第52話 特にない

『9回の表、出羽学館高校の攻撃は、一番サード、茂原もばらくん。背番号5』

 意外なほどヒットを打ち、打たれ。

 意外なほど得点を入れ、入れられ。

 7対5、舟高2点リードのまま、とうとう試合は9回を迎えた。

 このまま逃げ切れば、目標としていた「ベスト4」に手が届く。

 が、そんなに甘くはない。この回先頭の一番・茂原は、俺のチェンジアップを苦も無くライト前へ運んだ。

 二番の藤沢は初球を打ち損じてくれたので助かったが、次の打者は今日2安打の永覚。気は抜けない。

 自分で言うのもなんだが、気は抜いていなかった。

 だが、ボールは抜けてしまった。

「フェア!」

 打球はあっという間に一塁線を破り、ライトを守る今泉の横を抜けていった。

 一塁走者の茂原は俊足を飛ばして一気にホームイン。

 7対6、1点差。なおも一死三塁。


「スクイズあるかな?」

「関根のことだからなぁ。ないとは言えない」

 俺と米沢は、出羽学館ベンチの作戦について話し合っていた。

「そういえば吹浦、お前、教頭に聞かれてなんか言ってなかったか?」

「ああ、なんで野球を続けてるのか、みたいなこと?」

「そうそう」

「『得意なことを伸ばして勝つ』って言った。……けど、あれは嘘」

「えっ?」

「本当は『相手の弱点を突いて勝つ』こと。皆そうやって勝ち進んでるでしょ」

「……まあ、そうだな。俺らも出羽学館も」

「監督が言ってたと思うけどさ。全て上手くいくなんて都合のいい話はないんだよ。だから妥協とかベターとか我が身が可愛いとか、そういう言葉が存在するんでしょ」

「………」

「……無駄話しちゃったね。ま、同点までオッケーってことで良いよね」

「ああ」

 話しすぎちゃったな。

 中学時代の二の舞になりたくないからかな。だから、意識を逸らそうと努力しちゃってるのかな。


「ファースト!」

 やはりスクイズをやってきた。

 警戒はしていたがポジションはいつも通りなので、俺は米沢の指示通り一塁へ送球した。

 これで7対7。同点に追いつかれはしたが、走者はいなくなった。

 なぜ三塁走者は気にしなかったかというと、勝ち越しさえされなければいいから。

 この試合、舟高は後攻。一番いいシナリオは、9回裏にチャンスを作ってサヨナラ勝ちすることだ。

 と、俺が思った瞬間、カキィン! という音が鳴り響いた。

 しまった。四番の青梅があっさりスクイズしてきたから、油断していたんだ。

 センターを守る荒砥の上を越え、打球はフェンスに当たった。

 ギリギリのところでホームランは免れたが、二死二塁。

 二塁に到達した七番・柳井は、大きくガッツポーズをした。


 まずい。勝ち越しの走者を出された。

 また、中学生の時のことを繰り返すのか?

 また、あんな風に――。

「吹浦!」

 名前を呼ばれ、ハッと我に返った。

 叫んだのは遊佐だった。

 俺が振り向くと、遊佐は右手で拳を作り、心臓の辺りを叩いた。


 *****


 ――吹浦。アンタに足りないのは技術でも気迫でもない。自信だ。

 遊佐は右手で拳を作り、心臓の辺りを叩いた。

 そのジェスチャーに吹浦は、大きく頷いた。

「ストライク!」

 初球から大胆に攻める。捕手の米沢ともども、本来の調子を取り戻したようだ。

 3球目。それまで引っ張ってばかりだった六番・長浜の打球は、読みが外れたのかショートを守る遊佐のもとへ転がってきた。

 練習は本番のように、本番は練習のように。

 遊佐は練習通り難なく捌き、攻守が入れ替わった。


「遊佐」

「ん?」

「ありがとう」

「何が?」

「……自分で分かってるくせに」

 ムッとして少し膨らんだ吹浦の頬を、遊佐はチョンと押し返した。


 *****


『出羽学館高校、選手の交代をお知らせいたします。加茂くんに代わりまして、ピッチャー渋谷しぶやくん』

 代えてきたか。

 加茂は打たれていたし、出羽学館にとっては致し方ないところではあるだろう。

 9回裏の舟高の打順は、八番の瀬見から。

 3打数1安打で、2三振と二塁打1本。当たれば飛ぶギャンブルヒッターの成績というのは、こんなものである。

 カキィン! と大きい音を響かせて打球が上がったが、上がり過ぎたのかセンターが落下点に入った。

 これでワンアウト。

 この後は九番の古口と、高瀬に代わって入ったため一番打者になっている遊佐だ。

 古口は今日2安打だが、2本とも内野安打。長打はあまりない。

 そして、公式戦初出場の遊佐は未知数。とすると、やはり投手を代えるタイミングとしては良かったのかもしれない。

 そんなことを思っていると、古口もあっさりとピッチャーゴロに倒れてしまった。


 俺は二番打者なので、ネクストバッターサークルへ向かう。

 すると、タイムをかけて遊佐が寄ってきた。

「なんか、気付いたことない? 弱点とかクセとか」

「え、今投げてる相手投手のこと?」

「うん」

 こんな短時間で見つかるわけないじゃん――と言うのは簡単だ。

 だが、三者凡退で延長戦に持ち込まれるのも、それはそれでいやだ。

「ファーストストライク、狙い目かもしんない」

「えっホント?」

「2打席しか見てないから、確信めいたことは言えないけど」

「ううん、ありがとう」

 遊佐が打席に向かう。

 2打席見てそう思ったのは、嘘ではない。瀬見も古口もファーストストライクは見逃しだったからだ。正確に言うなら、「狙い目っぽい」ということぐらいしか、今は分からない。

 ――キィーン!

 えっ⁉ と思った。

 初球。迷いなく振り抜いた遊佐の当たりは、鋭い打球となってセンター前にバウンドした。

 マジかよ。当たっちまった。

 遊佐が出塁する。それは俺に打順が回ってくることも意味していた。


 さて、駆け引きに参加しよう。

 初球、それもファーストストライクを打たれて、少しばかりの動揺はあるはずだ。

 しかも一塁走者の遊佐は、サヨナラの走者。

 ――となれば、2球目までは見ていいだろう。

 その読み通り、1球目はボール。

 2球目は外角に際どい球だったが、これも幸いボールの判定。

 カウントはツーボールナッシング。次はストライクを取りたいだろう。

 次は振っていくか。俺が思ったその時、遊佐が土ぼこりを払ってヘルメットを触り、俺の方を見た。

 マジで? ここでやるの? と。

 遊佐は小さく頷く。

 ああもう、分かったよ。バッテリーは打者である俺との勝負に集中しているようだし、やれるだけやってみよう。

 俺は同じサインを返した。


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