第54話 始まり
『卒業生、入場』
体育館の中から、先生の声がマイク越しに響く。
時は流れ、俺たちは卒業を迎えた。
単位は足りていたので、俺を含めた野球部の3年生10人全員が卒業できることになっている。
ベスト4を達成した俺たちは結局、山形大会の決勝で負けた。
準決勝の飯豊高校との試合は、3点ビハインドからひっくり返して勝ち上がった。
もっとも、逆転勝ちができたのは相手エースが球数制限(一週間500球)に引っ掛かり、降板せざるをえなかったからというのが大きい。
決勝戦である
一回戦を勝ったときはまばらに起こるだけだった拍手は、決勝で負けたときは数倍に膨れ上がっていた。
だがよく考えれば、それも自然の流れな気がする。
なにせ外側から表面だけ見れば、廃部寸前の無名校が起こした奇跡の準優勝。
という訳で、大会後の俺たちには取材の申し込みが殺到した……らしい。
「らしい」というのは、監督が俺たちへの取材はすべて断っていたからだ。
受験期というのもあって俺たちも取材されることはあまり望んでいなかったし、そもそも取材されたところで話すこともそんなにないので、そういう対応にした。
それとの監督のことについてだが、どうやら準々決勝の日に来られなかったのは、家族関係でのことらしい。恐らくこの前監督が言っていた「会社の後継問題」だと思うが、監督自身もあまり詳しくは言わなかったから、確かなことは分からない。
以上が準々決勝から引退までの、事の顛末だ。
「よっ」
「よぉ」
卒業式が終わった後、教室での挨拶もそこそこに済ませてきた俺たちは、野球部の部室にいた。
「あっ、先輩方」
白河さんと清川さんが出迎えてくれた。もちろん、式典の今日は制服姿で。
「ご卒業おめでとうございます」
「うん、ありがとう」
「サンキュ」
「おっす」
清川さんの祝福の言葉にも、俺たちはどこか上の空だった。
今日全員が部室に集まっているのは、正式に廃部が告げられる日だからだ。
「あ、全員来た?」
何とはなしに談笑していると、監督がやってきた。
「はい、全員揃ってます」
「そう。……じゃあ、行こうか。校長室からお呼びがかかってる」
*****
「校長。それで、野球部の件なんですが……」
「ううむ」
教頭である大滝の問いに校長の
(狐ってよりか、見た目は完全に狸……おっと、いかんいかん)
大滝は漏れそうな本音に対し、口をつぐんでどうにかやり過ごした。
「失礼します」
「はい、どうぞ」
狐ヶ崎が承諾すると扉が開き、ぞろぞろと人が入ってきた。
野球部の面々だ。
「まずは千歳先生、お座りください」
大滝が促したが、千歳は「いいです、このままで」と拒否した。
(まあ、それならそれでいいか)
「それでは、野球部の処遇について、お話いたします」
狐ヶ崎が喋り出す。大滝には、少し汗をかいているように見えた。
「まず4月以降なんですが、……ええと、何と言ったらよいですかねぇ。事実上の休部、とでも言いましょうか、とにかくそんなふうにしようと思いますけれど」
「なぜですか?」
千歳が素早く切り返す。
その言動に、狐ヶ崎は少したじろいだ。
「ええと、ですねぇ。その、千歳先生を含めた野球部の皆さんは、山形大会で準優勝という結果を出しました。まずはおめでとうございます。……それでですね。学校と致しましては、そのように実績をあげた部活を、さすがに廃部にはできない、という結論に至りまして」
「正直に仰って頂いて構いませんよ。学校に電話が沢山来たんでしょう?」
千歳が再び、即座に言葉を返す。
狐ヶ崎という校長の皮を被った狸親父は結局、周りからの評価で決断を変える。その程度の人物なのだ。
「もう、抗議電話への対応なんかしたくないんでしょ?」
後ろから米沢が援護に加わった。
狐ヶ崎はそれを聞き、一瞬苦い顔をした。
*****
「廃部にしてくださいよ。私も今月で退職しますし、タイミングとしては丁度いいでしょう?」
監督は、今まで見たことのない、俺たちに見せたこともないほどの笑顔を作り、狐ヶ崎に言った。
「……え? 今、何と?」
「廃部でいいです。そのつもりで、今日まで活動してきたんですから」
高瀬が言い放つ。表情は硬く、視線は冷たかった。
「き、君たちは、それでいいのか⁉ その……そうだ、まだ一学年下の生徒たちもいるじゃないか。その子たちはいいのか?」
名前すら憶えていないのか。
「私は先輩たちと野球が出来ただけで嬉しかったです。公式戦にも出場できましたし、悔いはありません」
「最初から三年生の先輩方が卒業するときに廃部だと伺って入部しましたので、特に問題ありません」
狐ヶ崎の必死ともとれる説得を、一学年下の生徒である白河さんと清川さんは、いとも簡単に振り払った。
振り払ってくれて全然構わなかったから、それでいいのだが。
「それは……では、野球部存続の件は……」
口を金魚みたいにパクパクさせている狐ヶ崎に、俺たちは視線を向けた。
「廃部にしてください。それが部員一同と私の結論です」
監督でなくなる瞬間、監督は一息ではっきりと告げた。
失礼します、と全員で校長室を出ていくとき、大滝は「やっぱりか」と呟いた。
◆◇◆◇◆
「その、今更なんだけどさ」
部室に戻った後、高瀬がきり出した。
「白河さんと清川さんは、あれでよかったの?」
それについては、俺も思っていた。高瀬が話し始めたところを見ると、俺以外にもそう思っていた奴がいるかもしれない。
清川さんはマネージャーだったとはいえ、ベンチでスコアをつけながら戦況を見ているだけだった。それに「ネット署名」を思いついた清川さんは、ある種俺たちの恩人でもあるのだ。
そして白河さんは、決勝戦の九回に代打で出場した一打席だけだった。あれで満足しているのだろうか。
「私は校長室で言ったように、廃部前提でした。だから問題ありません」
清川さんは問題なさそうだ。となると……。
「私?」
全員が白河さんに目を向けた。
「私は……正直、もう少し試合に出たい、というのはありました。でも、元々公式戦を諦めていたので、最後、決勝戦の一打席だけでも出ることができて、本当に嬉しかったです」
「ヒットも打ったしな」
珍しく、今泉が言葉を返した。
「そう! そうです。本当に楽しい時間でした。でも、まあ、校長先生があれじゃ、活動期間を延ばしてもらったところで、そんなに楽しめないと思いました」
エヘ、言っちゃった、と、白河さんは舌を出した。
ただ、最後の言葉には、全員が頷き同意を示した。
「失望返し、ってか。アハハ」
高擶のギャグは、いつもより軽くなかった。
廃部を決めた時は、学校側が俺たちに失望したのだろう。
「『終わりの始まり』が、ふさわしいか?」
「終わって始まるんだろ。俺らも監督も新生活だし、狐ヶ崎は知らんけど」
だが、二年弱の時を経て、その感情は一方向から双方向になっていたのだ。
俺たち野球部は、失望され、失望したのだった。
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