第37話・柳生宗厳の疑問。
永禄三年三月九日 龍王山城 結城忠正
龍王山城を山中どのが率いた別働隊が落とすと、十市勢は雪崩を打って逃げ出して十市攻略戦が終わった。当主の十市遠勝ら龍王山城にいた兵士は、ほぼ無傷で山伝いに落ち延びた。平野で戦った多くの国人衆は敗走してその内の多くが降伏した。
十市の領地は初瀬川から東を柳生が、西を山中どのが治めることになった。それに伴い山中どのは、龍王山城を柳生どのに譲ったのだ。北大和最大の城とも言える龍王山城をあっさりと手放すとは、なかなか出来る事では無い。
大和二大山城のひとつ龍王山城は、直前に十市が大規模整備したこともあってなかなかの堅城だ。もしここを攻めたとすれば大きな犠牲が出ただろう。
それを山中の別働隊は無傷で落としたのだ。柳生殿は整備の終わったばかりの堅城を手中にして大喜びだ。
但し、至近距離の初瀬砦には十市遠勝が兵二百と籠もっているという。山中どのは彼らをしばらく放置しておく事にしたと言う。
十市遠勝は龍王山城を空にしてまでして、一気に勝負に出たのだ。普通は二の足を踏むような策を思い切ってした。その決断力と行動力は非凡で、ひとつ間違えば負けていたのは我らかも知れぬ。
どうやらそこを山中どのは気に入ったようだな。砦に籠った十市は出入り自由としたのだ。ちょっと普通では考えられぬ寛大な処置だ。
家族を解放されこの寛大な処置を受けた十市は、家臣らに新領主に臣従するように伝えたらしい。そのお蔭で十市領は山中・柳生にすみやかに吸収されて平穏を取り戻しつつある。見事な山中どのの処置だ。
ともかく某は、殆ど無傷で援軍の役目を無事終え既に兵は筒井城に帰している。すぐに田植えが始まるのだ。田植えが終わるまでは戦は出来無い。
だが次は信貴山の足元・葛下郡の箸尾の攻略が待っている。箸尾は河内や紀州の敵と結託して山岳を利用して動き、なかなかに討伐できない難敵だ。
松永の殿は信貴山の築城と京の奉公で手がいっぱいだ。今度は我らが山中どのの援兵を貰わなければならない。
その山中どのも高市郡の越智の攻略が待っている。大和一の山城と呼ばれている高取山城という広大な城だ。しかもその近くには数百・数千の僧兵を抱える多武峰という寺もある。周辺の山を要塞化して興福寺と長年戦を繰り広げてきた強大な寺院だ。とにかく実に厄介な地域なのだ。
ところが全力を持って当たったとしても落ちるかどうか分らぬこの二つの難敵を、山中どのは無いものが如く扱い、南方の宇智郡への侵攻を命じられたとか。
どういう考えなのだろうか・・・・
某の持って生まれた感覚が、山中どのを見て何か不思議な感じになるのもこのあたりの動きに関係するのか・・・
殿の下で幕府奉行衆を努めていた楠木正虎どのが、山中どのの元に派遣された。山中どのが願って実現したのだが、楠木殿も実に嬉しそうな顔だ。
某も幕府奉行衆であったが、高貴なお方のお相手をするのには随分と気苦労があった。ましてや楠木という南朝方の主力であった名で、北朝方で奉公するのには相当な心労があったのに違いない。
「もう一手!」
柳生どのに願われて龍王山城に滞在して稽古をしている。柳生どのは名だたる剣客だ。某などに教える事など無い。教える事は無いと思っていたが、実際に稽古をしてみると、柳生どのの剣は実直過ぎるという気がする。
つまり型に嵌まりすぎている。大勢の門弟に教えるにはそういう事が必要だが、そこが弱点と言えば弱点か・・戦場では何が起きるか分らぬのだ。
・・ならば、こうだ。
同・柳生宗厳
山中どのより譲られた龍王山城は、某の身代を越えた物だ。この巨城に見合うように精進しなければならぬと誓った。戦が終わったこの時を捉えて、稀代の剣士と言われる結城どのに剣の教えを請うと許された。
山中どのの剣技は凄烈だったが、結城どのの剣技を一言でいうなら幽玄だ。まるで幻の如く、残像を伴いながら剣先が伸びてくる。それをなんとか躱している内に、躱した筈の剣先が不意に延びて来て腹部を打った・・・
