第41話・多聞城を見る。


 永禄三年三月二十日 初瀬砦 十市遠勝


 ここに逃げて来て半月近くの日々が過ぎた。肌寒かった山頂の朝夕も日増しに暖かくなって過ごしやすくなった。


龍王山城も含めて初瀬川から東は柳生の領地となった。

 この初瀬砦は、柳生や山中に監視されているようだが、攻撃や干渉は無く出入りも自由だ。家臣が町に降りて必要な物資を購う事も出来る。また元の家臣が心配してくれて様子を見に来てくれることもある。

そのお蔭で麓の様子は聞き知っている。


あの時に援兵を出してくれた沢は、龍王山城が落ちたのを知ると柳生に下ったという。無駄な血を流さずに済んで良かった。沢には密かに使者を出して援兵の礼を伝えた。今は柳生家の家臣として、秋山や芳野の攻略をしている様だ。


あの時にここについてきた二百の隊は解散させた。また勘定方が活躍する場がここには無く柳本も町に降りた。侍女も殆どの者は実家に戻った。

宿老の田原にも町に降りよと言ったが「儂は隠居するで何処におろうと自由じゃ」と妙な理屈を言うて居座っている。


 田原を見習うかのように、百ほどの兵が残っている。その内の半数以上は田植えのために降りたが、田植えが終われば上がって来て残った者と交代するらしい。

 儂にはもう領地も無く、家臣は要らぬと言っても聞かぬ。どうにも頑固者が多くて叶わぬ。まあもう命令できる立場でも無く、自由にさせている。

 田原の倅や太田・新庄など多くの者が山中に臣従した。臣従せずにそのまま畑を耕している者もいるが別段お咎めは無いらしい。


 そのせいで民は大戦の後とは思えない程平和な日常を送れているようだ。

 正直に言うと、山中の見事な治政に嫉妬する心もある。そういう気持ちもあるが、民の為にも彼らに臣従を勧めて良かったと思っている。

 だが、平和ではあるが落ち着いた状況とは言えないようだ。


「殿、山中は中街道を南都から橿原まで広く真っ直ぐにして、人や荷車が列をなして往復しているようですぞ」

「そうか、中街道をな・・」


「その上、新たな城を大勢の人手を使って築いているそうな」

「どの辺りだな」


「十市城の西、寺川と飛鳥川の間と聞いております」

「ほう・・・」


「倅が言うのには、十市城の数倍の縄張りとか。見てみたいものですな・・」

「行って見てみれば良いではないか」

「年寄りの某には、山を上がり下がりするのは難儀で・・」


 ここ初瀬砦の前には大きな巻向山があって麓を見る事が出来ない。

田原の言う年寄り云々は儂への遠慮で言っているのだ。大体それを言うのなら、こたびの戦に参加するなど出来ないわ。それに田原には倅の屋敷があって山を降りればそこに帰る事が出来る。儂には帰れる屋敷などもはや無い。それを考えて遠慮しているのだ。


「・・行って見ようか」

「えっ、なんと言われた?」


「だから、山を降りて街道と普請している城を見てこよう」

「・・・本気で?」


「本気だとも。おそらくは堂々と出て行っても首を討たれることはあるまい。いや、討たれても構わぬわ。それはそれで冥土の土産になろう」

「・・・・」


 山を降りて山中の治政を見てみよう。

それは軽口のつもりだったが、一旦口に出すともう絶対にそうしたくなった。


そうだ。そうすべきだ。

山でじっとしていても仕方がないのだ。


「こ・ここの兵は、いや奥方様らはどうされますか?」

「ちょっと見てくるだけじゃ、誰も連れて行かぬ。二人だけで行こう」

「ふ・二人だけで・・」


「考えてもみろ。兵を連れて行けば物騒な事になる。奥らも降りたければ別に降りたら良いのじゃ。我らは何も制限されておらぬ」

「それは確かに・・・分り申した。この隠居が御供しまする」


 砦の皆にその事を告げると、すぐに山を降りた。

始めはゆっくりと降りたが、降りるのにしたがってつい小走りになってしまった。

巻向山・三輪山の隘路を半刻ほどで出ると、目の前いっぱいに見慣れた青い平野が広がっている。


「戻って来ましたな・・」

「そうだな。懐かしい・・」


 懐かしい十市城も見える。平野の真ん中を噂の街道があるのも見える。前にはここまではっきりとは見えなかった道だ。


「行こうか」

 まずは大神神社を参拝した。手を合わして頭を垂れる間が長く、上げた顔が緩んでいた田原を急かす。


「おおおぉ・・・」

拡張された中街道の真ん中に立って北を眺めた。噂通り多くの人馬が行き交い、その先は土煙の先に霞んで消えていた。田原で無くとも感嘆の声が出る。


「・・まるで都の道だな」

「左様、天下の大道で御座りますな・・」


 いにしえの都大路が五里(20キロメートル)先まで真っ直ぐ伸びているようなものだ。


「噂以上の縄張りですな・・」

「むう・・・」


 築城中の新城は、幅広い濠に囲まれた広い城だった。寺川と飛鳥川の間と聞いていた城は、その両川いっぱいの幅で築城されていた。

 幅六間(12メートル)の濠や盛り土された一段高い郭の中に、無数の人が作業をしている。その殆どの者は兵士で、その数は千を軽く超えると言うのは真のようだな。

山中は常時城に詰めている兵を揃えていると聞く。足軽が忙しい田植えの時期にもこれ程の兵を出せるのだ。今までの十市城で満足していた儂と違い、山中の目指すところは何処であろう。


「田原、南都に参ろう」

「南都で御座るか・・」


「そうだ。南都に築城している城が見たい」

「多聞城とか言う白亜の城で御座るな」


奈良平野の北端に築城中の山中の城は、白く光り輝く美しい城だという。山を降りたついでにそれも見ておきたいと思った。


 何処までも真っ直ぐな広い街道を北に向う。今まで見た事が無いほどの人や荷駄が動いている。

広い街道は左側を歩く様に決められていて、行き交う人の流れがぶつからないように工夫されている。道の中央は急ぐ者の為に空けられていて、そこを駆けて行く者や早馬がたまに通過して行く。

 その日は途中で夕暮れて、近くにあった寺に世話になった。



「なんと・・・・・」

「・・・・・・・・」

 田原と二人で多聞城を見上げて固まった。


 なんという美しい城だ。高い石垣の上に白い壁が陽光を跳ね返して輝いている。今まで見た事も聞いた事も無い美しい城だ。美しいだけで無く、鉄壁のまさに何者も跳ね返す無敵の強さを感じる。


 なんという城だ・・・・・


「行こう」


 見たいという衝動が抑えられずに、大手に向かって進む。堀に架けられた広い橋を渡ると開かれた門の中にも石垣が見えている。だがここからだと中の構造までは解らぬ。


「見慣れぬお方だ。何処へ行かれるか」

「・・と、殿、戻りましょう」

 門番に誰何され、追いついてきた田原が後ろで袖を引く。


「山中どのは居られるか。某は十市遠勝と申す」


 そうだ。本当に見たかったのは、城の内部では無くて、こんな途方も無い城を作る人間だとおのれの発した言葉で気付いた。

 山中という男を見たい。

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