第40話・奉膳城の攻略。


南都・多聞城下 狭川治之介


(なんという城だ・・・)

 目の前にある城は、地面から石垣が壁の様に建ち上がり、その上一面に建物が築かれている。今までに見た事の無い城だ。狭川の城は石垣さえ無かったのだ。この石垣を作るのにどれほどの人数を使ったのだろうか・・・



「治之介、橿原に行くのだ。橿原城普請の物資を管理せよ」

 と父上が言って来た。どうも父上自らが望んでご家老の許しを得たようだ。


山中と戦って破れて一族の殆どの者が死んだ。我ら父子だけが許されて臣下となり、狭川領の復興をしていた。破れて討死するところを民に助けられたのだ。

「恨みを捨てて、民の為に生きよ」と父上は言った。もとい、勝負は時の運・恨みなど無いとは分っている。分っているが仲の良かった従兄弟の主水や甥の顔が浮かぶのだ。

 そんな気持ちを振り切って目の前の仕事を熟した。


戦を優先する山中は、さぞかし重税を取り多くの民兵を動員するのだろうと思ったがそうでは無かった。

 税は前よりは低いぐらいで意外な事に民兵の徴集も無かった。街道を歩く人が増え前より多くの物が売れるようになった。商業が盛んになると村は活気づき、復興はあっという間に進んだ。


 さらにあっと言う間に山中は、笠置・賀茂郷と木津を制して、さらに南都まで制圧したという。


 信じられない。

 山中はちょっと前までは、北村・清水三百石の勢力だったのだぞ・・・・・・


 途中に通った山中の本拠地・法用村にも驚いた。

 大和街道が通っているだけの米も満足に取れない小集落に過ぎなかった法用村が、まるで南都に来たと錯覚させられる町に変わっていた。その中心は山中の屋敷があり、山中砦と呼ばれていた。

砦の中は小屋が整然と建ち並び、次々と様々な物を積んだ荷駄が入ってきて出て行く。人々のざわめきに満ちて、その顔がみな明るく楽しげなのが印象的だった。



「おお、狭川治之介どの良く見えられたな」

「これはご家老様。父に命じられて出て参りました」


 門番に来意を告げると、出て来られたのは山中家の筆頭家老の清水十蔵どのだ。我ら父子の命の恩人でもある。戦で圧倒され囲まれながら攻撃をせずに、山中に命乞いをしてくれたのだ。


「この多聞城を見て、驚かれたであろう。我らも最初は呆気にとられて日が暮れるほど眺めたわ」

「縄張りは山中様で?」

「おう。大将は何の迷いもなく、まるで見た事があるが如くサラサラと絵図を書かれたわ」


 ・・・山中は武術が強いだけでは無い、それは重々分ってはいたが、まさかこれ程とは・・・


「・・石垣を作るのには、どれほどの手が?」

「一千の兵が競い合って積んだのだ。それで皆が張り切って予想よりかなり早く積み上がったわ」

「兵一千ですか・・・」


 狭川では考えられない兵の数だ。山中はそれぐらいの兵を易々と集められる勢力になったのだ。


「儂も今から十市城に向かうところじゃ、同道しよう」


 某にも馬をあてがわれた。十数人の護衛と共に南に向かった。

 町の様子が賑やかだ。南都はこの辺り一の賑やかな町だが、それが以前よりさらに賑やかになっている。道を歩く人の数が多いし、皆生き生きと明るい表情だ。


 奈良町を出ると道が拡張されている。広く平らで真っ直ぐだ。

 ご家老は某と併走しながら馬を早足で進めて行く。護衛が左右を固めてもまだ道幅に余裕があり通行する者たちの足を止めることも無い。


 しばらく行くと普請が行なわれている場所に来た。馬が走れぬという程では無いが、道幅がはっきりと狭くなる。自然と馬の速度は落とされる。

今までの広い道幅に添った杭が一定間隔に打たれて、それがずっと先まで真っ直ぐ延びている。そこで働いているのも兵士が多いのが分る。


「道の拡張は何処まで成されるか?」

「奈良から橿原までの五里を幅六間の棒道にするのじゃよ」


「・・五里ですか・・」

「そうじゃ、大将は商いの要は道じゃと言われての」


 道を広げると商いが盛んになるのか・・そういう事もあるか。だがこれ程大規模にする必要があるのだろうか・・分らぬ・・規模が大きすぎてそれがしには別の世界に来たように思える。




