第43話・越智の斜陽。
京 幕府政所 足利義輝
「松永、織田の倅はどう言う男だ」
「奇行の目立つうつけ者、躁鬱の差が激しく短気でこらえ性無い男だと聞いております」
「そんな男が街道一の弓取りを破ったのか」
「そう言われる一方で、頭脳明晰・先見の明があり果断で迅速だとも聞いております」
「ふむ、今川はそれにやられたか・・・」
「はい、今川本陣が隘路に留まったのを見逃さずに一気に奇襲した模様で御座います」
ふむ、やはり松永は詳しいな。他国の情報に関しては、細川や三淵も叶わぬな。幕府をないがしろにした今川が負けたのは良いが、近国の尾張にそれ程の者がおるというのはどうなのだ。
三好は警戒しているだろうが、六角も他人事では無い。尾張は隣国なのだ。信長という織田の倅は美濃の斉藤と婚姻同盟しているのだ。三好と六角が揺れれば余の立場も影響を受ける。
「相分かった、引き続き監視せよ。ところで吉野はどうなった?」
「干し柿を作った者や商家には問題が無いという報告です。ただ調べを妨害する者がいると・・」
弟が吉野の干し柿を食って死んだ。後醍醐帝の祟りだという者もいて、松永が家臣に探らせているのだ。
「調べを妨害する者とは誰だ」
「紀州の畠山の一党のようで・・」
「二股膏薬の畠山か、あっちこっちとすり寄っては裏切り、いつまでも世の中に害なす奴だな・・」
「しかり、あの様な者が力を持っている限り世の中は静まりますまい」
「ふむ、ところでお主の配下の山中とはどういう男だな?」
「一言で申せば、類い希な覇気の持ち主と言えましょう」
「覇気か・・才能では無いのか?」
「才能などという生やさしいものではありませぬ。峻烈な実行力を持っております」
「それならば、争いが続くこの世を鎮める事も出来ようかの」
「それは無理でしょう。彼の者には欲というものが感じられませぬ。現に大和を攻略しているのも某の命を受けての事で御座る」
「ならば、余が世の中を鎮めろと命じたらどうだ?」
「彼の者は嫌だと申しましょう。自分の仕事では無いと・・」
「そうか、それは余の仕事か・・では山中に会えないか?」
「彼の者は今、周囲に多くの敵を抱えて動きが取れませぬ。それもこれも某の無茶な命のせいで御座る」
ふむ、松永は山中を余に会わせたくないらしいな。
どうしてだ・・世の中の事などを言ったからか。そうでは無くて剣客としての山中に会いたいのだ。
十文字槍を持てば興福寺・宝蔵院の胤栄も師事するほどの槍遣い。戦場においては敵の返り血を浴びた赤い虎・毘沙門天の化身と言われ恐れられる闘将だという。
何とも凄まじい呼び名が付いたものだ。きっと熊の様な髭をした豪傑なのであろうな。
三月二十五日 天神山城 山中勇三郎
「ヘーーックション!!」
ん・・・何のくしゃみだ。誰か良からぬ噂をしているのか。まあどうせ俺の噂など碌なものはないだろう。
「大将、貝吹城に越智家の松山が来たようです」
「・・攻め達磨が我らに付くと?」
「その様です。どうやら越智家に異変が起こったようですな」
「しかし家増派の主戦力の松山だ。予想外だな・・」
越智の異変として予想していたのは、一門衆の家増が優柔不断の家高を排除して実権を握ることだ。だが家増派の松山が来たと言う事は、それが失敗したということか・・・・
「切山隊が案内してこちらに向かっているようです。間も無く付く頃かと」
攻め達磨と異名を持つ松山右近は、越智家最強とも言える強力な武将だ。それがこちらに臣従するというのは罠かも知れない。
敵の懐深くに潜り込んで中からそれ食い破るという手は極めて有効だろう。清興はその判断に困って、切山に監視させてこちらに来させたのだろう。
今、貝吹城には清興隊百五十が入っている。清興のいた飛鳥の祝戸砦には、十市遠勝が家臣百名程と駐屯している。十市はそこの展望の良い事をいたく喜んでいたらしい。うん、彼は景観派だな。
人は居心地派と景観派とに別れると聞いたことがある。これは現代の山登りが好きな人の間での話だ。俺は景観よりも居心地を選ぶ。
今の橿原以南は天神山を除いて、高見山城に藤内隊二百、奉膳城に梅谷隊百五十が布陣している。
楠木正虎は小寺隊二百と敵中突破して、奉膳城より西一里あまりの金剛山の中腹に砦を築いている。
そこは金剛山を中心にして、あの千早城の反対側となる場所だ。砦の直下の狭い平野は、宇智郡の入り口になる北宇智村だ。
つまり我らは敵中に拠点を作っているのだ。
日本史上最大の軍将と言われる人の子孫をその故地の直近に放ったのだ。
勿論、楠木正成から二百有余年が過ぎた故地は敵だらけだ。だが楠木という名は大きい。周辺の国人衆は恐れと憧憬を抱く筈だ。
さてこの一手がどうなるか、楽しみなことだ。
「某、松山右近定信で御座る。山中殿に臣従致したい」
