第199話・その後の朝倉軍。
永禄六年閏十二月一日 木之本宿陣屋 高橋景業
「殿、このままでは拙う御座いますぞ」
「解っておる。だが峠の雪が溶けぬではどうしようもあるまい・・・」
近江に侵攻して来てひと月が過ぎた。
来るなり佐和山の陣城を攻めて大惨敗を喫し、ここ木之本宿の辺りまで退いた。越前に帰ろうにも北国街道・深坂峠は深い雪で越えられぬ。既に平地の雪は溶けたが、峠には何度も降雪して積雪は深い。
そして民家に狼藉を働く兵が出て来た。兵糧が足りないので充分に飯を喰わせず、兵が常に腹を減らしているせいだ。その上に惨敗した殿の責任を問う声がそこここで聞こえている。
このままでは拙い、某らの立場が無くなる・・・。
「元気な兵を敦賀に向かわせましょう」
「それが出来ぬから弱っておるのだ」
「輜重を引かず武器も置き、交替で雪を踏み道を作れば可能です」
「むう・・・・・・」
軍には大量の輜重(荷駄)がある。それがあるから雪の峠越えは出来ぬ。だが人間だけならば、時間は掛るが雪を踏みしめての移動が可能だ。人海戦術で兵士を投入すれば人だけの峠越えは可能なのだ。
「敦賀に行けば兵糧がありまする、兵も喜んで行くでしょう。そして兵糧を背負って運ばすのです」
「ふむ、雪道ならば三人で一石ほどか・・・」
「はい、兵一千五百ほどに兵糧を背負わせれば、春まで持ちまする」
「さすがは高橋じゃ。すぐに取り掛かかってくれい!」
「はっ」
この事を将らに相談すると肯定された。早速、飯をたらふく食わせて槍など重い武器を置いた身軽な兵を順次送り出した。するとその日のうちに峠まで達して、翌日には敦賀に抜けることが出来た。
予想外に上手く行った、兵は雪に慣れているのだ。もっと早くに行なうべきだったと後悔した。木之本宿に残ったのは負傷者五百と警護兵一千。歩ける負傷者は全て敦賀に向かわせた。
「よう戻った。ご苦労であった!」
兵糧を背負った兵が戻ったのはその次の日だ。続々と続く兵の列を迎え気分が久々に晴れた。
「高橋。お手柄じゃ、越前に戻ったならば重臣に推挙しようぞ」
「ははっ、有難き幸せ!」
重臣になれば暮しが一変する。広い屋敷と高い棒給・自らの兵を作れるのだ。
うむ、ここはもう一踏ん張りしどころだな。
今回の遠征では惨敗し多くの死傷者を出したのみだ、我が生涯最大の汚点だろう、重臣の立場に足枷となりかねぬ。何か汚名を拭う手は無いものか。
筆頭家老に上り詰める為にも汚点は拭っておきたい、このままで帰れぬぞ・・・・・・・・・・・・
永禄六年閏十二月十日 大垣城 浅井長政
西美濃の掌握は着々と進んでいる。寺社や国人衆の領地安堵をして民の暮しの安寧に配慮すると共に、反抗する者は稲葉を先方として徹底的に叩く姿勢を見せると地侍らは次々と浅井に下ってきた。
西美濃で新たに増えた兵は五千に迫る、織田と同盟が成って垂水と北方を加えることが出来れば勢力が倍増する。それ故にこれからの浅井家の動きは今までよりは一層難しいものとなろう・・・
「殿、朝倉が高島に攻め寄せましたぞ!」
「なんと!」
朝倉兵が雪中行軍をして敦賀に向かい、兵糧を背負って戻って来たのには驚いたが、我が領に越冬する朝倉兵が激減して安堵したのはつい先日のことだ。
それまでは治安維持のために赤尾隊二千を常に配置していたが、朝倉兵三千兵に充分な兵糧があるとなると治安維持部隊は十分の一で済み浅井の負担が大幅に減ったのだ。
