第68話・思わぬ大水害。


永禄三年七月 岡西山城・藤内宗正


「ご家老さまのお許しを得て参りました」

と、法用村から女衆が来た。

こちらに来てからひと月があっという間に過ぎて、城の北の大まかな整地と兵の宿舎が出来て、ようやく普請が軌道に乗りかけた時だ。

十名の女衆を率いるのは、お銀の娘のお久美だ。お久美には法用砦に居たときには色々と細かい事まで世話になったが、礼を言えぬまに出陣してそれっきりになっていた。


「新しき城が出来るのです。こちらにも女子は居りましょうが、山中家を良く知る本拠地から来た女衆が必要です」

「左様か、それは有難いが大丈夫かな?」


「勿論です。皆独り身の働き者です。五條城の奥は私たちが取り仕切ります」

「あ・ああ、頼む」


大将はこの二見の地を五條と改められた。和歌浦・伊勢・堺・大和・奥吉野に繋がる五つの街道の分岐点という意だ。二見宿は五條宿、岡西山城は五條城と呼ぶことになった。

その新生五條の総奉行をなんと某に命じられたのだ。


「某のような武辺者に勤まろうか」

「武辺者は儂とても同じだ。この地は不満を抱く国人衆を抱えて、高野山・根来寺・雑賀衆と紀州守護の畠山らと鎬を削らなければならぬ。生半可な者では勤まらぬ。人の少ない今の山中では、藤内に頼むしかないのだ。受けてくれぬか」

「・・相解り申した。全力で勤めましょう」


 そこまで大将に言われては、武士冥利に尽きるというものだ。大将は武辺者として仕えるのには最高無二のお方だ。これほどのお方は天下広しといえども間違い無く大将だけだと断言できる。



 お久美は、なんかやけに張り切っているな。確かにここの女手を取り仕切る者らが居てくれると有難い。法用砦の女主人と言われるお銀の娘ならば適任かも知れぬ。多聞城や橿原城には奥方様が連れて来られた木津の女衆が取り仕切っているのだ。


 だが、妙な案配だな・・、

柳生時代からの某の腹心の武藤・中林・東郷らの屋敷にも女衆が手分けして入り、家内を仕切っているようだ。どうやら皆、法用砦に居たときの顔見知りらしい。中には押し掛け女房が来たと喜ぶ者もいる。


ちなみに某の直接率いる部隊では、中林・東郷は小隊長で兵長も武藤らの河原者出身者が殆どだ。他国で言えば兵長は五百石取りの組頭で小隊長は千石の足軽大将だ。領地こそ無いが皆それなりの地位を持つ有力者なのだ。


 その流れで我が屋敷も当然の様にお久美が来て、家内を取り仕切るようになった。押し掛け女房か・・言い得て妙だな。実に助かっている。



 連れてきた元吐田領の兵は一旦返した、吐田領でも新たに常備兵を募り、橿原で調練の後各地に配備する事になるだろう。

 宇智郡での新たな兵の徴募と山中家の法度や政を一通り広めると、ご家老達は必要な人員を残して橿原に戻っていった。


 五條を治める態勢はすでに出来ている。

この五條で新たに山中隊に加わった兵は五百に達した。某の連れてきた兵で残ったのが五百余、大和からの援軍が一千で合わせて二千の兵での普請が進んでいる。

某の役目は、全体を見ていること。梅谷隊三百は調練の指導と隣国への警戒の任につけている。



 まるで法用の女衆が連れてきたように雨が降り出した。

連日降り続ける雨に普請は出来ずに空を眺めること三日目の朝。雨中を切り裂くように、生子家からの早馬が駆け込んで来た。


「奥吉野で甚大な水害が起こっている模様です。我らはすぐに向かいます、なにとぞ総奉行殿のご助力を願いたし」

 生子義澄の伝言だ。すぐに兵長以上の者を集めた。普請が休みで皆城内に待機している。


「奥吉野で甚大な水害だ。野原・中林は五百を率いてすぐに向かえ。普請と救助の道具を持っていくのだ。二見・東郷は兵糧を揃え五百の兵で後を追え。良いか、要所要所に人を置いて状況を常に伝えるのだ」


「はっ!」

「承知!」


すぐに鍬・畚・綱・斧・鉈などの道具を持った五百の兵が雨の中出発した。半日遅れて兵糧を乗せた荷車を引いた五百が後を追った。

南都の大将にも早馬を走らせた。兵を一千も向かわせたのは、大将が奥吉野を重要視しているのを承知しているからだ。五條総奉行就任に当たって周辺勢力との対応の仕方を指示されている。


 刻々と来る報告は、思った以上に悪い。それらを纏めて大将に知らせた。


《大和からも一千の兵を派遣する。そちらは出来るだけの兵を投入しろ》と言う大将からの命が来た。

さらに一千の兵を向かわせた。小寺・山田川らの普請奉行も出した。これで城に残る兵は梅谷隊の他はごく僅かとなった。



「宇智郡の兵の留守を狙っている国人衆がいるのは大将もご存じだ。橿原にはすぐに動かせる兵二千を置いている。故に連れてきた兵は奥吉野を優先せよとの指示だ。杉吉どの・保親どのと山中忍びも同伴している。五條の守りに使えとの仰せだ」


 翌朝橿原から一千の兵を率いて来たのは重臣の相楽どのだ。

保親どのは新たに出来た第三の探索隊の組頭だ。二組の探索隊と忍びらがいれば心強い。


「状況はかなり悪いようです。被害が十津川の奥深くまで及び。さらなる応援を求めて来ています」


 先発の救援部隊は現地の状況を見て最低限の人数を残しながら先へ先へと進んでいる。十三里ほど先の小原という所まで進出したようだが、道があちこちで崩落していて思うように進めないらしい。

狭い山間に集落が点在していて、もっと多くの人員と物資が必要だと言う報告だ。


「解った。我らは直ちに救援に向かう。ここの守りを頼んだぞ」

「承知」


 念のために吉野に援兵を頼んではいるが、そこも被害が出ているようなのだ。あまり期待してもいかぬ。ここには梅谷隊三百がいる。それに加えて二つの探索隊と忍びがいるのは心強い。


 怪しい動きをしている国人衆は、対岸の赤塚城の中道、向副城の上田、国城の清水らだ。

対岸西部一帯を領していた阪合部が滅び、その領地を奪おうとする動きだ。そやつらは合わせて六百ほどの兵を擁するが、こちらの兵は二千を越える。この勢力差があれば普通は侵攻しようとしない。


背後に唆す者がいる。

彼らは高野山傘下の国人衆で、黒幕は万余の僧兵を持つ高野山だ。おそらくは山中隊の様子見の小競り合いをするつもりだろう。或いはそれ以上来るなよという牽制かも知れぬ、


 攻めてくるなら来るが良い。

大将は攻撃してくる敵を容赦しないぞ。たとえ万余の相手でも怯まない。

痛い目に遭うのはそちらだ。


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