「うっ・・結城どの、今のは?」
「左太刀じゃよ」
柄握りを左手前に持ち替えると思わぬ剣先の動きになる。それを躱し切れなかったのだ。
「握りを変えてくるとは考えが及びませなんだ。ご教授忝し」
「これ程の事なれば、いつでも」
左太刀か・・・なるほど。
思わぬ攻撃に対する意識も必要だとの教えだ。忝し。
「ところで結城どのは、山中どのと胤栄どのの試合を分けられたとか」
「うむ」
「某は凄まじき試合であったと聞き申した。ところが誰に聞いてもただ凄まじきと申すだけで、一向に要領を得ませぬ。結城どのの目で見て、どのようなものであったのであろうか」
「あれは・・止めなければ二人は死したかも知れぬ」
「なんと・・・」
「お互いが試合の中で高めあって、遂には死域に入ったと某は見た」
「死域とは・・・」
「普段では考えられぬが人は何らかの切っ掛けによって、そういう状態に入る事がある。火事場の馬鹿力などもそうだ。極限の戦場で戦う兵士にも時に起こる。死域に入ると出せる力や動きの速さは常人には考えられぬほどになる。だがそれは人間の体の限界を超えたもので、長く続けると死に到るのです。稀に武術の極みに達した者がそういう状態になると聞く。あの二人はそれであろう」
なんと、二人はそれほどの境地に達していたのか・・・
三月十日 飛鳥郷 梅谷柵之丞
日増しに暖かくなってゆく。気温が上がると野や山の植物が一気に芽吹いて新緑色になり、吸い込む空気さえ柔らかく優しくなった気がする。
そんな清浄な空気の中でも何処かから微かに血なまぐさい匂いが匂ってくるような気がするのは、本日より橿原の南方の掃討戦が始まったからだろう。
「おおぉぉぉぉぉーーー」
北尾根を攻め上がる清興の大声が聞こえる。
「我らも負けるな、声を出せ」
「おおおおおお!!!」
「カン・カン・カン・カン・カン」
先頭を率いる五十人頭・水野の指示でこちらも負けじと声を振り絞り、楯を叩いて賑やかに大手を攻め上がる。
「まるで猪追いですな・・」
「違いない」
隣の雲海が可笑しそうに言う。雲海の言う通り勢子が猪を追い出す猟のようだ、但し追い出すのは猪ではなく人・貝吹山城に籠もっている兵だ。
だが弓や楯・槍を持って城攻めらしい装備をしているのは、先頭の水野隊だけだ。
後軍は槍の替わりに鍬や斧・鉈や梯子を持ち、さらに後ろの者は道具を積んだ山駕籠や材木を担いでいる。長く伸びた列は砦に居る者から見れば、実際の人数以上の大軍が攻め上がってくる様に見えるだろう。
砦に籠もっている兵は僅か三十ほどらしい。
位置的に越智勢かと思えばなんと筒井勢だという。ちょっと前までは百人ほど居たようだが、椿尾城が落ちてからどんどん人が減ったと言う。
砦に籠もっているというよりは行き場が無くて住み着いていると言った方が当たっているだろう。
二方向から列をなして声高に攻め上がると、敵は予想通り一矢も放たずに逃げ去った。無理も無い。援軍も無く三十ほどの兵で守り切れる砦では無い。そもそも彼らに戦おうと言う気力があったのかどうか・・
我らはここ貝吹山砦を飛鳥郷攻略の本拠とする。与えられた兵は三百、小隊長となった清興に五十人頭が切山・玄海・雲海・水野だ。兵はいずれも鹿背山から南都と馴染んできた者たちだ。
大将が軍制を改めて隊の指示系統がはっきりとしたことで、我らも兵を動かし易くなった。複数の系統の兵が同時に動く山中軍では大事な事だと分る。
凡人の我らでは考えが及ばなかったが、相変わらず大将は先の先を見通している。
「中隊長、予定通り我らは東の掃討に行きますぞ」
「おう、慎重にな。その間に寝場所と食い物は準備しておく」
「ならば張り切ってやります」
小隊長・清興は切山と玄海の五十人頭を率いて、山裾の小砦群を無力化して行く。我らは拠点となる貝吹砦の整備だ。
まあ、どちらも土木普請だな。山中軍は普請部隊でもある。今頃本隊も土木普請の真っ最中だろう。
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