松山はどっしりと腰の据わったまさに達磨のような男だ。
「儂が山中勇三郎だ。越智家有数の武将である松山どのが儂に臣従とは腑に落ちぬ。まず越智家におられなくなった訳を聞こう」
「ならば申し上げます。昨日一門衆筆頭の越智家増殿が、御当主の家高様を討たれて当主の座につき申した。敵が侵攻して来ている現状でまともな判断さえ出来ぬ御当主で御座ったれば、それも止む無しと某も同意してのことで御座る」
「うん」
「なれど、お家の危機を乗り越えた暁には、御当主の嫡子・妙義丸様に家督をお譲りするのが筋で御座る。それを家増殿は、お方様や幼いお子や侍女に至るまで家高様の家の者を悉く惨殺されました・・」
「そうか」
「耐えきれずに某、敵に備えて軍備を整えると城下りし申した。つらつらと思い出すのは快活な妙義丸様やお方様の笑顔・・・・後憂を無くすために血筋を絶つ意味は理解し申すが、某の心情的にはどうしても許し難きものがあり申した」
「なるほど・・」
「そこではたと思い出したのは山中殿の噂で御座います。去る日・十市を破って龍王山城を奪った折に、そこに居た奥方や子・侍女や文官までを解放して十市殿の元に無事に送り届けたと言う。・・これぞまさしく某の仕えたいお方である。そういうお方であるならば、命を捨てるのも本望と思い極め、裏切りを決心致しました」
「・・・そうであったか」
「なにとぞ、山中殿の家臣の端くれにお加え下され。松山右近定信、伏してお願い仕る・・・・」
一応話の筋は通っている。これが計略であったとしても、他の家臣や今後臣従してくる者の心情を考えると受けざるを得ぬ。
越智家増が当主だけで無く当主の妻子もを殺害したのは、意外な話では無い。むしろ当然だと言える。もし生かしておいて子らが成人すれば、今度は自分が誅されるのは確実だからだ。
松山もそれは分っている筈だ。分っていて許せなかったのは計略で無いとすれば、当主の妻子に特別な思い入れがあったのだろうか・・・
「分った。受け入れよう。領地は安堵するが、家族は多聞城下に住むことになる。当然ながら今までの主家の越智に兵を向ける事になるが良いか?」
「有難き幸せ。松山右近、身を粉にして働きまするで、是非先陣をお命じ下されますように」
「うむ、攻め達磨の働きおおいに期待しておる」
三月二十六日 吉野 山中勇三郎
昨日・越智三将の有力武将・松山右近が臣従して来た。それに伴い貝吹城南の松山城と曽羽城が山中領となった。
俺はこの機を逃さずに吉野へ侵攻する事にした。奉膳城から丘陵地帯を松山の先導で進んで吉野川の流域にでる。吉野への最短ルートだ。
侵攻の第一の目的は吉野の制圧だ。吉野を制圧出来れば高取山城と多武峰の補給を絶つことが出来る。すでに東の宇陀からの補給路は、領地を接した宇陀の国人・沢と芳野を柳生が制圧したことで切れている。
しかし出来れば高取山から越智を引っ張り出して決着をつけたい。補給を絶ったとしても、高取山という巨大な山に籠もられたら実に厄介なのだ。
そこで、
《山中が三百五十の軍勢で、総大将自ら吉野に侵攻する》
これを乱派衆によって越智領に拡散させた。
すぐさま俺は保豊の斥候隊五十と旗本衆と共に、貝吹城の清興隊百五十を連れて奉膳城に入る。そこの梅谷隊百五十を加えた三百五十が山中隊の総勢である。
総大将は俺だ。
即座に千兵も余裕を持って動かせるが、敢えてこの軍勢にした。越智を野戦に引きづりだそうとという目論見だ。
「岩壺善正、山中様に臣従致します」
奉膳城で準備している間に、松山城の南に領地を持つ宿老・岩壺善正が臣従して来た。岩淵は出家した穏健派の人物である。松山同様・西方に領地を持つがために去就を計っていた様だ。
さらに吉野川流域に領地を持つ新野も行動を共にするという。
これで、奉膳城南の薬水城と吉野への道の東にある矢走城が味方になり吉野への道が開けた。
松山と岩淵を先陣に岩壺の薬水城を経由して吉野川へと南下した。高取山城へと道が通じる松山城と岩壺の矢走城には、後続の新介に守兵を入れさせる。
吉野川流域にに到着すると、岩壺の言葉通り右岸に領地を持つ岩壺派の新野治正が待っていた。
「新野治正で御座る。山中様の家臣の末席にお加え頂きたく参上致しました」
「相分った。越智の家中はどのような状況だな?」
「はっ、松山どのが山中様に付き、山中様自らが吉野に侵攻してくると知り、慌てて兵を集めております」
新野城の西一里ほどのところに滝氏が籠もる滝城がある。越智領の境界の城である。守兵は五十ほどだが背後を突かれないように、清興隊を出した。
さて、越智はどう動くかな・・・・・・
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