第52話・蛍の舞い。

吐田城・吐田監物


「と・殿、北窪・鳥井戸・持田が山中に寝返ったようで御座りまする」

「何だと、彼奴らめ・・」


 北宇智周辺の国人衆は、佐味に出来た楠木砦や山中の薬水城に備えて待機すると言って兵を寄越さなかったのだ。

たしかに兵を全て吐田城に集めてしまえば、南からの山中隊の侵入を許すことになる。

 それで多くの国人衆が兵を地元に残していたのだ。彼奴らはその時には寝返りを決めていたのに違いない。

 薄汚い奴らめ今まで散々面倒を見てやった恩を忘れたのか。山中を撃退したあとでどんな言い訳をしようとも許さぬ。一族郎党残さずに撫で切りにしてやる。


ここ吐田城に集った数は僅か百兵、殆どが儂の手勢だ。それでは話にならぬから急いで城下の村々から民兵を徴集して二百の城兵とした。


 吐田城は戦のために徹底して仕上げた自慢の城だ。二百の城兵がいれば、八百の寄せ手も撃退出来るだろう。

山中隊の半数は楢原を攻め、残り半数はこちらに攻め寄せる。こちらを攻めて来た隊は、攻めれば攻めるほど兵を減らすだろう。楢原を攻めた一隊も同じだろう。

ある程度まで敵兵が減れば、楢原と協調して一挙に蹴散らす。そののち国人衆を制裁・強合して、平野に進出して領地を増やすつもりだった。


 それなのに、敵が来ないのだ。

 何故攻めて来ない?


 山中隊は一千三百もの兵で四百の楢原城のみを取り囲んでいる。まあ三倍の数での山城攻めだ、多いとは言えない。

だがこちらはそれでは拙い、楢原城を落としてから全軍で攻められるとさすがに多勢に無勢だ。


 何とかしなければならない・・

 山中が楢原城を落とす前に、兵を分散させて各個撃破するしか生き残る術は無い。

 それよりも何よりも、山中も国人衆の誰もが儂を無視しているようで気に喰わぬ。


 おのれ、今にみておれ

一泡吹かせてくれるわ!




 楢原城 楢原久遠


「叔父上、今年も蛍が見頃のようですぞ」

 甥で当主の栄遠が可笑しそうに言う。話を聞いてみると山中兵も対岸に下りて来て、一緒に蛍の舞いを見物しているようだ。


「ほう、戦の狭間で蛍見物か。面白い、儂も見に行ってみよう」

「叔父上、くれぐれもお気を付けて」

「分っておるわ。何なら声を掛けて、山中隊が何を待っているのか探ってみるわい」



 甥のいう通り、今年も見事に蛍が舞っていた。蛍が乱舞するのは彼らの季節がまもなく終わる事を意味している。自分たちの一番輝く時間が終わろうとしている切なさの成せる技だ。有終の美なのだ。


「楢原久遠殿ですな」

 対岸から掛かった声に周囲の者が緊張する。


「そうだ。それと分れば矢で狙うかな?」


「某は藤内宗正。蛍の舞いに弓矢など無粋ですな」


 ふむ、柳生で河原者を率いていたと言う藤内か。山中の剣友でその躍進を支えたという一軍の将だ。


「同感だ。矢など飛ばせれば蛍も迷惑だ」


「ふっふっふ」


「ところでお手前方は攻めて来ぬが、山中殿得意の奇手を使うのかな?」


 木津城を巴御前との一騎打ちで制して、興福寺は路上大試合を敢行した。大和一の雄・十市の龍王山城を無傷で落としたのも山中本人だという噂が伝わっている。急速に大きくなってきた山中勇三郎という男は、我らの想像外の思考と行動の持ち主だ。


「そんなところかな。だが此度は大将では無くて、大隊長が描いたと聞く」


「ほう、北村殿がな」


その夜はそれだけだ。あとは黙って蛍の舞いを観賞した。



 次の夜も蛍を見に下りた。


前夜の話を聞き関心を持った栄遠や右衛門も近くに来ている。彼らは用心して弓兵を連れてくると言っていたがそれは止めさせた。これはあくまで蛍舞いの観賞なのだ。


今夜も蛍の舞は美しい。蛍たちが最後の望みを託して舞っているのだ。

対岸の山中方の中に、大楯を立てて射線を塞いでいる一団がある。


「そちらに居られるのは、どなたかな?」


「北村新介で御座る」


「おお、山中隊の大隊長どのか。儂は楢原久遠じゃ」


「楢原久遠どの、酒なぞ用意しているが如何であろう」


「おおそれは良いな」


大楯を伏せさせた一団の中から、一人の者が盆に乗せた徳利と盃を運んで来た。対岸と言っても狭き谷のこと、三間ほどだ。弓で狙えばひとたまりも無い。栄遠らはこの局面で敵の大隊長を弓で倒したい気持ちに囚われているだろう。弓隊を連れてくるのを止めて良かった。

例えここで北村どのを討ったとしても、我らには何の利も無いのだ。そうなれば、楢原郷も含めて死なずとも良いものたちが一人も残さずに殲滅されるかも知れぬ。


「頂こう」

 大楯が倒されて北村どのの顔が正面に見える。お互い手酌で注ぎ盃を目の前に掲げて飲んだ。


「甘露である。しかし奇妙でもあるな」


「いかにも」


山城に籠城している者とそれを大軍で囲みながら、いまだに一矢も交わせずこうして蛍を愛でながら酒を楽しんでいるのだ。


「さて、北村殿はどういう絵を描かれたかな?」


「楢原は稀に見る一途な一族。切っ掛けさえあれば我らと共存出来るかと」


「ふむ、褒められたのか貶されたのかよく分らん。北村殿は何をお待ちか?」


「無視されて怒って出てくるもぐらを」


 もぐら? 無視・・、そうか吐田か。何故だか分らんが、山中隊は吐田が暴発するのを待っているのか。

儂の脳裏に小肥りで丸い吐田の容貌が浮かんだ。途端に可笑しさが込み上げてきた。


「うはははは、そう言えば、吐田はもぐらに似ているな」


「で御座るか、それはそれは」


「はっはっはっはっは」


 兵たちからも笑いが湧き起こった。皆耳をそばだたせて聞いていたのだ。


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