第47話・春うらら。


「殿、此度の家増どのに対するご配慮、真に忝し・・」

 越智を下して吉野を制圧し吉野宿を一望出来る六田城に入った折、松山右近が地べたに伏して礼を言った。


「主を討ったとはいえ、越智家増は真に見事なもののふであったな」

「まさに、それ以外は某のお手本であられた」


 家増の最後の言葉のように、二人には家臣としてより友として相通じるものがあったのだ。それは雰囲気で分った。

俺が二人の闘いに割って入ったのは、松山を失いたくなかったのと、そんな二人に修羅場での闘いをさせたくなかったからだ。


 越智軍では有力者の芦原と志賀も討死した。兵も二百程が死んだ。こちらも多くの者が死傷した。特に先陣の新野・松山・岩壺隊の被害が大きかったが三将はいずれも軽傷だった。


 十市遠勝と共に駆けつけて来た越智家の一門家老の粕森三太夫が俺に臣従した。粕森は家高の後ろ盾で穏やかな人柄の男だ。岩壺と共に越智領の復興をしてもらう。

だがその差配役には越智家以外の者が必要だ。十市遠勝ならその器量が十分にある。だが景観派の彼はこういう山が迫り景色が開けていない所は嫌だろうな・・


「十市、このような山間の風景では嫌であろうな」


「殿、何を仰いますか。ここはそれがしの先祖が駆け巡った南朝の聖地ですぞ。なによりゆったりとした吉野川の流れは、奈良の平野には無い悠久の時の流れを感じさせてくれます」


 景観派の十市には、その地に流れる歴史も景観のうちに入るらしい。

 川の流れか、川の流れは確かに目に見えぬ広がりを感じさせてくれる。


 紀伊半島を縦断する高見山地から流れてくる吉野川は、直前には曲がりくねり音をたてて泡立つ流れがあるが、吉野では広い瀬となり穏やかな顔をしている。さらに幾つかの支流を集めて紀ノ川となり、広大な台地を潤して海に出るのだ。

 なるほど。川の流れは歴史の流れに似ているな・・



「ならばこの城を預かってくれるか」

「承知いたしました」




 越智との戦のあと、南都から法用村・須川・笠置と領地を廻り領内が穏やかである事に安心して久し振りに木津に滞在している。


 今日は舅の重右衛門の案内で界隈の田畑を見て回った。

南山城に干魃の気配がある。今年に入って殆ど雨が降っていないのだ。稀に降っても量が少なく乾いた土を潤すほどにはならなかったと言う。

 山際に作ったため池の水は半分ほどで、このままだと作付けが出来るのは用水路の近くの田のみだという。


「これでもこのあたりは、まだましな方で、北に行くほど干魃は酷いようです」


 例年だと大勢の人が田作りに精を出している田んぼ、それが今年は疎らな人しかいない。

すぐ傍を流れる木津川の大量の水が恨めしい気持ちだな。川の水を大きな水車で汲み上げても、水を入れられるのはごくごく限られた僅かな田だけだ。それもすぐに撤去しなければ野分けにやられる。川の流れも毎年変わる、その度の付け替え普請はとても労力に合わない・・・


「こういう年に限って、秋になると長雨や野分けが来そうですな」

「如何にも。某もそれを心配しております」


「ならば舅どの、田作りが出来ぬ手でため池や水路の整備や水害に備えての堤普請をされては如何か」

「ふむ、それは良い考えじゃ」


南都から橿原まで街道を拡張して、そこから京・伊賀上野・伊勢・難波・堺・雑賀へと縦横に道を繋げている。

その結果、物の流れが急増して巨額の利を生みつつある。これから敵地になる橿原から紀ノ川沿いには、山中忍びの手で商いを繋げようとしている。

棟梁・黒蔵自らが指揮を取って特に大量の米穀を買い占めている。その成果で干魃や飢饉時の兵糧の蓄えも充分にある。


 黒蔵に命じたのは、商いを通して根来寺との好誼と雑賀湊へと進出して海の交易品や火縄銃を手に入れることだ。出来れば火縄銃の鍛冶職人を招聘したいと。黒蔵も商いを本格的にやってみると、これが結構面白いらしい。一族の負傷した者や老人や女子供まで働き場を与えられる事も嬉しいらしい。

 それに拠点としての店があれば、長期間にわたる探索が楽なのだ。


 これからの戦は火縄銃の数と運用で決まる。しかしそれはとんでもなく高価な物で、大きな経済力をつけなければ数を揃えることは出来ない。そこで何とか自領で生産したい。その為の布石だ。



目の前には大河の趣でゆったりと流れる木津川。それを俺は川岸に腰を降ろしてを眺めている。横には百合葉がいるがその他に人はなく、俺たちは一面の緑に包まれている。


その中でひときわ目立つのが、黄色い花を咲かせているのがタンポポだ。鮮やかな黄色に虫や蝶が嬉しそうに戯れている。

 川岸には野蒜や浅葱など食用にする野草も多い。青い茎をたくさん伸ばしたそれらが食卓に上がるのだ。一年を通しても珍しく青物が豊富な季節が来ている。


この時代には野菜というものが極端に少ない。キャベツも白菜もレタスも無く、青物と言えばニラ・セリ・蕗・茗荷・たで・紫蘇・ネギ・春菊など殆どが野草だ。今の時期は柔らかくて美味しい青物が食べられる僅かな日々なのだ。



「変わらぬな」

 と、ふと呟きが洩れた。ゆったりとした川の流れは記憶の片隅にあるものと何も変わらない。


「何が変わらぬので御座いますか?」

 傍で嬉しそうな顔の百合葉。


「百合葉は、この川の上流にある伊賀上野に行ったことがあるか?」

「御座いませぬ。百合葉はこの辺りから南都までしか知らなかったのです」


「この川は十里ほど上流の伊賀上野でもこのようにゆったりと流れている。ところがその間は岩だらけの峡谷を激しい音をたてて流れているのだ」

「そうなのですか」


「うん、こうして穏やかに流れる川を見ていると、そんな事は考えてもみぬだろうが、本当の事だ」

「百合葉も勇三郎様とご一緒に、一度見てみとうございます」


「落ち着いたら見に行こうか」

「本当ですか!」


「ああ、黒蔵や保豊など伊賀の者に案内して貰えば行ける」

「きっとですよ」


「その前に大和の攻略を終わらせねばならぬ。攻城戦もあろう。長い戦になるかも知れぬ・・」

「勇三郎様に会えぬ日は只でさえ長いのに」


「百合葉、こちらに来よ」


「あれぇ、勇三郎さま、昼間から、こんな・・」


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