第103話・謀反の許し。
永禄三年十二月
俺は田辺の勝利を聞いて日置から新宮へと移動した。
新宮は大普請の真っ最中だ。この地域は平野が少ないので駐屯地は山を削って作る。ちなみに山中領の城は防御施設というよりは兵の駐屯地の役割が主なものが多い。
山を削った土や岩を運び、縁部に石垣を積みその中を土で埋めて行く。言葉で言えば簡単だが、この作業は大変な労力で沢山の人手がいる。
駐屯地だけでは無い。ここのメインは造船所だ。その為に川沿いの土地をさらに深く掘り下げて湾を作っているのだ。関船とその上の安宅船、さらに西洋の技術を取り入れてより大きく強い船を建造する。それ用の木材や材料を保管する場所・船大工や人夫の住む家もいるし、出来た船の係留場所も必要だ。水軍の一大拠点となるのだ。
人手が足りない。
今でも二千からの者が働いているが、それでも足りていない。幾らでも人手が必要な巨大プロジェクトなのだ、まだまだ何年も掛かる。
十市遠勝はその大普請の指揮を嬉々として、如何にも楽しそうにしていた。
「大将、田辺制圧も終わったようですな」
「おう、百合葉が目良父子の首を飛ばしたわ」
「女神に首を飛ばされたのなら、目良も成仏致しましょう」
「そう願うがな」
実際、百合葉の薙刀で首を飛ばされたのなら、痛みさえ感じる間も無くあの世だろうな。飛んだ目良の首が偶然に楓の手の中に落ちたときには、まだ目良は生きていたと言うからな。最後に女の、それもまだうら若き娘の手に抱かれるとは幸せな奴だ。
「田辺には木津どのが来られたのですな」
「うむ、娘が制圧した南の土地で余生を過すのも良いと、舅どのは快く了承してくれた」
田辺の差配を誰にするのか悩んだのだ。
氏虎には水軍の湊がある地が必須だし田辺ではそれが弱い。まさか女房の百合葉を南紀に置くわけには行かぬからな。
基本的に俺の居城は南都・多聞城だ。俺のいない時でも影武者を置いていて、その間の対応は十蔵に丸投げだ。
そこで田辺の差配は舅殿に頼んだのだ。温厚な舅殿ならば難しい土地でも良い治政をしてくれるはずだ。なんたって木津城の元城主様だからな。焼却城主の伝統はあるけどね、
舅殿のサポートには百合葉の戦に従ってきた曽根弾正といち早く臣従してくれた田辺五将筆頭の扶養善五郎を当てた。扶養は兵の指揮に優れていて、なかなか人柄も良い男らしい。
松葉の里の龍神甚左衛門も太鼓判を押し、扶養ならば甚左衛門も手助けすると言ったのだ。それで扶養に臣従するように勧めに行って貰ったのだ。
「それにしても大将、もう少し人手があれば・・」
「今、根来寺の僧兵を受け入れている。三千ほどは雇えると思うぞ。すぐに来るで、住む所などを用意してくれ」
「三千、そりゃあ大変ですな、うむ・・・」
「そうだな、ここだけで無く田辺にも五百・日置に五百程入れようか。それでも二千程は来る勘定だな」
「分かり申した。貴重な人手です、受け入れは何とか致します」
遂に根来寺の僧兵の放出が始まったのだ。
一万の僧兵のうち、およそ半数が銭で雇われた者だ。根来寺武力放棄にあたって彼らの事が最後のネックとなっていた、それを俺が受け入れる事で話が進んだのだ。
希望する者を山中家で受け入れる。
それが五千のおよそ六割の三千とみている。まずは五條で山中兵の基本的なことを教えてから、新宮で普請場の人夫で使って見る。そして希望する者を山中兵として召し抱える。
とにかく新宮・田辺・日置の普請、それに続く水軍の編成に大量の人が必要なのだ。
勿論、使ってみて素行の悪い者は放逐する。あまりにも悪く放逐すれば人々の害になるような者は始末もする。
今、山中家は領地が急速に広がっているが、それに見合う兵が足りていない。各地からそれなりの数の新兵が来るが、個性に応じて文官や職人・或いはその他の職に配属替えするためだ。どの仕事も人手が必要なのだ。兵となるのは闘いにあった者で全体の七・八割くらいだ。
