第42話・十市遠勝の退屈。
三月二十一日 多聞城 山中勇三郎
多聞城の二の丸に先行して建てた詰め所がある、担当者が詰めて作事全体のの差配する場所だ。その奥の一角に俺専用の居間がある。南都に来た時にはここで過ごす事が多い。
奈良平野の中街道を整備した。木津からは京と西の飯盛山を越えて摂津に、南都からは大和街道で伊賀・伊勢に、古市から大和川沿いに難波へと寿三郎が商いの道を広げている。
南端の橿原からは、東に宇陀を経て伊勢湾の松坂へ、西には宇智郡・高野口・岩出を経て紀伊水道の和歌浦に繋がる道がある。
この道は古くから発達した街道だが、敵地を越えて行かなければならない。そこで黒蔵に命じて店を出させたのだ。忍びの中にも商業に向く者が多くいるし、老人や女子供でも勤まる。それに長期探索の拠点も必要なのだ。
「大和屋は五条村・高野口と吉野でも商いを始めました」
これを差配するのは有市六郎だ。商業が盛んな笠置を領する六郎は商いにも通じているし、武事に関しての判断も任せられる。この商いの道は武器調達の道でもある。
「そうか、岩出に店を出す折は、まず根来寺を訪ねるようにな」
「はい、南都名産の墨や奈良晒などと共に興福寺の紹介状を持たせます」
この道を作る大きな目的は大和と海を繋げることだが、根来衆と誼を通じる事も期待している。それには根来寺に大和屋を認めて貰うのが一番だ。そして先の事だが火縄銃の取り扱いと出来れば火縄作りの鍛冶に指導を受けたいという目論見もある。
大和屋の主な商いは米穀屋だ。だが岩出や和歌浦の店では武具も取り扱う。大和で作った弓や刀剣・武具を売り、火縄銃や硝石・火薬などを仕入れる。
「米の買い入れは進んでいるか?」
「はい、紀州では通常の値で購えています。伊勢もまだ高値では無いと寿三郎どのは言われています」
実は畿内では干魃の傾向がある。このところ雨が少なく田が干上げっていて今年は田植えが満足に出来ない恐れがある。田植えが出来ないと秋の収穫が無い。だから今のうちに伊勢や尾張・紀州から米をどんどん買い入れているのだ。
特に力を入れているのは、吉野川沿いの米だ。この米を大量に買い占め、敵となる国人衆のへ兵糧を減らす意味もある。戦は大量に米を必要とするのだ。吉野への米の流れは減っている筈だ。
「だが、尾張は値が不安定だとか」
「ん・尾張がな・・」
「何でも、今川が上洛するのだとか言う噂で・・」
「今川!」
そうか、今川義元が上洛するのか。桶狭間の戦いは今年か・・
「今川が上洛するとなれば、三好との大戦になりましょう」
「いや、そう簡単には行かぬ。途中の国人衆も黙って通すまいぞ」
「ですが、今川軍は三万とも言われますぞ。正面から抵抗する国人衆がいましょうか?」
「いるぞ。儂なら抵抗する。それに正面からとは限らぬ、奇襲を選ぶわい」
「そりゃあ、大将ならそうするでしょうが・・」
いよいよ信長が台頭して来るか・・
俺自身が綴った忘備録によると、今の公方と三好の連立した平和な京が続くのは、ごく僅かな年月だ。永禄四年頃から三好一族の将が次々と亡くなり、後継の義興が六年に死ぬと、翌七年には長慶も死ぬ。そして八年の永禄の変だ。
三好勢が将軍・足利義輝を討つ、それで松永と三好が断絶するのだ。それ以後の進退が難しい、松永と織田と本願寺・丹波・播磨・・
さて俺は、どうしようか。何処を目指すか・・その時には大和を制圧していたいな・・海にも進出したい。
だけどそれ以上の欲は実は無いのだ、欲が小さい者は大欲の者に飲み込まれるのが戦国の世だが、なんともな。
「大将、十市が大将にお目に掛かりたいと言っておりますぞ」
ひょっこりと顔を出した十蔵が面白そうに言う。
「そうか。連れてくるが良い」
十市遠勝が初瀬砦を降りているのは知っている。中街道や築城中の橿原城を見物した。それにこちらに向かっていることも聞いた。だが、俺に会いたいとはどう言う事だ。
ひょっとして差し違えるつもりか?
「初めてお目に掛かる十市遠勝どの、儂が山中勇三郎だ」
十市遠勝は目の澄んだ颯爽とした若武者だった。
胆がすわっているな。一緒に来た田原という老臣は緊張を隠さずに固い表情で体を強張らせている。
俺の前には十蔵がいて、旗本隊が左右にならび、探索方が彼らを取り巻いている。ここで俺を襲うとしても無理だろう。
「十市遠勝で御座る。この度は妻子や家臣をお助けいただき忝い」
「いや、お手前から多くのものを奪った。恨まれこそすれ、礼を言われる筋合いでは無かろう」
「それはそうですが、単純に嬉しかったのです」
「無駄な殺生をやめただけじゃ。其方や家族に他意は無い」
「某の籠もる砦を攻めなかったのも無駄な殺生をしないためですか」
「あそこを攻めれば大人しく落ちのびたかな?」
「いや、行く所の無き身、攻められたのなら喜んで死に物狂いで戦ったでしょう。実は待っておったのじゃ」
「それ故止めたのじゃ。割に合わぬ」
「割に合わないのは我らの方で御座るぞ、ところで山中どのは松永の麾下ですな。松永・三好はこれからどうなろうか?」
そう来たか。十市はこれから先の事を考えているのだな。三好・松永はどうにもならぬ、織田に負けて消えるとも言えんな・・
「それは分らぬ。だが儂は松永の殿について行くだけじゃ」
「三好ではなく松永に」
「そうじゃ、」
「ふーむ・・」
それは本音だ。今のところの松永は俺に取って良き主君だ。とんでもない事を言い出さない限り、支えて行くつもりだ。松永の俺に対する態度が変わらなければ、織田や羽柴に敵対しても構わぬ。
どうせ死ぬのは一度なのだ。
「某は、見晴らしのない小山に閉じ込められるのは飽き申した。退屈で敵わぬ」
「ならばどこへでも行かれよ。止めはせぬ」
「行き場無き身と申した・・」
「・・見晴らしの良い所ならば良いか?」
「それならば良い。ついでに仕事も与えよ」
「ならば飛鳥郷だ。家族はこの城下に住ませよ」
「畏まった」
十市遠勝は、祝戸砦に派遣して越智と多武峰を締め上げて貰うことにした。ひょっとしたら裏切って、敵対するかも知れぬがな。
多聞城まで来て、退屈だから仕事を与えよと言う根性が気に入ったのだ。それに飛鳥郷に張り付いている清興隊を動かしたいのだ。
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