第16話・大将の帰還。
一月十二日 柳生街道 山中勇三郎
今日は寒さが緩んで、小春日和の暖かさだ。馬に乗るのは久し振りだが、尻が慣れたのか快適だ。
もうすぐ平清水村だな。そこの村人である作吉が走って先行した。
久しぶりだ、と言っても八日ほどか。本当はもっとじっくり修業したかったが状況が許さなかった。
それでも実に充実した日々だった。
結局僅かな日にちしか居られなかったが、柳生道場では未明から夕暮れまでみっしりと稽古をした。特に熟練者との組稽古が思う存分出来たのが大きい。
この時代・組稽古は木剣なのだ。
体に当たれば骨が折れ、頭を打たれれば死ぬ。実戦と大差無い恐怖に打ち勝ち、瞬時の動きに集中しなければならない。
そういう稽古に没頭できた。さらに柳生の面々との顔つなぎも出来た。
まだまだやり足らぬが時間が許してくれない。あとは屋敷の道場と実戦で鍛えるしか無い。実戦に向き合える、その自信がやっと出来たのだ。
おう、人が並んで居る。
先頭でにこにこしているのは十蔵の父の清水三十郞だ。奥方の美香どのもいる。十蔵の倅の幹之助や弟達もいるな。
なにより、民の笑顔が良いな。俺の事など知らない筈なのに、みなニコニコとして手を振ってくれている。
兵もいる。十蔵の腹心の佐藤勝造が十人ほど率いて、南の奥山の村々に睨みをきかせているのだ。
「殿、お持ちしておりましたぞ」
「おお、三十郞。出迎え忝い。それにしてもどうしてこんなに人がいる」
「どうしても何も、弱小国人の某らの所帯を一気に広げられた殿を見たいと民がつめかけたのです」
「・・そうか。しかし実際に動いたのは三十郞らだがな」
「我々は、殿の指示どおり動いただけで御座る」
「うむ、色々とご苦労であったな。これからも頼むぞ」
「お任せを。ここで奥山六村に睨みを利かします」
平清水村から法用村への道は、山間をゆくうねうねとした道だったが、広く真っ直ぐに直されていた。法用村が近付くと、今度は万蔵が先行して知らせに走った。
法用村は家が増えていた。家と言っても簡単な小屋だが、平地の隙間を埋めるように並んでいる。そのせいで村が少し大きくなったような感じがする。
おお、道端に村長の六左衛門らが出ているな。
「殿、お帰りなさいませ」
「六左衛門、色々と迷惑をかけたであろう。済まぬな」
「何を仰います。殿のお蔭で法用村は空前の賑わいです。これから城下町として発展します」
「・・城下町か、どうなろうか・・」
まだそこまでは考えていない。これからの本拠地をどこにするか、それは状況しだいだしな。でも俺がこの時代に目覚めたあの屋敷は大事だな・・
そういう思いの我が屋敷は、大きく様変わりしていた。
皆が呼ぶ様に屋敷よりは砦らしくなっていた。元の屋敷地を本丸として、左側に大きく土地が広がる二の丸か、その先の三の丸も出来つつあるな・・
二の丸の塀代わりに小屋が建ち並び中は見えない。そこからは煙が何本も立ち上がって、人々の働く喧噪が感じられる。
道を挟んだ右側は、山を削った雛壇上の土地に沢山の掘っ立て小屋が立ち並び、こちらも幾筋もの煙を上げている。
広げられた街道沿いに、両側に柱を立てただけの門がある。その門際に十蔵が一人でぽつんと立っている。
俺の姿を認めた十蔵は顔をくしゃっと歪めた。
「大将、よくお戻りで・・」
「おお、十蔵、苦労を掛けたな」
「はい、苦労しやした。これでもかと気張りやした。しかし次々と変わってゆく有様が、なんとも愉快でもありやした」
「そうか、ならもっと愉快になろうぞ。それにしても変わったな・・」
「ふふふ、大将、驚くのは早いで御座るよ。殿のお帰りだ。法螺貝を吹け!」
十蔵の合図で、ほら貝が吹き鳴らされた。それは、冬空に高く透明に響き渡った。その音で砦の内外の喧噪がピタッと止まった。
「大将、山中砦・二の丸をご検分下され」
十蔵に促されて門を入って右手に進んだ。通路は狭いが五間ほど行くと、いきなり広くなった。
両脇に二列の小屋が延びて、真ん中は広い道が奥に続く。道の両脇には人が並んでいる。様々な格好をした汚れた顔の者たちが俺を見ている。
「皆、我らの殿・山中勇三郎様がお戻りになられたぞ!!」
と、十蔵が皆に告げると、おおっとざわめいた。
皆が小屋から出て並んでいる。そのどの顔も微笑んで、自分がこの砦を作ったのだと自慢げで誇らしげな良い顔だ。
「殿、お帰りなさいませ」という声、続けて皆が一斉に唱和してくれた。その人々の顔には、結構見覚えがある。俺では無くて勇二郎の記憶だが、もはやそれはどっちでも良い。
先頭にいる帳面を持った商人は、平清水村の十蔵の幼なじみの目木久衛門と言う男だ。算用に明るいので勘定方についてくれたと言う報告があった。
賄い所と思われる広い小屋の前、ふくよかな色気のある女はお銀と言う法用村の女大将で足軽の夫を戦で亡くした後家さんだ。隣の若い女は娘の久美と言ったな・・
恰幅の良い職人の格好をしたのは大工の営造だ。屋敷の普請頭をしてくれたのだ。
うむ・・やっと帰る所に戻って来たな。
ここは俺の居場所だ。
「今、帰った。皆にしばらくは苦労を掛けるが宜しく頼む」
「おおお・・・」「任せときなはれ!」「お帰りなさいまし」「お待ちしておりました」
俺の挨拶に皆は様々な声を上げてくれた。
「ここ二の丸・今は武具工房と練兵所、それに賄い所・長屋・蔵です。賄いは法用村の者たちが来てくれています」
新介が初老の武士を伴っている。背は高いが頬が痩けて疲れているように見えるが、その目は光って俺をじっと見ている。
「大将、須川甚五郎どので御座る」
「おお、須川どのか。この度の合力・誠に忝し。また先年は辛いことでしたな。勇三郎お察し申す」
「山中どの。いや殿、甚五郎まだ見ぬ殿であり実に不安でありましたが、ここに来て民の様子を知り、殿のお顔を拝見し心より安堵致しました。これからも末長い付き合いをお頼み申します」
「うむ。知っておると思うが儂は関東の田舎者じゃ、この辺りの事を全く知らぬ。甚五郎のような物事を良く知っておる者らが頼みなのじゃ。宜しく頼むぞ」
十蔵に案内されるまま奥に進むと兵が整列している。先頭は北村新介だ。藤内宗正も笑顔で並んでいる。彼らの後に三十人ほどの列が左右にある。
兵六十名か・・こうして見ると思ったより多いな。それでも前線には幾らかの兵を残している筈だ。今の全兵力は百には届かぬ八十か九十かだな。
兵たちも戦いも経験した自信が面構えに出ている。これから勢力を広げる山中軍としてはまず良い一歩を踏み出したな・・
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