第38話・越智の懊悩と飛鳥郷の制圧。


三月十一日 高取城大広間 一門衆・越智家増 


「山中が貝吹砦を獲った。我らもすぐに兵を出すべきです。そうしないと飛鳥郷は山中の手に落ちますぞ」

「飛鳥は越智のものでは無いのだ、兵を出す口実が無い・・」


 これだ。殿には果敢さが全く足りぬ。確かに飛鳥郷は今越智の領地ではないが、昔はそうだったのだ。米の取れる豊かな飛鳥郷は我らに取って重要な所だ。もし山中の手に落ちて兵糧の道が閉ざされたら難儀するのが分らぬのか・・・


「某も家増殿の言う事に賛同致しますぞ。兵を出すのに口実などいらぬと存知じる。それに飛鳥の豊かな産物が我らにどれほどの恵みをもたらしているか殿はご存じありませぬのか?」


「このままであれば某の領地も侵略される。それを殿は黙って見ておられるのか?」


「それは分っておる。分っておるが破竹の勢いの山中と争っては、勝てる訳が無かろう。ここは凌いでくれ」


 家老芦原の説得と貝吹砦南方の松山の窮状にも真摯に向き合えぬか。一家を率いる器量では無いと分っていたが、これではな・・・・


「越智の浮沈に関わる事態なのじゃ。他の御仁はどう考えておらるるか?」

 この場には、越智三家老の芦原・岩壺・粕森、三将の松山・志賀・新野がいる。皆が皆・腕組みして苦渋の表情をしておる。或いは当主の不甲斐なさに呆れているか・・


「某は、殿のご判断に賛成じゃ。今はまだ越智に直接的な影響は無い」

 家高派の家老・粕森だ。儂と同じ一門衆でもあるがそれ程の勢力は無い。こやつも日和見主義だ。こういう男を傍に置くから家高は駄目なのだ。


「儂は多武峰と協調して敵を平野に留めるのが良いと考える。飛鳥郷は出来れば緩衝地帯として残したい。だが山中がこのまま宇智郡を獲ると、我らの足元を掬われる恐れが御座る。そこがな・・」

 宿老の岩壺だ。出家しており多武峰と繋がりがある。山中の宇智郡侵攻を儂同様に懸念しているようだ。


「某も岩壺殿に賛同する。飛鳥郷は緩衝地帯として残したい」

 岩壺派の志賀だ。こいつの意見は聞かぬとて解る。常に岩壺のご機嫌伺いしかせぬからな。

 緩衝地帯か・・そんな甘い目論見・いや希望だな、そんなものは通用しないと言う事が解らぬか・・


「飛鳥郷などどうでも良いわ。山中が宇智郡に出れば、吉野郡へと手を伸ばしてくるは必定。もし吉野を抑えられれば越智の補給は切れる。絶対に阻止すべきだ!」


 威勢が良いのは吉野の武将・新野だ。おのれの領地の心配しかしていないと言えるが、確かに山中に吉野を抑えられれば越智の補給は切れる。


 その考えは間違ってない。間違ってはいないが・・・


「それは儂も分っておる。山中が吉野へ来るのなら、全軍を上げて打って出る。だが今はまだその時では無い」


「ではどういう状況なれば、その時だと考えておられるな?」


「それは・・・その時に判断する。とにかく今はまだ早いのだ、山中には勢いがある。威勢を誇っていたあの十市でさえあっさりと破れたのだ。とにかく十市より勢力が落ちる我らには分が悪い・・」


「ならば、山中に頭を垂れて臣従すれば良い。そうするのなら儂は反対せぬぞ」


「いや、歴史ある我が越智家が、どこの馬の骨とも分らぬ者に臣従するなど考えられぬ・・」


 やれやれ、これでは堂々巡りだ・・。結局のところ、先は読めない上に戦をする勇気が無いのだ。殿の言う事は負け犬の遠吠えのように儂には聞こえるわい。

 このままでは父祖が身を粉にして連綿と築き上げた越智家が無くなるかも知れぬ。


 なんとかしなければ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



三月十二日 飛鳥郷 嶋小隊


 昨日・甘樫丘の北東の雷城・奥山城・飛鳥城を掃討した。三城とも無人だ。探索隊によって周辺の砦は確認されていて、それを記した絵図が渡されているのだ。

掃討と言っても内実は土木作業だ。三隊に別れて鍬・梯子・掛矢を持って登り、建物を解体、土塁を崩して濠を埋める


今日は貝吹山西方の植山砦・岡砦と来てここ祝戸砦だ。ここには数十の兵が籠もっている。飛鳥郷で初めての攻城戦だ、腕が鳴るぞ。


「作造、攻め手は大手か?」

「いんにゃあ、それは悪手だぁ。上がれば上がるほど雪隠つまりで三方からの弓の的になるだよ」


「ならば、良手は何処だ?」

「大手以外だぁ。東と西に別れて攻め上がれば、数十の兵では守り切れねぇだ」


 爺さん、なかなかの軍師だな。確かに東西に細長いこの砦では、守り切るには百以上の兵がいるだろう。


案内の作造はこの付近の村の出身で元十市の重臣・太田どのの屋敷の小者だ。背が低く色黒でしわがれた小さな老人だ。若い時にこの砦の改修に出た事があるらしく砦の構造に詳しい。


