第53話 真理
(延長に持っていってくれれば、吹浦を打ち崩せることは可能だ)
関根は、10回表の攻撃のことを考えていた。
今は9回裏、舟高の攻撃で、状況は二死一塁。一番打者の遊佐にヒットを許したが、ツーアウト。どちらにしろ、打者との勝負に集中すればいい。
「走った!」
(は⁉)
一塁走者の遊佐がスタートを切った。
その瞬間、思わず関根は吹浦を見た。
(まさか!)
そのまさかだった。
が、今から指示など出せるはずがない。
「エンドラン⁉」
二死からの奇策に驚いたのは、出羽学館と観客だけではなかった。
基本的にサインは形式上でしか出さない舟高のベンチ内でも、誰かが素っ頓狂な声を上げた。
*****
実力で劣るのに、定石通りのことをやっていても勝てない。
ただ、いつもと違うことをやったとしても、慣れないことがぶっつけ本番で成功するとは考えにくい。
それなら、他と違うことをいつもやっていればいいのだ。
エンドランの練習を何回したことか。
右方向を意識して打った俺の打球は、ライトとセンターの真ん中に転がった。
しかし、俊足のセンター永覚が、これも素早く追いついた。だがかなり深い。
少し山なりのボールが、中継に送られる。
「ゴー!」
三塁ベースコーチャーの白河さんは、腕を回した。
遊佐は最初から決めていたかのように、三塁を回りさらに加速する。
中継に入った出羽学館のセカンド
遊佐がヘッドスライディングをし、捕手の青梅が必死のタッチにいき、ホームベース上で土ぼこりが舞った。
「セーフ!」
球審が腕を横に広げた。
俺は一塁上で、そのコールを確かに聞いた。
一瞬の静寂が訪れ、それがはじけた。
球場に沸き起こるどよめき。歓声、溜め息。
いつ頃のことか知らないが、ルーズヴェルトが「一番面白いゲームスコア」と言った。……らしいそのスコアで、ベスト4を成し遂げることになった。
「8対7、舟形高校。礼!」
◆◇◆◇◆
試合後、俺たちは幕ノ内と大滝を問い詰めた。
「千歳先生はどこ行ったんですか?」
「だから、急用で……」
「俺たちの監督のことですから、聞く権利はあります」
するとそこへ、聞き覚えのあるのんびりした声が聞こえてきた。
「やーみんな」
「監督!」
「申し訳ないです、幕ノ内先生と大滝先生に任せる形になってしまって」
「いえいえ、それは構わないんですが」
「監督! なんで急にいなくなったんですか」
真っ先に聞いたのは高瀬だった。
「あー、みんなに迷惑かけたね、ごめんね。実は寝坊しちゃってさぁ」
「「えええっ⁉」」
それだけの理由で?
「でも、私がいなくても勝てたじゃん。これなら……」
「監督!」
高瀬が再び声を上げた。
「……何?」
「いなくなるんじゃないですよね」
「なんでそう思うの? 安心しな、大会が終わるまでは監督だから」
大会が終わるまでは。
その発言に不安感を覚えたのは、俺だけではないだろう。
でも、何も聞けなかった。
「ま、それよりなにより。ベスト4おめでとう。ここからはボーナスステージみたいなもんだから、気楽にやろー。じゃ、あとは教頭先生、幕ノ内先生、学校まで引率をお願いします」
◆◇◆◇◆
翌々日。
準決勝の舞台という中で、俺は監督の去就について考えていた。
元々、任期が一年間ということだったということもあり得る。
なぜなら、「俺たちが卒業する時まで野球部を残しておく」という約束だったからだ。
ベンチでも、微妙な空気が流れている。
準決勝の相手である
今泉と米沢は今までにないくらいバッテリー間で話し合っているし、いつもベンチでは声をあまり出していない泉田も、打者を励ますように大きな声を出している。
嫌な予感は、全員が何となく感じていた。
ただ、ベンチに監督自身がいる以上、露骨に聞くのもためらわれた。
「……うーん、みんなになら言っちゃっていいかなぁ」
「? なんですか、監督」
「実はね、私の父は会社の社長でね。継げ継げってうるさいんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、ベンチの空気が張り詰めた。
「監督」
俺はようやく、監督に声をかけることができた。
「ん?」
「その話は、教頭先生とかにはしてるんですか」
「してないよ」
「ってか監督、辞めるんですか」
米沢が聞く。
「おーい早まるな。『継げ』って言われてるだけだから。ただ、モヤモヤしたままよりは、はっきりさせておいた方がいいと思ってね」
それ以上、監督が喋ることはなかった。
俺たちがみんなして黙ってしまったからだ。
*****
「なぜわからん?」
「分かりたくもないけど、分からない」
準々決勝当日、娘である香奈は、父の
「そもそもだな、大学で学びたいことができたからといって勝手に大学受けて、受かって。しかもその後、教員になるとはな」
(誰に状況説明してんだ?)
「高校までは部活も含めてノビノビやらせたが、さすがにな」
「ケッ」
「……なんだ?」
「私より経営に詳しい有能な人材なら、腐るほどいるでしょうが」
「何も社長になれとは言っていない。まずは平社員として入って、ゆくゆくは会社でそれなりの地位に上がるようにと言っているんだ」
重人がそう返すと、香奈は怪訝な顔をした。
「へえ。私の自惚れも大概にしとけってことかな?」
「またお前は、ああ言えばこう言う。なら聞くが、なぜ教師になった?」
「………」
(理由か)
香奈は言葉に詰まった。
「無いのか?」
「無いね」
「……なら、儂の会社に来ても良いだろう」
「思い残したことがあったからかもしれないな」
「それはなんだ?」
「……いや、別にぃ」
香奈は、選手の視点からチームを見たことはあっても、指導者の視点から見たことはなかった。
「どんな目的があったにしろ、会社に入って活かせればそれで良かろう」
「うん……。それはそうなんだけど」
「何か不満か?」
「今、教え子たちがいてさ……」
「ああ、そのことか」
重人は一呼吸おいて、はっきりと告げた。
「儂もそこまで非常識じゃない。年度替わりの時でいいだろう」
香奈はそれで解放された。
(大事な試合の日に、一人娘を無理やり連れてきてする話かっつの)
今から行けば、試合が終わるころには着くかもしれない。
香奈はタクシーを呼んだ。
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