第15話・国人衆の企み。


永禄三年 一月十日 狭川城 狭川主水


「それで、山中をいつ攻めるか決まったか」

評定の席に遅れて入って来た叔父御・狭川権座衛門が、慌ただしく座ると同時に言った。


 まったく、いつもの事ながらせっかちな御仁だな。まるで自分中心に世の中が回っていると思っているようだ。叔父御は父の弟で下狭川村を差配している。


「それを話し合うための集まりだ。皆、叔父御が来るのを待っておったのだ」


「我が狭川がどこの馬の骨とも分からぬ浪人者の配下につける訳が無いだろう。こんなことを話し合う必要は無い」


「だが権座衛門どの。山中を攻めることは松永と敵対すると言う事だぞ。我らが松永に勝てる見込みなど万にひとつも無い」

 上狭川の治之助が叔父御を諭すように冷静に言う。治之助は上狭川を差配する波佐衛門叔父御の倅で、頭が切れると評判の儂の従兄弟だ。


「そんな事は言われんでも分っておるわ。山中が攻めて来たから闘ったと言って、我らが山中に変わって松永に臣従すれば良いのだ」


 山中と闘うのならそれしかないか・・・

結局、あれほどの勢力を誇った筒井を一蹴した松永には我らでは抗し難いのだ。


「権座衛門様、それで松永は納得しますかな、言質でも取っておられるか?」

 儂の側近の垣内が叔父御に正す。


「馬鹿者、前もって言上すればこんな言い訳が通じるものか!」


「・・それもしかり、前もって松永に言上して山中に従えと言われれば、我らになす術は無くなる」

と並河が呟く。豪槍左近という呼び名が先に立つ我が軍の総大将だ。


「そう言う事だ。まずは山中を倒す。それが第一だ。その後はその時考えれば良い。場合によっては柳生に膝を折っても良い。とにかく誇りある我が狭川が一介の浪人者の風下に付くことは我慢がならぬ」


 叔父御の発言を聞いた皆が頷いている。こんな事は珍しいな。我が儘な叔父御の意見に皆が納得するなんて初めてかも知れぬ。


「ですが兄上、山中は須川だけで無く南部の村を取り込んで、千石近くまで勢力を増やしているようです。のんびりとしている訳に行きませぬ。時は敵に味方しますぞ」

 須川領に隣接する狭川上村の波佐衛門叔父御だ。その冷静な判断力は亡き父上に似ていて、某の最も頼りとする叔父御だ。


「わかっておるわ、波佐衛門。儂にも目はある。今から急いで軍備を整え、来月初めに攻め入るのでどうだ。それなら田植え前には戦は終わる」


「叔父御、来月初めまではまだ二十日もあります。それでは遅う御座います。父上の仰った様に時間は敵の味方です。半分の十日後にすべきです。それに敵地に攻め入るのはかなりの危険が伴います。まずは国境の村を攻めて、山中と一党が出てくるのを待って一挙に決着をつけるべきです。彼の者を倒せば我らの勝ちです」


 ふむ、さすがは治之介。見事な策だ。並河・垣内だけで無く叔父御らも頷いている。これを採用しない訳には行かぬな。


「よし、それで決まりだ。十日後に山中領に進出する。おのおの村に帰り軍備を整えよ!」


「ははあ!」




永禄三年 一月十一日 山中屋敷 清水十蔵


軍隊長の新介は五十の手勢を率いて北の賀茂郷に入ってきた。兵の訓練を兼ねて村々を攻略して来たのだ。とにかく急ぐのだ。訓練でさえ実戦もありの威力調練で行っていると言う状態だ。


