第51話・山中軍の到来。


永禄三年五月 布施城 布施行国


 その日の朝・奈良平野は薄い雲に覆われていた。細かな雨の中、長い列を作った二筋の大軍が移動している。

 北から降りてきた軍列は、新庄の町の北を迂回して真っ直ぐこちらに進んでくる。我が城を攻めに来る松永の軍列だ。

 その長い軍列を見ていると、倅・左京之進の言うように臣従してその懐で力を養うべきだったかという考えが湧き出てくる。

長い軍列が立てるガチャガチャという武具の音が、ここまで聞こえてくるような気がする。


 ふっ、儂も老いたか。そんな事は気の迷いに過ぎぬ。この難攻不落の布施城は松永如きの軍では落ちぬ。松永弱しと見れば、背後の遊佐や畠山が動くだろう。公方様も調停に乗り出す筈だ。それだけの貢ぎ物はしている。


 半年だ。半年持ち堪えれば情勢は変わる。


「こちらに向かってくる軍列は松永勢。およそ三千」

「山中勢およそ二千、南下しています」


 新庄の町を南に迂回した軍列は橿原から来た山中隊だ。山中隊は情報通りに楢原・吐田攻めに向かうようだ。松永隊も万歳城に一部を裂くだろう。それで軍勢が半減する。八百が籠もるこの城に三千足らずの寄せ手なら凌げる。あとは万歳と楢原・吐田に踏ん張って貰おうか。




 楢原城 楢原栄遠


「山中の軍勢、来ます!!」


 物見の報告に外に出て見ると、眼下の平野に粛々と軍列が延びてくるのが見えた。軍勢はこちらから良く見える位置に止まると、一隊を此方もう一隊を楢原郷に向けて布陣した。

軍勢の後に続いている荷駄が続々と到着して、野戦陣地作りが始まっている。縄を広く張り巡らして柵を打ち、柵の外側に濠を穿ち出入り口には馬防柵を組み立てている。

それらのことが少しの滞りも無く進んで行く。陣地の真ん中辺りにはもう建物が建てられようとしている。


 早いな。山中隊は全ての兵が専属の常備兵だというのは本当なのだな。ここから見ていても、兵士一人に至るまで動きに迷いが無いようだ。こういう事も調練されていると言う事だ。


「斥候、山中隊の構成は分るか?」

「はっ、我が楢原と吐田攻略に山中軍の大隊長・北村殿が山田・藤内・啓英坊の三将と一千三百の兵を率いているそうです。別動隊に元十市家の新庄殿が松永隊の援兵に三百を率いています」


 柳生の高弟・北村新介か、柳生の高弟の中でも屈指の武芸者だという。奥山東里の小領主だった頃からその武名は聞いていた。戦場で会いたくない男だな・・


「それがよく分ったな・・」

「いえ、民の間で流れている話です」


 そうか。そう言えば山中はそういう噂を流すのが上手いと聞いた。だが今回に限っては敵を欺く噂では無く本当の話のように思える。


「数隊がこちらに向かって来ます!」


 柵が出来上がると牽制していた隊が陣地の中に入り、替わって五十程の隊が二つ出て来てこちらに向かって来る。


「小手調べでしょうか?」

「いきなり攻めて来ますかな?」

 倅・右衛門の問いに、叔父の久遠がのんびりした声で応じる。

叔父は若い頃は乱暴者だったと言うが、父上亡き後は未熟者の某を導いて呉れる師のような人だ。

 叔父の言うように敵が陣を作りながら攻めてくるとは思えぬが、相手は想像外の動きをする山中隊だ。そうと決めつける訳にはいかぬ。


「二つに分かれましたな」

 二隊は大手門手前で左右の谷筋に分かれて山影に見えなくなった。

「斥候ですかね、ちょいと人数が多いが・・」


 彼らの目的はすぐに分った。城を囲む支尾根に陣城を構築しようとしている。先発部隊が安全を確認すると後続の部隊が陣城の材料を次々と運んで行く。尾根を掘切り土塁を築いて柵を掛け回す。実に手慣れたものだ。

結局その日のうちに雨露を凌ぐ建物まで建ててしまったのだ。勿論麓の本陣も形になっていた。

 儂たちはその手際の良さを呆気にとられて只見ていた。


「やりますな、さすがに」

「ならば父上、我らも今夜、夜駆けを見せましょうか」


「夜襲か、・・いや止めておこう。山中隊は城下の村に手出しをしていないのだ。こちらから攻撃を始める事は無い」


 戦を始める前に城下の村を焼き討ちするのはごく普通の事だ。だが山中隊はそれをしなかった。それどころか兵糧の調達や建物の接収さえしていない。まるで我が領地の如く扱っている。村の者もそれを知っていて避難さえしていない。



「ウオオオオォォォーー」と言う響めきが早朝の城の空気を振わした。昨夜は夜襲を警戒していて、白んだ朝に安堵して熟睡していた。


「物見、何か見えるか!」

「いえ、何も見えません!!」


山中隊の本陣は朝靄に包まれている。そこは谷が流れ込み溜池が多い一帯なのだ。城兵の緊張が一気に高まり武器を取り持ち場に走った。

 だが響めきは離れた平野でしていて一向に近付いてこない。やがて朝靄が流れてその理由が分った。山中隊が陣地の外で激しく入り乱れている。

戦闘調練をしているのだ。


 戦場で調練をするか・・・


 その日も山中隊は攻め寄せて来ずに陣城の構築をしていた。だが数十単位の斥候が幾つも入って来て城の周りを調べている。それらがいつ攻撃してくるかも知れず、城兵の緊張は緩まなかった。


そういう日が二日・三日と続いた。


「来ませぬな・・」

「山中隊は何かを待っているのでしょうか?」

「或いは、何かを調べているか」


 奥城を指揮している叔父と前城の倅が困惑している。儂も同じ気持ちだ。我らの逸る闘気を見事に躱された思いだ。

実はそれが狙いかも知れぬが・・


「この城の弱点を調べているのでしょうか?」

「それはもう、知られていると思うぞ」

「うむ、そうですな」


 この城の弱点は水である。

周囲を水が豊富な谷に囲まれてはいるが、城内に湧き水は無い。前城の西・大手道沿いの水場が唯一の水場である。谷に降りれば幾らでも水は汲めるが、ある程度まで攻略されればそれも叶わなくなる。

 もっともそこまで攻略されれば、落城は間近である。


「布施城や吐田城の状況は?」

「布施城は初日に松永隊の一部が攻めましたが、相当な被害受けて慌てて陣城を築いている様です。おそらくは長期戦になります。吐田城は兵の集りが悪く、その上に寄せ手が無いために城兵は気が抜けたようになっているようです」


 こことは違い布施城周辺には陣城を築く適当な場所が無い。そこで大手道付近の平野に築いているようだ。


吐田か・・、奴の事などどうでも良いが、山中は何故吐田に兵を送らぬのだ。百兵しか集らずに慌てて民兵を集めた吐田の城など、四・五百の兵を送れば落とせるはずだ。

まあ、山中隊に相手にもされずに放置されていると思えば痛快だな。今は松永・山中勢に対して吐田・布施と共闘しているが、隙あればいつ攻め込んでくるかも知れぬ油断ならない奴らだ。


 いっそ、山中に臣従して奴らを攻めたいくらいだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る