三月十五日未明・大和奉膳城近くの山間 山中勇三郎


薄くなり始めた空に時々気の早い鳥の鳴き声が響く。未明の暗闇に何処からと無く虫の声がする。山の中に潜む我らの目は前方の奉膳城の方向を見つめている。


奉膳城に取り付いているのは小寺隊のうち百五十だ。それに探索隊の保豊隊五十が加わっている。

我らはその後方で腰を下ろして城攻めの見物だ。俺の廻りにはいつもの旗本衆と探索隊の杉吉と楠木どのがいる。楠木どのの十二人の配下もいる。


「そろそろですな」

「うむ・・」


将軍家に仕えて京にいた時とは、別人のように生き生きとした顔の楠木どのがいる。

楠木殿に紀泉の山を抑えさせる意義を松永様に説いて許された。だが山中の家臣ではなくて、あくまで松永配下の客将として派遣してくれたのだ。


和泉・河内の悪党として幕府の大軍を翻弄した楠木の名を故地に入れるのだ。一体どう言う事になるかワクワクするぞ。


 貝吹城を出て来たのは深夜だ。

梅谷隊百五十と小寺隊二百を十人隊に別れて出発した。三十五の組の前後には探索隊の者が案内について、暗闇の山中を物の怪のように進んで来た。


 貝吹城から奉膳城までは、曽我川沿いに一里半だ。途中の右岸の山に国見山城、それに対応するように左岸に曽羽城がある。国見山城には百、曽羽城には五十程の敵兵がいる。

 国見山城は越智領西端の城で、橿原から宇智郡への進路を見下ろす位置にある。厄介なので同時に落とす事にした。国見城攻撃隊・梅谷隊二百に貝吹城の兵百を加えた三百がこれを密かに囲んでいる。



「始まりましたな・・」


 前方の小寺隊に動きが出た。

城兵は気付いていないと見て、強攻突入するようだ。弓矢を放つと同時に、半分ほどの兵が無言で切り岸を下っていく。

薄暮の中、シルエットだけの幾つかの兵の塊が掘切を這い上っている。

 城兵はまだ気付いていない。と言うか、数人いた見張りは既に弓矢で射られて転がっている。


「敵だー、起きろー、敵襲!!」


 城兵が気付いて慌ただしくなった時には、背に弓を背負った者たちが身軽に柵を乗り越えて弓を構えていた。

押っ取り刀で出て来た敵は、次々と弓矢で射倒されて行く。闘争の響めきの中・幾筋にも垂らした縄を辿って次々と兵が城内に入って行く。


 やがて闘争の音が止み、城中からこちらに合図が送られた。


「我らも参りましょうか」

 杉吉を先頭に皆が切り岸を降りた。堀底で振り返って見ると黒々とした山が頭上に覆い被さっているようだ。まだ朝が完全には明けていない。


(山が近すぎるな・・)


「半数ほどの兵が降伏しました。我らの被害は軽傷者が五のみです」


「ご苦労であったな」


「某、半数を連れて梅谷の援軍に向かいたいと思いまする。宜しいでしょうか?」


「良いぞ。杉吉も手助けしてくれ。曽羽城からの援軍に気をつけよ」


「「はっ」」


「楠木どの、百を指揮してここの普請の指揮を頼む。こう簡単に落ちないような城にしてくれ。うちの兵は普請が得意だぞ」


「お任せを」


「保豊は、見張りと負傷者の手当てを頼む」


「承知」


高見山城は強攻になろう。

城兵百に対して、梅谷三百と小寺の援軍百五十だ。攻めるこちらはある程度の被害が出るだろう。

伝説の楠木軍学は伝わっているかどうかは知らないが、ここで正虎の築城を見ておこうと思ったのだ。

次には敵中での築城となるからな・・・



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