 その成果は思っていた以上だった。

北村隊は、入った初日に当麻村の岩船寺と浄瑠璃寺を下した。そのまま高田村に入り、山手一帯を制した山田隊と共に圧力を掛けて、里村・兎並村・北村を降ろした。

これで賀茂郷の山手と笠置領に接する東部一帯は山中領に変わった。残る西部の大野村と観音寺村は、木津領に接するために躊躇いがあるようで今回は下ることはなかった。


岩船寺の実斉上人は、一旦は逃避したものの進んで門を開き僧兵らも降った。その中に新介の知り合いの若者がいたようだ。

 嶋と言う若武者と啓英坊が率いる五人の僧兵はその後、新介隊と行動を共にして、啓英坊は十名の兵をつけて高田村に待機させている。


 一方、僧兵をけしかけて反抗しそれを高みの見物していた運上上人は追放した。寺領もほぼ没収して寺は無住となった。寺からは大量の武具と矢銭が運ばれてきて大いに助かった。大将の言うように、仏の教えを広める寺が人を殺す武器や兵を備えると言う事は間違っておるわい。


 古刹浄瑠璃寺は、しばらくは村人が手入れをして、いずれ本山から送られてきた住持を迎える事になるだろう。その位の寺領は残しているのだ。


 進んで下った岩船寺の実斉上人は、人柄も良くこれからは無住となった瑠璃寺の民の面倒を見なければならない。よって寺領は据え置いた。僧兵ではなく本物の学僧を増やして民の面倒を見て欲しいとの要望を快く受けてくれたのだ。


攻略の終わった村から連日、人や竹や藁やくず鉄などの材料が運ばれてくる。お蔭で砦は毎日の様に人が増えているのだ。運んで来た者の内、働ける者はそのまま人夫として受け入れている。

勘定方の目木の元にはさらに人を増やして、人・物・銭を管理している。戦は新介と藤内どの、調略は村長衆がして、儂は全体の目配りに徹している。



「ご家老、忍辱村の攻略・終わりましたぞ」

 奥山の攻略に行った藤内どのが凱旋してきた。


「そうか、ご苦労様でしたな、藤内どの。こき使ってすまぬが、引き続き新兵の訓練の面倒を見てくれぬか。普請や武具作りの方にも適宜人を回してくれ」


「委細承知。人が足りぬのは某も良く解っております。お気にされるなご家老」


 藤内どのの手勢十名を素波衆の三名が案内して、兵を挙げた奥山の忍辱村を攻めた。

忍辱村は円成寺の僧兵が浪人ら二十を雇って待ち受けていたが、柳生で過酷な修行をしていた藤内どのらの敵では無かった。


 藤内隊は一気に突撃して粉砕したようだ。

その恐ろしさに村長は腰が抜けて脱糞していたと言う。


 やれやれ、その程度で我らに反抗するとは無知も良いところだな。うちの兵は僅か半月足らずで五倍に増え、新介や藤内どのら屈強な者も多い。もはや一村・一寺が敵対できる勢力では無いのだ。


円成寺からはたっぷりの矢銭と武具類を没収した。我が領内では寺が武具や兵を持つことは禁じている。それを可能としていた寺領の殆どを没収する。


「ご家老、忍辱村には良い竹がありました。明日にでも刈り取って届ける様に言ってあります」

「そうか。伝えておく。武具方はきっと喜ぼう」


 この山中砦には、どんどんと材料が運ばれて来ている。

竹を切り矢を作り、割って削いで武具を作る。土地を広げて小屋を作り、その横では新兵の訓練が勇ましく行なわれている。賄い所では一日中火を焚き、飯を食わせる。街道では物を売る者らも出始めている。向かいの山の整地も進み、煙を上げる物作りの場が出来ている。この一帯はとにかく賑やかだ。


 まるで南都の繁華街が砦の内外に出来たようだ。


 大将も柳生道場で相当に腕を上げられているようだ。皆にばかり働かせてすまないので、早めに切り上げて戻ると言う知らせがあった。

 それが明日だ。

 大将を喜ばせようと新介と相談して作ったアレも今日中には出来上がる。


 大将、きっと驚くぞ。ふへっへっへ。


今でも山中領は毎日が大きく変貌しているが、大将が帰ってきたらもっと加速する予感がする。楽しみだ。

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