浅井と領地を接している高島郡は、佐々木越中を頭に高島七頭が支配している。六角家の緩やかな支配下に有ったために辛うじて自立していた土地だ。いずれ侵攻して浅井領にする予定の土地だった。
それを朝倉軍が攻めたか、我が目前の獲物を横取りされた感じがして何となく腹がたつな・・・・・・
「戦況はどうなったのだ。順を追って申せ」
「はっ、朝倉軍三千の内、負傷者五百と警護の兵五百を木之本の陣に残し、二千兵で高島へ向かいました。一方、高島隊は国境に柵を巡らして守備兵五百で守っておりました」
うむ、二千と五百か・・・国境線は山から湖水まで長く延びている。侵攻するならば山砦など放っておいて街道沿いに一気に進み、平野での決戦に持ち込むべきだが・・・
高島ではここ最近連日のように火縄の調練が行なわれていると言う。それも領界のすぐ傍でだ。つまりは我ら浅井を牽制して、それ程の火縄を実際に持っているのだ。
しかし、朝倉は先日の佐和山攻めで火縄銃に散々にやられたのにまだ懲りぬのか?
「朝倉軍は高島領の火縄銃の事を知っておった様で、鉄砲玉を通さぬ頑丈な楯を前方側方に配置して街道の門に向かって突撃いたしました」
「ほう、無策では無かったのか」
「はい、ですが高島隊も備えておりました。門は一段奥まった所に有りまして、その門前広場には縦横の濠が掘られており、楯の列が乱れたところを三方から火縄と弓矢で狙い撃ちにしました」
「縦横の濠か・・・なるほど」
「横の濠は曲がっており側方の柵内からも狙われておりました」
「敵にそういう備えがあったとしても、朝倉隊はそれに対応しただろうな」
「はい、朝倉軍から二隊が分かれて、左右から防壁に攻めかかりました。高島隊はこれにも冷静に対応して、的確に狙いを付けての射撃で少しずつ敵兵を削っておりました」
「それは、高島兵は火縄に熟練していたと言うことか?」
「まさしく、そう感じました。相当な調練を重ねた兵たちです。それに多数の弓兵の移動しながらの射撃も強力でした」
火縄の熟練か・・・、某の頭に伝説的な名前が浮かんだ。『津田算長』というお方だ。日の本に火縄銃を広め砲術を確立したお方で、まだ生きておられると聞いた。某も一度指導を受けてみたいものだ・・・
「とにかく朝倉軍は何度も突撃を試みるも、高島隊の強力な火縄と弓矢で門も柵を越えられませなんだ。門と防壁の前には倒れた兵の数が増えるばかりで御座いました」
「それで撤退したか、朝倉軍にはどれ程の被害が出たのだ」
「兵のおよそ一割が戦死、二割が重傷とみました」
二千のうち二百が死に四百が重傷か・・・惨敗だな。朝倉軍は二度も惨敗を喫したと言う訳だ、某では到底耐えられぬ屈辱だ。
「敗因はどう見たな?」
「はっ、朝倉軍が門を越える有効な策が楯だけであった事。高島兵の火縄隊と弓隊が思いのほか熟練していた事。そして何よりも高島隊の火縄と弓矢の数が多すぎた事で御座います」
「そうか。ご苦労だった、下がって休んでくれ」
「ははっ」
危うかったな。浅井も高島を狙っていたのだ。たかが五万石の高島郡と侮って掛れば朝倉と同じ運命を辿ったな。こうして、朝倉が高島を攻めた攻防が他人事として聞けるのは、某にとって僥倖と言えるかも知れぬ。
しかし、二度も惨敗を喫した朝倉義景様はこれからどうなさるのか、そして浅井は朝倉と今後どう付合ってゆくのか、これは色々と考えなければならぬな・・・・・・・・・
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