿を亡くしている。そして今は幼年の孫の輝元が当主なのだ、隠居するわけにはいかない。
「お銀も孫が出来たな」
「あいよ。お久美もお里も今家にいるよ。今年は賑やかな正月だよ」
久美と藤内の子は、里という可愛い女の子だ。藤内がいる佐和山が落ち着くまで、ここ法用の実家暮らしをしているのだろう。
「ところで、今日は何日だな?」
「正月二日だよ。大将、あらためて明けましておめでとう御座います」
「おう、おめでとう。お銀、湯漬け旨かった。正月から寒いところでご苦労だが儂も皆も助かっている。頼むぞ」
「あいよ!」
永禄七年一月中旬 近江石部拠点 北村新介
南近江に来てはや三ヶ月が過ぎた。新領地となった近江は、河川付け替えに拠点作り、水路と街道整備など普請ラッシュで大活況を呈している。新兵も二度の給金を貰って、山中兵としての暮しにも慣れて安心して働いているようだ。
旧六角家の家臣団のうち、山中家に仕官した者はおよそ一万、その中で約半数がここにいる。残りの三千が佐和山に、二千が大和や紀伊に移動した。個々の希望や適性を見て水軍兵になる者や新しい職を学ぶための移動だ。某が率いて来た兵の半数も五百ほどの近江兵を伴い紀湊に戻した。
「大隊長、夜中阿介・生子隊と共に着任致しました」
「ご苦労だな。夜中どの、まずはここの暮しに慣れてくれ」
「はっ」
京にいた特務隊の夜中どのと生子隊がこちらに来た。京との位置が近いここは、その対応をしなければならぬ。某の苦手な分野に大将が、京の事情に詳しい夜中と御所や禁裏の人物を見知った生子隊を付けてくれた。
『将軍家やその近衆・公家衆の滞在を認めぬ』
これが山中国の基本方針だ。都のお偉方は騒動の種だと言う、何かある度に近江を頼った歴史があり、その連鎖を断ち切る為の人事だ。
都に繋がる道には関所を設けて生子隊の者も詰めさせる。民の通過は構わぬがそれ以外の者の通過は難しくする。
それが大将の指示だ。その意味するところは某の考える範疇ではないのだ。
永禄七年一月某日 多門城
新領地となった近江は新介と藤内を中心とした多くの家臣らにより、安定した統治が出来ている。隣国との関係も特に不安なことは無い。
大和・紀伊・北勢・備前・東伊予・博多・若狭も大きな問題は無い。山中銭作りもフル稼働状態が続いて、銭一千枚を紐で結んだ一貫文などという馬鹿げた銭を領内で見かけることは無くなった。
交易もそれぞれの地域で担当船団が動いて、多くの利益をもたらしている。木炭・紙・木綿(わた)・絹(蚕)などの生産も上がってきた。その他の木製品・竹製品・鍛冶製品など国内で改良され作っている製品も順調な売れ行きだ。
南近江を併合したことにより木地師の品なども加わった。
つまり山中国は平和で好景気だ。
「大将、松永様がお見えです。久通様もご一緒ですぞ」
「なに、真か?」
松永様は山中家にとって主筋に当たる。年に一度はご挨拶に伺っていたが、近年は大きくなった山中家の主として気軽に動けなくなり、書状のやり取りで済ませていた。
つまりご無沙汰していた主家の主父子が訪ねて来たのだ。これはちょっと申し訳ない気持ちだ。
「これは松永様、お出でいただいて、まことに恐縮でございまする」
「いやいや山中殿、ちと酒を酌み交わしたくて参ったのじゃ。そう思うと年を取ったせいかもう待ちきれなくてのう」
「…ならば酒肴の用意を致しまする。お相手はそれがしと清水でよろしいか?」
「いやいや、酒を酌み交わすのは賑やかな方が良い。適当に呼んでくれたら良いぞ、こちらの人選に不安は無いからのう」
会見の場に通られたのは松永様とご嫡子の久通様と二人だけだ、それで内密な話をしたいのだと思ったのだが、こちらの人選に不安は無いという。
…それは、松永家中の人選には不安があるという事だ。
賑やかな方が良いと言う事なので十蔵の他に杉吉と百合葉も加えて、接待役にお滝とお滝の配下のお龍とさくら、それに楓も参加させた。それで男四人女五人の華やかな宴となった。
さて、松永様が久通殿を伴っての話とは、何か……
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