ちなみに太田どのの父は十市の宿老で、今も十市遠勝と共に初瀬砦に籠もっているらしい。主十市遠勝の町に降りよと言う命を、”儂は隠居したで好きにする”と言って断わり居残っているらしい。


「真に困った父親で御座います」と、太田どのは恐縮していた。臣従したのに父親が大将に反抗する姿勢を見せているとも言えるのだ。


 それを大将は「面白い爺さんだな」と大喜びした。


「そなたの父上の言う通りだ。長い事辛い勤めをしてやっと隠居した身だ。もはやおのれの身をどのようにしようが好き勝手だ。だがそなたは父親が困らぬように食べ物・着るものなどの面倒を見て孝行を尽くさなければならぬぞ」

と言ったのだ。


 さすがに大将だ、あれで元十市家臣の者たちの心を掴んだ。某、心の中で喝采を叫んだぞ。



「雲海は東からだ。無理する必要はない城兵を引き付けてくれ」

「承知」


 俺と切山は西尾根に向かう。西尾根は丘陵地帯で東尾根に比べて高低差が少ない。そこを掘切と切り岸で防備しているが、大した事は無いと見た。

先行した切山が攻め上がる様子を後方から確認する。


ん・・・敵の挟撃が鋭い・思った以上だ。左右からも弓矢に攻められ上から石が降って来ている。


 なんだ・・、人数が多いのか?

 先行して取り付いた二十人ほどの一隊が身動き出来ずに固まった。


 まずい!


「上と左右の敵を牽制しろ!」

「切山ー、退けー、退くのだ!」


左右と上部の敵を弓で牽制している間に、切山らは身を低くして逃げ戻ってきた。二人ほど矢を受けた兵もいたが、抱えられて無事戻ってきた。


「切山、無事か?」

「おう、儂は無事だが二人ほどやられた・・」


 手当てを受けている二人は、見た感じは軽傷だ。だが戦列は離れなければならない。


「奴ら、必死だぞ・・」

「ああ、某も油断していた。ここは多武峰と高取城に向かう街道を抑える位置だ。少し考えれば敵も必死になると分ったのにな」


この二日間というもの、たいして抵抗らしきものは無くちょっと油断していた。しかしよく見れば、敵の数はやはり少ない。初めから慎重に掛かれば良かったのだ。


「今だ、行くぞ!」


 機をみて左右の隊が飛び出す。残った某らは弓矢で敵を釘付けにする。

この任務が決まったとき、弓矢は全て山中砦で作った探索弓に替えてきている。丈が短い探索弓はこういう時には圧倒的に使いやすい。おまけに矢も豊富だ。

調練を繰り返してつくづく解った事だが、この弓矢でなければ山での戦いは有利に進められない。


 左右の敵を後続の兵が弓矢で射竦めて、三方から上の郭に上がり拠点を作る。作った拠点から牽制している間に後続隊が上がって来る。それを二度ほど繰り返すと、敵は堪らずに逃げ去った。


「おお、なるほど・・」


 山頂に立つと四方が見渡せる。

 北は飛鳥の古都があり、その先甘樫の丘を越えて広大な奈良平野が広がっている。平野に生えた様な天香久山・畝傍山・天神山が印象的だ。

 西はゆったりとした起伏の飛鳥丘陵だ。


北から来て南に延びる街道は、一町ほど先で山間に隠れる。その先は幾つかの集落を経て高取城の背後にある芋ヶ峠を超えて吉野に繋がる。


眼下で分かれて東へ真っ直ぐ延びる街道は、谷筋と視界が一致して霞むほど遠くまで見渡せる。


「多武峰は、あの山際の先一町ほどだ」

「ふむ、道理でここを取られるのを嫌がる筈じゃな」


 ここは越智と多武峰の急所の一つだ。このまま我らで確保しておきたい。隊長は状況を見て判断する事が許されておるのだ。


 ならば、やるべき事は決まった。


「我が小隊はここに留める。手分けして建物と防御を整備、村長に伝えて街道を封鎖、状況を梅谷隊長に報告して兵糧の確保をしてくれ」


「「「 おうっ 」」」


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