第49話・水分の里。
千早村年寄 経三郎
年寄仲間からの「急ぎ集まってくれ」という伝言で、何もかも放り投げて村を出てきた。行先は東坂村の頑六衛門はんの屋敷だ。東阪村は水分の里の真ん中辺にあって皆が集まり易いから年寄の会合はいつもそこでする。
今日は何の話だろか、また戦かいな、
儂ら水分の里のもんは、畠山だの遊佐だのと河内や和泉で戦がある度に、散々駆り出されていたが、三好が阿保たれ二人を追い出してくれたお蔭でやっと落ち着いたと思った矢先だのになぁ・・
いや、まてまて。
そう悪い事ばかり考えてはいかん。
そういう考えでは却って悪事を引き寄せてしまいかねん。こういう場合は良い事を考えよう。例えばお宝が舞い降りて皆で山分けするとか、どこぞのお姫様が儂を名指しで嫁に来たいとか・・・
無いな・・ある訳ないわ。
あったとしても家の鬼が怒って修羅場になろう、よく考えるとそっちの方がよほど恐ろしいわい・・くわばら・くわばら
「経三郎はん、来たかいな。はよ、上がってえな」
頑六衛門はんに勧められるまま居間に上がる。幹太郎はんや門兵衛はんら水分れ八村の年寄が揃っちょる。
「わしが一番けつやったかいな、すまんのう」
「いや、皆今しがた来たばかりやさかい、気にすな」
「忙しいとこ済まんのう、皆に急いで知らせたいことがあったで集ってもろうたのや」
水分村の孫四郎はんが難しそうな表情で言い出した。
なんじゃろ、口を閉ざした一同が孫四郎はんの次の言葉を待つ。
「今朝大和からわしの村に来た馬子の話じゃ。なんでも大和の北宇智辺りの山麓に大規模な砦を作っているもんがいるらしいのじゃ」
「砦じゃと、なら佐味か朝妻が作っとるのじゃろう」
「佐味は東に峯山城を持っとるじゃろう、あの所帯で二つも砦を持つかのう・・」
水分の里は水越峠を経由しての大和と堺の街道で栄えた里じゃ。だから河内にあっても大和の情勢には詳しいのだ。
宇智郡北の三村を領する佐味の兵は三十ほどじゃ、二つも砦を築いても仕方なかろう。その北で五村を領する朝妻は十ほどの村に六十程の兵を動かせる。なら朝妻が佐味を併呑しようと動いただが・・
それにしても大規模な砦だと・・背後に吐田がいるのか?楢原と同盟した吐田は二百ほどの兵が動かせる。
「話を聞くと砦を作っとるもんは、佐味でも朝妻でも吐田でも無い。そのお方はなんと、楠木正虎様じゃと言うのじゃ!」
「えええ!」
「ま・さか・・」
「そもそも、正虎様は松永に仕えて公方様の御傍近くにおられると聞いたぞ。なしてそんな所で砦を作る?」
「そうじゃ、そうじゃ。何かの間違いじゃろう。そんな所では攻められて一巻の終わりじゃど」
「ところが、正虎様には山中の兵が二百も従っているそうな。それで廻りの国人衆も迂闊には手を出せぬらしい・・」
正虎様には十名ほどの家臣しかおられんと聞いた。北宇智郡はまだ松永や山中に従っておらぬ敵中だ。そんな所に正虎様らだけでは砦は作れぬが、大和を席捲しつつある山中が助けるとなると話は別じゃ。
しかし、何故山中が・・
「わしが聞いた話はこれだけじゃ。皆どう思うな?」
「思うも何も・・それだけじゃあ、はっきりしねえ」
「いや、待て!」
ん、吉年村の郷佐衛門はんが何か考えているわ、佐藤郷佐衛門はんは未だ武士身分のままで頑張っているお人じゃ。里一の思慮深いお人だで、何か考えが浮かんだか。
「その話を信じるのなら、楠木正虎様は山中の助けを得て、大和北宇智郡で旗揚げしたと言うことになる」
「・・そうだな」
「たしかに」
「するとどうなる。よその事はともかく我らはどうなる。我らというより若い者らじゃ、若い者らは仕事をほっぽり出して、我先にと馳せ参じようとするだろう、そう思わぬか」
「・・そうだな、わしでも若ければ行くだろうなぁ」
「うん、間違い無い」
「だが、それでは村が困るじゃろうなあ・・」
「そうじゃな、行きたい気持ちはよう分るが、村が立ち行かなくなるのはな・・」
「そこでじゃ、この事は村人には伏せておいて、まずわしらが検分に行こうではないか」
「検分って、正虎様のご器量をか?」
「そんなことわしらに出来るじゃろうか?」
「ほうじゃ、自信無えぞ」
「まてまて、そう難しく考える事は無い。そうじゃな、娘の婿を見るつもりで見れば良かろう。会ってみていけ好かねえ男だったら、陰ながら応援しちょりますと言って帰ってくれば良かろう」
「婿か・・」
「そうじゃのう、そういう軽い気持ちで見た方が良いのう・・」
翌朝未明 皆が千早村のわしの屋敷に集った。ここから佐味の北の伏見に抜ける道がある。その道の途中で尾根を降りれば築城中の場所に出る。
だが、下りの尾根は急斜面で年を取った川野辺村の門兵衛はんと中津原村の徳衛門はんは大事をとって、わしの屋敷で待つことになった。
薄明かりになって足元が見える様になると出発した。念のために猟師の権造についてきてもらった。
皆、物心つく前からの山育ちの連中だ。足運びには何も不安は無い。だが、その胸中は期待と不安が入り交じっている、誰しも無言で黙々と歩いた。
「何処に行かれる」
伏見峠を越えて目的の支尾根を少し下った辺りで誰何された。木を楯にして弓をつがえた鋭い目つきの兵だ。
「わしらは水分の里の者で、楠木正虎様にお会いしに来たのじゃ」
「・・水分けの里の者か、ならば行って良いぞ」
見張りはあっさりと通してくれた。だがその油断ならん動きからここは戦場なのだと思い知らされたわ。
兵がひとり案内に立った。わしらは緊張してあとに続いた。痩せ尾根を綱に頼って下り、掘切を丸太で作られた木橋で渡ると内側に小屋が建てられた広い曲輪に出た。
「水分(みまくり)の里の者か。良く来てくれたな。某が楠木正虎である」
そのお方は、凜々しい輝きに満ちていた。まさしくいにしえの正成公の再来だと思った。儂らは自然と膝を着いて見上げていた。
「我ら水分の里の村年寄で御座います。この度正虎様が旗揚げされたと知り駆け付け申した」
「水分の里には使者を出そうと思っておった。旗揚げが叶ったとは言え正虎・家臣僅か十二名の若輩だ。父祖の地である水分の里の者を頼りにしておったのだ」
「我らを頼りとは勿体なきお言葉、早速里に戻り兵を募ります」
「無理するでないぞ。少人数でも良い、里の暮しに差し障りが無い様に頼むぞ」
「はっ」
「検分どころで無かったなあ・・」
「そうだのう」
帰路の会話だ。山道なのに雲の上を行く如く足元が頼り無かった。正虎様に会えて話を交えたことで酒に酔ったような陶酔感に包まれていた。
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