ちなみに朝の調練をこなすのは、兵だけだ。
「大将、新しく作る城に名を付けて下され」
「ならば、熊野城としようか」
「熊野城・・うん、良い名ですな」
「某、九鬼嘉隆で御座います。殿の要請を受けて志摩より駆け付け申した」
九鬼嘉隆は小柄な男だったが、その眼の輝きは強い。彼は今までに無い事に果敢にチャレンジして海賊大名にまで上り詰める男だ。もうすでにそのオーラの片鱗が窺える。
「おう、よく来てくれたな。話は遠勝から聞いたな」
「はい、南蛮船の大水軍を作るなぞ。真に面白き事で」
「山中水軍はまずは一万の勢力を目指す。主力は従来の船では無く優れた南蛮船の構造を持った船で、火縄銃の何十倍も大きな大砲を何門も備えられる無敵の船だ。それをここで作る。
造船と操船・砲術・兵の調練とやることは無数にある。これを日置の氏虎らと分担して頼む」
「あい解り申した。九鬼嘉隆、身を粉にして努めまする」
「期待しておるぞ。山中水軍は日の本一の水軍となるのだ」
「ははっ」
今、船大工の主な者を堺に行かせて南蛮船を学ばせている。堺では義弟の木津屋寿三郎が万全なサポートしてくれるのだ。
商い大名を目指した寿三郎は、太い流通ルートと豊富な資金力・大和の旺盛な生産力、それに強力な兵力や忍びの者に支えられて、今や堺でも屈指の大店になっているのだ。
ここ新宮には豊富な十津川や北上の木材がある。それを使って大量の船を造る。その船を使って荷も運ぶ。水軍だけで無く商船としても使うつもりだ。この時代の商戦は武装をしていなければならない。
その夜は、久し振りに遠勝と酒を楽しんだ。
伴は杉吉と嘉隆、酌をしてくれるのは遠勝の妻・咲月どのだ。こういう場をもつのは十津川で湯治していた以来だな。
ついこの間のことだが、大分時間が経ったように感じる。あの時には南紀に拠点さえ無かったのだ、もうすでに取り巻く状況は一変している。
「嘉隆、志摩では暴れた様だな」
「はっ、今思えば心の狭き事で、常に何者かに追い詰められる気が致して焦っておりました」
「ふむ、それは皆同じだろう。隙を見せれば付け込まれる世の中だからな。現に大和で威勢を誇っていた遠勝も儂のような成り上がり者に領地を奪われたのじゃ」
「それは聞いております」
「そうではありますが、某の場合は相手が大将で幸運でした。こうして多くの兵と仕事・土地を任せられております。毎日が生き生きとしている上に、何やら前より出世したようで恐縮で御座る」
「まことに、わたくしも初瀬峠で落ちのびた殿に再び会えた時も嬉しゅう御座いましたが、今は毎日が嬉しいし楽しいのです」
と咲月どのが良い顔をしている。
「殿、某の立場はどうなりましょう?」
「うむ、山中水軍の一の将は堀内氏虎で嘉隆は春宗、周参見どのらと伴に氏虎の配下となる。だが特に嘉隆には、他の者の協力を仰いで新しい船を造船して戦い方を工夫するという重要な任務がある。氏虎配下であるが水軍はその性格上地域差配の勢力下に位置して、氏虎は重右衛門、嘉隆は遠勝の指揮下にある」
「・・承知致した」
「大将、それでは地域差配者に力を与えすぎで御座る。もし某が大将と袂を分かとうとすれば出来ますぞ。故に水軍は大将直属にしては如何か?」
遠勝の言葉に皆を無言で考えていた。
「カツーン」と鹿威しの音が響く。
「十市殿の言われるとおりだと思いまする。水軍といえども陸に家族・親族が住んでいる以上、例え差配が謀反を企てても、その指揮下から離れて抗う事は難しいで御座る」
と嘉隆が遠勝の言葉を肯定した。
「良いぞ、それで」
「・・なんと?」
いいのだ。それで。
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